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成仏できなかった妻の幽霊が僕に再婚を勧めてきます  作者: 鹿ノ倉いるか


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年の瀬

 仕事納めも過ぎた十二月三十日。僕は璃玖を連れて甘玉さんとの待ち合わせ場所に車で向かっていた。

 これから三人で年末年始の買い出しに行く予定だ。

 たまにはプライベートで会わないと『本当は付き合っていないんじゃないか?』と沙耶香に疑われてしまうからだ。

 妻にバレないようにするのが鉄則という不倫の真逆だ。僕の場合は妻に他の女性と付き合っていると思いこませなければいけない。


 とはいえ甘玉さんと一緒にいるところを知り合いに見られてはいけないので、買い出しは車で遠くのショッピングモールまで行くことに決めた。

 人目を避けた待ち合わせ場所に到着すると、すぐにこちらに気付いた甘玉さんが駆け寄ってくる。

 淡い色のダッフルコートからオフホワイトのタイツを穿いた脚が覗く恰好は、いかにもデート服を着た若い女性という感じでなんだか気恥ずかしかった。


「すいません。わざわざ迎えに来て頂いて」


 後部座席のドアを開けながら甘玉さんがそう言った。


「いえいえ。こちらこそお疲れのところお誘いしてすいません」

「先生はりっくんのとなりだよ!」


 チャイルドシートの璃玖が必死に手招きをし、甘玉さんが微笑む。次の瞬間、甘玉さんが急にハッと驚いた顔をした。


(気が付いたんだ。さすがだな)

