彼女を育んだ土地
甘玉さんの実家はこんな広大な土地が広がる田舎とは思えないくらい、こじんまりとした家だった。
鏡を見ていない僕は自分がどんな有り様なのか分からなかったが、僕を見るなり驚嘆の悲鳴をあげた甘玉さんのお母さんを見て察することができた。
居間に通されると早速甘玉さんは救急箱を持ってきて治療をしてくれた。
「染みませんか?」
「大丈夫です……」
顔を怪我してるので治療される時はどうしても甘玉さんの顔が近付いてしまう。
気まずくて反射的に顔を逸らそうとすると「動かないでください」と頬を掴まれて引き戻されてしまい、余計恥ずかしさが増した。
もっとも顔の近さに照れているのは僕だけで、甘玉さんは真面目に治療をしてくれている。
あまり照れるのは純粋な医療行為に専念する彼女に失礼と思い、意識を逸らして堪えていた。
「あんまり上手じゃなくてすいません」
「いや。充分ですよ。ありがとうございます」
「少し休んでいってください」
「いや、迷惑になりますし」
帰ろうと腰を浮かしかけると、甘玉さんは子供を叱る顔になり僕の肩に手を置いた。
「駄目ですよ。顔を殴られたんですから脳震とうとか起こしてたら大変ですから」
「えー? 大袈裟だなぁ」
「ちょっと横になってた方がいいですよ」
「そこまでしなくても」
「いいですから。ほら」
座布団をポンポンと叩かれて促される。
きっと僕に怪我をさせてしまい、申し訳なさで一杯なのだろう。
寝転がることでその罪悪感が少しでも和らぐなら従っておこう。
「それじゃ、失礼しまして」
横になった僕を見て満足したのか、甘玉さんは「寝ててくださいね」と言い残して隣の部屋へと消えていった。
ゴロンと寝転がり天井を見上げると昔ながらの日本家屋の天井がノスタルジックな気持ちにさせられた。
この場所で甘玉さんは育ったのかと思うと少し感慨深い。
狭くて老朽化した家ながらもお母さんがいつも綺麗に掃除をしているのか、不潔感はまるでなかった。
何やら隣の部屋から話し声が聞こえる。
初めは深刻な口振りだったが、次第に笑い声と共に弾むような声に変わっていく。
内容は聞き取れないが、お母さんのからかうような笑い声で何となく察してしまい、気恥ずかしさで僕は背中を丸めて縮こまった。
控え目に襖をノックする音がして、返事をするとお母さんが微笑みながら入ってくる。
「あっ、すいません」
甘玉さんかと思って寝転んだままだった。慌てて身を起こそうとすると「いいのよ、寝ててください」と手で制される。
「ちょっと買い物に出てきますんで。ごゆっくりしていってくださいね」
「年明け早々お邪魔してしまい、すいません」
「いいえ。賑やかで楽しいわ」
お母さんは女学生のように弾んだ足取りで部屋を出て行く。
「もうっ……騒がしい母ですいません」
甘玉さんは朱の差した顔で謝りながら部屋に入ってきた。
「明るくて素敵な方ですね」
そう言いながら甘玉さんを見上げると、スカートから伸びるストッキングにぴちっと包まれた脚が生々しく視界に飛び込む。
慌てて目を逸らしたが、かえってその不自然な行動で甘玉さんを動揺させてしまった。
甘玉さんは慌ててぺたんと座って今さらスカートの裾を押さえていた。
「まだ痛みますか?」
気まずい空気を払うように訊いてくる。
「まぁ、少しは……でも大したことはありませんよ」
「本当にすいませんでした……なんとお詫びをしたらいいか」
「甘玉さんがそんなに謝ることじゃないですよ」
「私のせいですから……黒田君があんなに暴力的だったなんて……本当、最低……」
「まあ、あの程度で済んでよかったんじゃない?」
刃物を出してこられたら大変だったけど、殴られたくらいなら大したことない。
「全然よくないですよ。警察に行った方がいいんでしょうか?」
「いいって。ことを大袈裟にしても、きっといいことはないよ」
「でも……」
「目的は付き纏うのをやめてもらうことなんだし。多分あれだけ脅しておけば大丈夫でしょ」
「それは、そうですけど……藍田さんに暴力振るうなんて許せないです」
「それはおあいこだよ。ていうか圧倒的に僕の方が彼に怪我をさせたと思うし」
警察沙汰にすると話がややこしくなる。ここはなんとか甘玉さんに思い留まってもらおう。
「それに彼の気持ちも、分からないでもないしね。ずっと好きだった甘玉さんに彼氏ができたんだから、そりゃ焦るし頭にもくるんじゃない? まあ暴力はよくないけれど。許してあげようよ」
そう言うと甘玉さんはきょとんとした顔になり、やがて力なく笑った。
「なんでそんなに藍田さんは優しいんですか?」
「優しくなんてないよ。ただ気持ちは分かるかなぁって」
「褒めてませんからね。呆れてるんですからね?」
呆れながらも僕の意見を汲んでくれたらしく、警察への通報は諦めてくれたようだった。
「でも黒田君、結構イケメンだったね。意外だった」
「えー? 全然かっこよくないですよ」
甘玉さんはブンブンと手を振り、顔を顰めて否定する。
「性格はまあ、あれかもしれないけど、顔立ちはいいでしょ?」
あまりにも甘玉さんが強く否定するので、つい僕もどうでもいいのに黒田を持ち上げてしまった。
「そうですか? まあクラスメイトではそんなこと言ってる人もいましたけど、私は別に。そもそも私は年上好きですから」
「なるほど。学生の頃は先輩に憧れる女子が多かったよね」
「もっと上です! 先生とかそれくらい年上です! 大人の男性って感じがいいんです」
言ったあとから自分の性癖を暴露してしまったと気付いたのか、甘玉さんは顔を赤らめる。
あまりにも恥ずかしがるので、見ていて痛々しくなるほどだ。
「あー、いたよね。先生が好きな女子って僕の同級生にもいたよ。うん。別に珍しくないよ!」
なんでもないことのようにフォローすると、なぜだか鋭い目で睨まれた。
「そういう思春期の憧れ的なものとは違うんです。今だって同年代には興味ないですから。私は父を幼い頃に亡くしたから、きっと大人の男の人に憧れがあるんだと思います……」
最後の方は聞き取れないくらい尻つぼみな声で甘玉さんは反論してきた。
「そうか。なるほどね」
部屋の壁に飾られた優しそうな目をした男性の遺影を見上げた。今の僕より、もうちょっと年上っぽく見える。随分若くして亡くなったのだと改めて感じた。




