第5章ー35
土方勇志少将は、9月4日の朝、第1海兵師団の司令部で、秋山好古大将と今回の戦果についていろいろと感慨にふけることになった。
海兵隊員の約1割がインフルエンザで倒れているにもかかわらず、大攻勢を行わざるを得なかった。
その結果、独軍の戦線を大突破することに成功はしたものの、その代償として余りにも大きな損害を被ってしまった、海兵隊の医療部隊は大変な状況に陥るだろう。
「大戦果を挙げましたが、その代償も大きかったようですね」
土方少将はぽつんといった。
「まあな。古来、戦場では伝染病が付き物だが、ここまでインフルエンザが蔓延するとはな」
秋山大将も、いろいろ思うところがあるのだろう、言葉少ないものだった。
「これだけの戦果を挙げられたのに少しも嬉しさを覚えず、皮肉な想いばかり自分も浮かんでしまう」
秋山大将のその言葉を聞いて、土方少将の物思いはさらに増した。
1918年9月1日からベルギー解放軍が行った大攻勢は、後々まで電撃戦の魁と一部の人、後の独軍元帥グデーリアン等がみなすような先進的なものだった。
地上部隊と航空隊が出来る限り緊密な連携を取り、戦車を中核とする部隊が敵の前線を突破して、大進撃を行う方法だった。
なお、ベルギー解放軍の場合、圧倒的航空優勢にあったことから、航空隊は最前線から後方まで縦横無尽に活動を行っている。
そのため、ソ連赤軍元帥トハチェフスキーも、縦深戦術理論の先行戦例として参考にしたという伝説があるくらいである。
だが、その代償も大きかった。
「ベルギー解放軍は、40キロ以上の独軍戦線を突破し、40キロ近い進軍を達成しました。また、10万人以上の死傷者または捕虜という損害を独軍に与え、自らの死傷者等の損害は7万人程。本来なら大戦果と誇れるものですが、それとほぼ同数、いや、それ以上のインフルエンザ患者を抱え込んでいては、医療部隊に大きな負担をかけてしまうことになりました。そして、インフルエンザはますます蔓延しています」
土方少将は完全な憂い顔で言った。
秋山大将も肯きながら言った。
「これだけインフルエンザ患者がいてはな。そして、どうも、このインフルエンザは、他の伝染病とは違う特徴があるという報告がある」
「どんな特徴ですか」
土方少将は、秋山大将に問いかけた。
「普通の伝染病は、抵抗力の弱い幼児や老人に猛威を振るい、命を奪う傾向がある。ところが、このインフルエンザは、どうも幼児や老人よりも、20歳前後の若者に猛威を振るい、命を奪っているらしい」
秋山大将の答えに、土方少将は驚いた。
「そんな馬鹿な。普通、伝染病は抵抗力の弱い幼児や老人に猛威を振るうものです」
「だが、英仏の統計資料はそう示している。日米やそれ以外の国からもそれを否定する資料は出ていない」
土方少将と秋山大将は話し続けた。
土方少将は、更に憂いを深めた表情になって言った。
「20歳前後の若者と言うことは、兵や新任士官等に今回のインフルエンザは猛威を振るうということになりますね」
更に、土方少将は内心で思った、このまま行くと、自分の長男、土方歳一もインフルエンザに倒れることになりそうだ。
「そうなるだろうな。神に祈るしかなさそうだ」
秋山大将も渋い顔になった。
秋山大将の祈りは通じなかった。
9月中、日本軍のインフルエンザり患者は増える一方だった。
9月末には、日本海兵隊員の約4分の1が重症のインフルエンザで倒れている惨状になった。
言うまでもなく、日本陸海軍航空隊の隊員も日本欧州派遣艦隊の乗組員等も同様だった。
そして、英仏米更にベルギー軍も似たような惨状を呈した。
そうした中で、9月の英仏米日統合軍の大攻勢は行われたのだった。
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