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成仏できなかった妻の幽霊が僕に再婚を勧めてきます  作者: 鹿ノ倉いるか


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告白

 甘玉さんと再婚することを璃玖に伝えると決めたのは、その週の日曜日だった。その日は朝から璃玖の機嫌がよくなかった。

 お菓子を買っても、大好きなペットショップに連れて行っても、璃玖はむっつりと黙ったままで、僕も甘玉さんもどうしていいか分からず苦笑いを浮かべるだけだった。


「今日は大切なお話がある」と朝に説明したのがよくなかったのだろうか。まさかパパと先生が結婚するということまではわかっていないだろうが、なんとなく大変なことが起きると感じているのかもしれない。

 璃玖は寂しそうな目でケージの中の猫を見ている。


「猫が欲しいのか? 前から飼いたがってたもんな」


 寂しさを感じているならペットを飼うのもいいのかもしれない。チラッと価格を見ると二十万円を超えていた。でも価格もさることながら猫を飼うとなると、世話が大変だ。それに今のアパートには住めないだろう。


「ねえパパ」


 璃玖は不安そうな目で僕を見上げた。


「なに?」

「この子、まだ赤ちゃんなの?」


 ケージの中の子猫はこちらを見ながら、か細い声で鳴いていた。


「どれどれ。うん、そうだね。まだ産まれて三ヶ月みたいだ。赤ちゃんだね」


 そう教えると璃玖はしょんぼりと眉を下げた。


「かわいそう……そんなに小さいのにママとはなればなれなの?」

「璃玖……」


 かける言葉を失った僕は璃玖の隣で固まった。

 子供は時に誰も答えを知らない命題を問い掛けてくることがある。そんな正解のない質問になんと答えるのかでその子の人生が変わる気がして、いつも僕は上手く答えられなかった。

 甘玉さんはしゃがんで璃玖と同じ高さの視線になり、震える子猫を微笑みながら見つめた。


「先生もね、璃玖君と同じくらいの子供の頃に、お父さんが死んじゃったの」

「そうなのっ!?」


 驚いて目を丸くする璃玖に甘玉さんは静かに頷いた。


「みんな先生のことを可哀想って言ったの。こんなに小さいのにお父さんが死んじゃってって。でもね、先生は可哀想な子なんかじゃなかったよ。だってお母さんがいたもん」


 璃玖はなにか言いたそうで、でも黙って甘玉さんの言葉を聞いていた。


「確かにお父さんがいなくて大変だった。肩車はしてもらえないし、お母さんが忙しいから授業参観も来てもらえないこともあったし。寂しいときもあったし、悲しいときもあった。でもね、可哀想なんかじゃなかったよ」


 ケージの中の猫はボールのおもちゃに噛み付いてじゃれていた。


「きっとこの猫ちゃんも新しい家族が見つかる。そこで幸せな生活が待ってる。ママとは逢えないけど、可哀想じゃないんだよ、きっと」

「うん。りっくんもママがいないけど、パパがいる。かわいそうじゃないよ。だってみんなのパパはあんまり遊んでくれないって言ってるけど、りっくんのパパは遊んでくれるもん」


 誇らしげな璃玖の言葉を聞き、僕は涙を堪えるだけで精一杯だった。

 甘玉さんの言葉は人間の勝手な事情を並べただけの詭弁なのかもしれない。でも少なくとも璃玖がいま欲しかった言葉ではあったようだ。

 自分も答えを知らない問題を子供に教えるというのは、大人として、親として責任を取る覚悟を持つことなのかもしれない。


 ショッピングモールでごちそうを買った後、ホームパーティーをするために家に戻った。

 僕と甘玉さんが再婚をする話はそこですることに決めていた。沙耶香にももちろん見届けてもらうつもりだ。

 璃玖の好きなお寿司やフライドチキンを並べ、最近飲めるようになった炭酸飲料で乾杯する。先ほどまでの不機嫌は霧散し、璃玖は上機嫌だった。

 その様子を見て、僕と甘玉さんは目配せしあい、頷いた。

 姿は見えないけれど、沙耶香も見ているはずだ。


「実はね、璃玖。今日は璃玖にお願いがあるんだ」

「なに?」


 フライドチキンでベタベタになった手を舐めながら璃玖が首を傾げる。


「パパと甘玉先生は、結婚しようと思っているんだ。もちろん璃玖さえ許してくれるなら、だけど」

「……いつ?」


 璃玖は不安げな顔で短くそう訊ねた。

 いつ結婚するのかという意味なのかもしれないが、いつからそんなことになっていたんだと詰問された気持ちになった。


「出来れば春には結婚しようかなって思ってる」

「じゃありっくんはもういらなくなっちゃうの?」


 璃玖はキュッと口を結び、顎に皺を作りながらポロッと玉のような涙を溢した。


「そんなわけないだろ! もちろん璃玖も一緒だよ!」

「璃玖君がいらない訳ないよ! 璃玖君と一緒に暮らしたくて先生はパパと結婚するんだよ!」


 思いもしない言葉に、慌てて璃玖を抱き締めた。しかし興奮した璃玖は手をグイッと突っ張って僕の腕から逃れる。


「先生を璃玖君のママにさせてくれない?」

「じゃあママは? ママはいらなくなっちゃっうの!?」


 璃玖は真っ赤な目をして僕と甘玉さんを交互に睨んだ。


「ママがいらなくなる訳ないだろ」

「ウソだ! パパはママを忘れたんだ! だからいらなくなったんだ!」

「違う。パパはママを忘れてなんていない」


 落ち着かせようと手を伸ばすと、璃玖は触れられるまいと素早く後退る。


「ママがかわいそうだよ! りっくんは忘れない! ママはずっとみまもってくれているんだから!」

「違うの。璃玖君。パパはママのことを忘れてない。今でもママを愛してるんだよ」

「ひどいよ! パパも先生も、ひどいよ! 新しいママなんていらない! パパも先生も大きらいっ!」


 璃玖は興奮して駈け出す。


「璃玖っ!」

「璃玖君っ!」

「璃玖ッ……」


 僕も、甘玉さんも、沙耶香も璃玖を叫ぶ。しかしその声は璃玖には届かなかった。

 サンダルを穿き、璃玖が部屋を飛び出す。靴を履く必要のない紗耶香は壁をすり抜けて追いかけていった。


 慌てて追い掛けたが、驚くほど璃玖はすばしっこくてその背中は既に見えない。いつの間にこんなに足が速くなったのだろう? 息子の成長を喜ばなかったのははじめてのことだ。


「待って、璃玖っ!」


 きちんと履けていない靴の踵を押し込みながら走るとバランスを崩して蹌踉けてしまった。僕も慌てて体勢を整えて追い掛けたが、既に璃玖の姿はどこにもなかった。




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