 僕は笑顔のまま甘玉さんの瞳を見詰めて頷く。それだけで理解してくれたようで甘玉さんも小さく頷き返してくれた。

 そう、今日のデートには沙耶香がついてきてしまっている。


「宗大の再婚相手だし、璃玖の母親になる人だからちゃんと私も見極めないと」などと言って。

 今は姿を消して助手席に座っている。甘玉さんには沙耶香の姿は見えないようだけれど、その気配は感じられるのだろう。

 もちろん紗耶香には甘玉さんの霊感については秘密にしてある。

 後部座席からはさっそくお遊戯の歌が始まった。僕はカーラジオを消してその陽気な歌声に耳を傾けていた。 


 年の瀬というだけあって、ショッピングモールは激しい混雑だった。ようやく車を停めてから入店すると、店内も当然人でごった返していた。


「うわぁ……すごいな、これ」

「すごい人出ですね」


 小さな璃玖ははぐれないように常に手を繋いでいなければならないだろう。


「ちゃんとはぐれないようにするんだぞ」

「うん。だいじょうぶっ!」


 片方の手は僕が、もう片方の手は甘玉さんが握ってくれていた。傍から見たら親子にしか見えないだろう。

 沙耶香のことが気になって辺りを見回したが、隠れて監視しているのか見当たらなかった。

 人混みに揉まれながら食料品売り場に向かう。鮮魚コーナーでは威勢のいいかけ声が飛んでおり、蟹やら数の子やらが山積みされていた。


「お正月はご実家に帰られるんですか?」


 目にも鮮やかな海産物を見ながら微笑む彼女の横顔に訊ねる。


「はい。少しだけですけど。実家といってもそんなに離れている訳じゃないんです」

「そうですか。じゃあお母さんがおせち料理を?」

「そうですね。母が作ってくれます。とはいっても二人暮らしだったからそんなに大量には作りませんでしたけど」


 そう言って笑う顔は、母の優しさに包まれた娘のようにあどけないものだった。


「藍田さんもご実家に?」

「まあ、うちこそ実家は歩いて行けるくらいすぐそばですけど……年越しとか正月は家にいるかな……ほら、家には」


 妻がいるからと言いかけて慌てて口をつぐむ。姿は見えないけど沙耶香がどこかに隠れて僕らを監視しているのは間違いない。

 飲み込んだ言葉の先を理解してくれた様子の甘玉さんは頷いて微笑んだ。


「ねえねえ! パパ、かずのこ食べたい!」


 璃玖は数の子やいくらなどの魚卵が大好きだ。

 おせち料理における数の子の意味を考えるとまったく不要のものだが、璃玖にしてみれば意味合いより味が大切だ。


「お正月だもんな。たまには贅沢もいいか」

「やったー!」


 その他にも蟹や高級なハムなどもお正月用に誂える。明日の夜食べるための蕎麦もインスタントではなく出汁からとって作るつもりだ。

 せっかくだからちょっと高級な鰹節もカゴに入れる。


「偉いですねー、藍田さんは」

「そんなことないですよ。普通です」


 照れ臭くてそう返す。


「パパはえらいんだよ! おそうじも、おせんたくも、おりょうりも、いっしょうけんめいしてくれるもん!」


 璃玖は父が褒められてのが嬉しかったのか、おませにそんなことを言って僕たちの笑いを誘った。

 新年に備えて下着や歯ブラシも新しいものを揃え、レジを済ませた頃には人の熱気で酔いそうなほどだった。


「ちょっと休みましょうか?」

「そうですねー」

 僕たちは飲み物と焼きたてのクロワッサンを買って椅子に座る。

 行き交う人達は家族連れが多く、お正月準備を忙しそうに買い揃えながらも笑顔に溢れていた。

 今年はもちろん喪中だからお祝いはしないが、新年の準備はしなければならない。


「もう今年も終わりなんですね」


 師走の喧騒を眺めながらポツリと呟く。甘玉さんは少し神妙な顔で僕を見た。


「今年は色んなことがありすぎて、落ち着く暇もなかったです」

「大変でしたよね」

「ええ。あの事故があったときは、もうこの世の終わりだと思ってましたけど……」


 璃玖はさっき買ってあげた百円ショップの魚のおもちゃで遊んでいる。


「でもこの世は終わらなかった。どんなに辛くても、もうこのまま時を止めてしまいたいと鬱ぎ込んでも……当たり前だけど、現実は止まってはくれない」


 きっと沙耶香はどこかで隠れて僕たちを見ているのだろう。デート中にする話じゃないとは思いつつも、ついそんな本音が漏れてしまった。


「沙耶香は、妻はもういない……その事実に慣れていかなきゃいけないって分かってるんですけど……」

「きっと私の母も父が亡くなったときはそんな感じだったんでしょうね……」


 甘玉さんは記憶を振り返る遠い目をして呟いた。


「甘玉さんもお父さんが亡くなったとき、やっぱり辛かったですよね?」


 璃玖を横目で見ながら訊ねた。


「私は小さかったから……よく分からなかったんです。もうお父さんはいないんだよって言われても……それが何を意味するのかって。ただずっと泣いているお母さんが可哀想だって思ったのはよく覚えています」

「そうでしたか」


 やはり僕は璃玖の前で泣いたり弱音を吐くわけにはいかない。心をキュッと引き締め直す。

 璃玖もどれだけ理解しているのかは分からないが、よく堪えてくれていると思う。

 この歳で母親と死別するというのは、理解できないなりに辛いのだろう。

 そんな思いで頭を撫でると、璃玖は僕の顔を見上げて笑った。


「やっぱり藍田さんは立派ですよ。すごいと思います。璃玖君だってこんなに素直で優しい子に育ってるんですから」


 子育ての大変さや、今でも妻の死を悼んでいることは、普段誰にも話さない。でもなぜか甘玉さんには素直に吐露できた。

 彼女が片親の苦しさや悲しさを体験してきたからかもしれない。

 もちろん本当に甘玉さんに璃玖の母親になってくれなどという厚かましいことを言うつもりはないが、こうして会って話をするだけでも心が落ち着く。


「そうだ。うちが喪中だから初詣ってわけにはいきませんが、お正月会いませんか?」

「はい。もちろんっ。喜んで」

「デパートの初売りにでも行きましょう」

「いいですね-!」

「璃玖もお年玉で欲しいものあるんだろ?」

「うんっ!」


 目を輝かせた璃玖は最近嵌まっているアニメのグッズの名前を挙げて甘玉さんに教えている。

 さすがに保育士だけあってそういう情報に詳しいのか、甘玉さんはその話を僕よりは理解できるようだった。


 彼女の厚意に甘えてしまい申し訳ないが、璃玖の喜ぶ顔を見ていると心が癒された。

 悲しいけど父子だけでは補いきれないものというのは、どうしてもあるのだろう。やはり子供には大人の女性の優しさを本能的に求めているのかもしれない。


 ふと視線を遠くに向けると人陰に隠れた沙耶香を見つけた。

 沙耶香は微笑んでいるような、泣き出しそうな、複雑な顔をして、懸命に甘玉さんに話し掛ける璃玖の顔を見詰めていた。




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