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成仏できなかった妻の幽霊が僕に再婚を勧めてきます  作者: 鹿ノ倉いるか


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宗大さん

「先に帰ってるから。ちゃんと話し合ってよ」と言い残し、沙耶香は消えてしまった。甘玉さんも沙耶香の気配が消えたことに気付いたようで、肩の力を抜いていた。

 帰りの車の中、璃玖が寝てしまったので、甘玉さんは助手席に移動した。


「奥さん、疑ってましたか?」

「いや、それはないと思いますけど。ただ、ちょっと……」


 歯切れ悪く答えると、甘玉さんは振り返って眠る璃玖を見た。


「璃玖君のこと、ですよね?」


 僕の心の中を読んだのか、それとも甘玉さん自身も気になっていたのか、そう言い当てた。


「ええ、まあ……それが気がかりみたいでして」

「奥様は私みたいな頼りない人間が璃玖君の母親になれるのか心配されているんですよね?」

「それもあるみたいですけど、でも沙耶香が気にしていたのはそれだけじゃなくて。ちゃんと璃玖に再婚することを伝えたのかって……」


 そう伝えると甘玉さんの顔がピクッと震えた。


「つまり再婚していいか璃玖君に承諾をもらわないと駄目ってことですか?」


 頷く僕の横顔を甘玉さんはじっと見詰めてくる。その視線に気付いていない振りをしてまっすぐ前だけを見てハンドルをぎゅっと握りしめた。


「もうやめましょう。これ以上は無理です」


 沙耶香に成仏してもらうためとはいえ、璃玖を傷付けたくはなかった。

 甘玉さんが新しいママになると伝えれば、璃玖は受け入れてくれるかもしれない。でもそれは事実ではない。本当はママにならないと知ったら、璃玖はきっと傷つく。だったら初めからそんな嘘をつくべきではない。


「もう少し、考えてみましょう。きっとなにか方法はあるはずです」

「でも沙耶香はそう簡単に成仏してくれないと思うんです。このままのらりくらりと嘘を重ねても、きっといずれバレてしまいます」


 赤信号で停車し、バックミラーで璃玖の寝顔を確認した。


「そもそも僕がしっかりしていないのがいけないんです。だから沙耶香も安心して成仏出来ない」

「藍田さんはしっかりされてます。璃玖君とちゃんと向き合ってますし、愛情も注いでらっしゃいます。きっとそれは奥様だって分かってると思います」

「いえ、僕が悪いんです。沙耶香が死んだのだって、僕の責任もあるんです。共働きなのに子育てを沙耶香にばかり任せて。きっと無理していたんです。疲労で注意が散漫になっていたから……だからあんな事故に巻き込まれてっ」


 紗耶香が搬送された病院の記憶がフラッシュバックする。僕が到着した時、既に彼女は息を引き取っていた。

なにが起こったのか理解できない璃玖だったが、とにかく大変なことになったのは理解したようでずっと泣いていた。その泣き声も遠くに聞こえ、僕は璃玖の小さな手を潰しそうなくらいにぎゅっと握りしめていた。


「藍田さんっ!」


 甘玉さんの手が僕の肩を掴み、意識が運転席に戻った。気付けば爪が食い込むほどきつくハンドルを握り締めていた。いつの間にか信号は青に変わっていた。


「そんなにご自分を責めないでください」


 甘玉さんは瞳に涙を溜めた赤い目で僕を見詰めていた。その視線を見るとなにかが壊れてしまいそうで、僕は運転に集中する振りをした。



「今日はすいませんでした。お見苦しいところまでお見せして」


 甘玉さんの住むアパート近くで車を停めて謝った。


「いえ……うちの母も同じだったんです」


 甘玉さんはハンドバッグを握り、悲しそうに笑った。指には僕がプレゼントした安物の指輪が光っている。


「父が亡くなり、一年くらいは自分を責めてました。お父さんが寝不足や過労で弱っていたのに気付いてあげられなかったって。だから注意力も散漫になって事故に巻き込まれたんだって、そう言って私に謝るんです。『お母さんのせいでお父さんは死んじゃったの。お父さんを殺してごめんね、許して』って」


 甘玉さんは口許を押さえて嗚咽しそうなのを堪えていた。その時の痛みはまだ彼女の中で消えていないのだろう。隠しているだけで、今もじゅくじゅくと血が流れる傷として膿んでいる。


「お母さんのせいじゃない。そう伝えたかったのに、なんて言葉にしていいのか分からなくて……とにかく明るくしてよう、しっかりしよう、お母さんに苦労をかけないようにしようって。そんなことばかり思っていました」


 そう言って後部座席で眠る璃玖を振り返った。僕も一緒に璃玖を見詰める。

 璃玖も沙耶香が亡くなってからずいぶんしっかりしてきた。普段はあまり悲しむこともなく、明るく振る舞っている。

 子供だから『死』というものを上手く理解できないのかと思ったこともあった。辛いときでも気丈に振る舞える強い子だと感心したこともあった。

 でももしかしたらそれは僕に対するメッセージだったのかもしれない。


「いつも元気で明るい璃玖君を見ていると、もしかしたら私と同じなのかなって思っちゃうんです……悲しんで自分を責めるパパを心配して、必要以上に明るくしているんじゃないかって。すいません、勝手にそんなことを想像してしまって」

「そうですよね、すいません。僕が弱気になってちゃ、駄目なんですよね。璃玖のためにも」

「そうですよ。藍田さん……宗大さんはしっかりやれてます。自信を持っていいんです! 奥様のことは、また二人で考えましょう。諦めなければ、きっとなにか道は開けるはずです」

「はい」


 突然『宗大さん』と呼ばれ、ドキッと胸が高鳴った。


「え、偉そうにすいませんでした。それでは今日はありがとうございました! 失礼します!」


 甘玉さんは顔を真っ赤にし、逃げるように車から降りていった。

 その後ろ姿が消えるまで、僕はずっと見詰めていた。



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