新しい家族
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電車は気の急いた僕のことなど気にする様子もなくゆっくりと減速をし、水鳥が着水するような上品さで駅に停車した。
わずかな時間ももどかしい僕はドアの前に立ち、開き始めると同時に隙間を擦り抜けてるように電車を降りる。
時計を見上げると午後七時二十分。麗奈が病院に向かったという一報をもらってから三十分が経過していた。
階段を二つ飛ばしくらいに駈け降り、転びそうになって慌てて手摺りを掴んだ。革靴で走ると相変わらず転びかけてしまう。走りやすい革靴というのを売り出せばそこそこ売れるかもしれないなんてどうでもいいことを思った。
駅を出て家とは反対方向へと走り出す。スーツ姿のサラリーマンが走るというのはそれなりの非日常感があるのか、すれ違う人が驚いた顔をしている。
往診時間が終わった末松産婦人科の灯りは消えていた。インターフォンを押すとすぐに応対があり、ロックが解除される。
時間外にこの産婦人科に訪れるのは璃玖が生まれた時以来だ。そんな璃玖も今や小学一年生。しっかりした性格は更に磨きがかかり、僕の方がだらしなくて怒られることもあるくらいだ。
「あ、お父さん。こっちこっち!」
ロビーで待ってくれていた璃玖が駆け寄ってくる。
「遅くなってごめん。お母さんは?」
「まだ産まれないって言ってたけど、すごく痛そうにしてるよ」
「そうか」
突然破水したのが小一時間前だ。予めまとめていた入院準備が入ったリュックは璃玖が持ってきてくれたらしい。頼もしい限りの成長だ。
璃玖に連れられてやって来たのは分娩室だった。病室じゃなくていきなり分娩室ということは間もなく産まれそうなのかもしれない。
「麗奈、大丈夫か?」
声をかけるとベッドの上に寝そべった麗奈は振り返り、僕の顔を見て安心したような笑みを浮かべた。
「うん。まだ平気。陣痛の感覚も開いてるし」
気丈に答えているが、額に浮かんだ汗やげっそりした顔色を見る限りあまり大丈夫そうではない。
「はい、お母さん」
璃玖はペットボトルのお茶を渡し、甲斐甲斐しくお世話に勤しんでいる。
当初は少し心配したが璃玖は結婚してからすぐに『甘玉先生』から『お母さん』と呼び方を変えてくれた。むしろ僕の方が結婚後も『甘玉さん』と呼んでしまい、璃玖から注意される始末だった。
陣痛の感覚がだんだんと狭まり、痛みも激しくなってきたのか麗奈は顔を真っ赤にして唸っていた。
その痛みを変わってあげられない僕たちは、せめてもの行為としてゴルフボールやテニスボールで麗奈の腰やお尻をぐりぐりと押す。
いよいよ産まれてくるという段になると麗奈の悲鳴はより一層激しいものとなった。
「お母さん大丈夫!?」
璃玖が心配して麗奈の手を握る。
「ありがとう、りっくん」
麗奈は璃玖の手を握り、無理に笑おうとしていた。
そんな死闘を繰り返すこと四十分、遂に産室に甲高い産声が響いた。
「お疲れさまでした、お母さん。元気な女の子ですよ」
助産師さんに抱えられた産まれたばかりの娘は、目をぎゅっとつぶり口を大きく開けて泣いていた。生まれたてのその姿は、人間も動物だったということを思い出させてくれる生々しさがあった。
麗奈は渡された娘を恐る恐る抱き、安堵の笑顔になる。それを見る璃玖の目も感動で潤んでいた。
「もうお名前は決まっているのですか?」
助産師さんが訊ねると、璃玖が「うんっ!」と元気よく返事した。
「そらちゃんっていうの!」
「お空に良いって書いて『空良』です」
麗奈と璃玖が笑いながら見つめ合う。
「空良ちゃん。いい名前ですね。誰が考えたの?」
助産師さんが璃玖に訊ねる。
「ママだよ。ママがつけてくれたの」
璃玖が誇らしげに答えると助産師さんは「そうなの。じゃあ兄妹で璃玖君と空良ちゃんだね」と頷いた。ママとお母さんが同一人物ではないということは気付いていないようだ。
男の子が生まれたら『璃玖』、女の子が生まれたら『空良』。
それは妊娠が発覚してすぐに紗耶香が考えた名前だった。そして男の子が生まれて璃玖と名付けた。
璃玖にきょうだいが必要だと言っていた紗耶香も、きっと天国で喜んでくれているだろう。
そう祈りながら僕は目を細めて麗奈と空良、そして璃玖を見詰めていた。
<了>
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました!
二年越しにようやく完成させることが出来ました!
書けないと思って更新を止めましたが、どうしても諦めきれないテーマなので全編書き直しました。
はじめは再婚に苦しみながらもそれぞれの幸せに向かう宗大とさやかの話を中心に書くつもりでしたが、璃空くんが物語の核の一つになる物語に変わりました
楽しんでもらえていたら嬉しいです!
次回作は軽くポップなラブコメになる予定です!
また次回作でお会いしましょう!




