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第5章ー34

 少し、時間が戻ります。

 9月のベルギー解放軍の大攻勢が終了直後になります。

 土方歳一少尉は、世界大戦が終わって帰国した後、父、土方勇志少将から2人きりになった際に、何が一番戦争の体験の中で印象に残ったか、と聞かれた。

 土方少尉は1918年9月の日々、栄光と悲惨に満ちた日々は絶対に忘れられません、とだけ答えた。

 父、土方少将も同じだったのだろう、自分もそうだと答えた。

 父子それぞれの立場から見ているものは、微妙に違ったが、父子共に1918年9月は栄光に輝くと共に悲惨極まりない、ある意味、両極端なものを同時に見せられた日々だったのだ。


 1918年9月4日朝、土方少尉は、3日間の大攻勢で勝利を収めた感慨にふけっていた。

 土方少尉のところにまで、3日間の大攻勢によって、幅40キロ以上、奥行き40キロ近くにわたり、独軍の戦線を突破したことが伝わってきている。

 そして、このために7万人近い損害を被ったが、10万人以上の損害を独軍に与えたらしいことも土方少尉に伝わって来ていた。

 これまでの世界大戦の経験から言えば、圧倒的勝利と誇れるものだった。

 この調子でいけば、ベルギー全土をあっという間に解放できると錯覚しそうだった。

 だが、足元というか、部隊の現状は微妙に異なっていた。


「土方小隊長、今日は小隊全体で新たに2人が高熱を発しています。これで、6人が高熱を発していることになります。速やかに野戦病院に運び込む必要があります」

 古参の曹長でもある分隊長の1人が、感慨から覚めた土方少尉に報告した。

「速やかに野戦病院に担ぎ込め、少しでも早く治ってもらわないと困る」

 土方少尉はできる限り顔に出ないようにしつつ、指示を出した。

 まさか、インフルエンザがここまで蔓延するとは、土方少尉は背筋が凍る思いがした。

 だが、これは後から思えば、まだまだ軽い方だったのだ。


 9月から10月が近づくにつれ、インフルエンザは容赦なく、土方少尉率いる海兵小隊に襲い掛かった。

 9月下旬のある日、とうとう土方少尉自身がインフルエンザに倒れて、野戦病院に担ぎ込まれた。

 林忠崇元帥の厳命により、軍医や看護兵以外の全ての将兵は、階級に関わらず軍医の診断でベッドに入れるかどうか決められることになっていた。

 インフルエンザが蔓延しだした当初、階級を嵩に来て士官がベッドを優先使用した例が多発したからだ。

 それを聞いた林元帥が激怒し、重症患者がベッドを優先使用することになった。

(なお、軍医や看護兵は優先的にベッド使用が認められていた。なぜなら、これ以上、軍医や看護兵を失っては日本軍の医療体制が崩壊することが自明の状況になっていたからである。)

 そのため、当初は野戦病院に担ぎ込まれたとはいえ、まだ、軽症だとして、土方少尉はベッドでは無く、地面の上につくられた簡易寝床で寝る羽目になった。


 39度近い熱があって、軽症とは、と土方少尉は思っていたが、翌日には自らが自分のいる場所がどこかわからない重症になってしまった。

 この状況からベッドが土方少尉には与えられたのだが、土方少尉は全く分からず、熱が下がり、見当識が戻った後、自分がベッドで寝ていることに驚く羽目になった。


 最終的に9月の間に、土方少尉率いる小隊員50名余りの内、土方少尉を含めて16名が重症のインフルエンザを発症して、ベッドで寝る羽目になった。

 軽症で済んだ者を入れれば小隊員の内30名近くがインフルエンザにり患した。

 そして、土方少尉は助かったものの、8名の部下がインフルエンザか、それによって罹った肺炎で亡くなる羽目になった。

 9月末、野戦病院から退院して最前線に復帰を果たした土方少尉は、2割近い部下がインフルエンザで亡くなったことに心を痛め、陰で号泣した。

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