第5章ー33
10月3日、西部戦線の戦況の悪化、ブルガリアの休戦、インフルエンザの蔓延の本格化等々の状況は終に最も戦争継続に強固な意志を独国内で持っていたルーデンドルフ参謀次長の継戦意欲を打ち砕き、米国のウィルソン大統領に対して、休戦の打診をするように独政府に要請する事態を生み出した。
そして、独政府は直ちにウィルソン大統領に休戦の打診をしたが、これによって足下を連合国にみられる羽目になってしまったし、極秘裏に行ったはずの休戦の打診が独国内に漏れてしまい、独国内に厭戦機運を高めてしまうという相乗効果をもたらした。
だが、実は10月3日の時点ではルーデンドルフ参謀次長は、この休戦打診を方便だと考えていた。
「米国をはじめとする連合国内全てにインフルエンザが蔓延している以上、我々からの休戦打診に渡りに船と乗ってくるはずだ。そうすれば、休戦期間を利用して物資を輸入等して確保し、我が軍を再編制して、来年の春に更なる攻勢を我が独は取れるだろう。それによって、最終的な勝利を独は収めるのだ」
10月3日の夕刻、ルーデンドルフ参謀次長は、参謀本部で呼号していた。
しかし、前述した様々な事情がルーデンドルフ参謀次長の思惑を打ち壊していった。
ウィルソン大統領は、独からの休戦申し入れに様々な条件を付加していき、独を完全に屈服させることにした。
独外務省からは、ウィルソン大統領の14か条の宣言は嘘だったのか、という指摘があったが、米国務省の対応は冷淡だった。
「あの時と状況が違う」
その一言だった。
「あの対応で良いのですか」
ランシング国務長官とウィルソン大統領は膝詰めで話し合っていた。
「良いに決まっている。米国民の世論が14か条では満足しないからな。この戦争で、これだけの死傷者を出すとは思いもよらなかった。だから、仕方ない」
ウィルソン大統領は現実的な物の見方をしていた。
14か条の宣言をした時は、米国民はそんなに死傷していなかった、だが、今は大量の死傷者を出しているのに、14か条の宣言のような寛大な条件で講和しました、では、米国世論は憤激して、民主党を次の選挙で追い落としてしまうだろう。
「我が国は民主主義国家だよ。大統領と言えども、世論を重視しなければならない。違うかね」
ウィルソン大統領は、ランシング国務長官にわざと尋ねた。
「確かにおっしゃる通りです。米国は世論を重視しないといけない民主主義国家ですからな」
ランシング国務長官もにやりと笑いながら答えた。
そして、独国内でインフルエンザは野火のように広まる勢いを示した。
首都ベルリンでさえ、物資が不足していた。
例えば、ゴム、紙、綿、皮革、織物、衣類は、ほぼ完全に店頭から姿を消しており、僅かな入荷を市民は心待ちにし、入荷があったら、1時間も経たない内に市民が買い求めて店頭から姿を消す有様だったのだ。
こんな状況で、インフルエンザが蔓延したら。
配給すべき食糧が不足し、やせ細り、体力を失った市民の多くが、インフルエンザに罹ったら、あっという間に重症化してしまった。
そして、それを治療しようにも医薬品にも事欠く有様なのだ。
重症のインフルエンザ患者の多くが、数日後には天国へ旅立っていくことになった。
ベルリン市民は、毎日のように誰かがインフルエンザで死亡したとして、棺が墓地に運ばれていくのを見るうちに、あっと言う間にインフルエンザで死者が出ることに無感動になってしまった。
何しろ、10月15日の1日だけで、ベルリン市民1800人近くが、インフルエンザにより亡くなっていたのである。
亡くなったのが、親しい家族や親友等でない限り、市民は防衛本能から感情を動かさなくなっていた。
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