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成仏できなかった妻の幽霊が僕に再婚を勧めてきます  作者: 鹿ノ倉いるか


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嘘の報告

 甘玉先生を送ってからマンションの駐車場に戻ってきた。結局起きなかった璃玖を抱きながら家へと向かう。

 とりあえず今日から付き合うことになったという設定に決まり、甘玉先生のことは『甘玉さん』と呼ぶことになった。


 なんだか気恥ずかしいし、落ち着かない。

 それに成り行きで決めてしまったものの、今まで僕は沙耶香に嘘をついて騙し通せたことは一度しかなかった。

 それも結婚してまだ間もない頃、望遠レンズ付きのデジタルカメラを買い替えたことを内緒にしたという、しょうもない嘘だ。


 再婚を目指して甘玉さんと付き合い始めたなんていう大それた嘘を突き通せる自信はなかった。しかし紗耶香を成仏させるためにはやらなくてはならない。

 一度深呼吸をし、気を引き締めてから家のドアを開ける。


「ただいま」


 抱っこした璃玖を起こさないように小声で言うと、状況を察したのか沙耶香がそろりと暗闇から現れる。


「おかえり。遅かったね」


 沙耶香は微笑みながら璃玖を覗き込む。

 璃玖をそろっとベッドに寝かせ、リビングに移動した。

 これから壮大な演技が始まるかと思うと緊張でのどが渇く。冷蔵庫から発泡酒を取り出し、缶のままぐいっと一口煽った。


「で、どうだったの、演劇デートは?」

「うん、まあ」


 沙耶香は恋バナをする女学生のようにはしゃいでいた。


「一応、その、付き合うことになった」

「え?」

「結婚とか、そういうのはまだ分からないけど、甘玉さんと付き合うことになった」


 紗耶香は笑顔のまま、一瞬だけ顔の筋肉を強張らせた。

 胸にズクッと強い痛みが走った。


「よかったじゃない。おめでとう」


 沙耶香はにっこりと笑い、鳴らない拍手を打つ。


「ごめん、沙耶香」

「はあ? なに謝ってるのよ。めでたいことじゃない」

「うん……そうだね」


 嘘だよと白状して沙耶香をホッとした呆れ顔にしてあげたい。

 僕は再婚なんて出来ない。沙耶香が好きだから。

 そう言って叱られたい。

 でもそれは出来なかった。

 どんなに辛くてもこの嘘を貫くしかない。

 そうしなければ沙耶香は悪霊になってしまう。それだけは絶対に避けなければいけない。それが沙耶香を愛する僕に出来る最後のはなむけだ。

 もう賽は投げられた。引き返すことは出来ない。

 やけにはしゃぐ沙耶香を見て、溢れそうな涙を必死で堰き止めながら僕も笑った。


 ティロティロティロリン─

 場違いなほど軽やかな音でスマホが鳴る。

 ディスプレイには『甘玉先生』と表示されていた。この電話も車で打ち合わせた通りだ。

 沙耶香に手で断りを入れてから電話に出る。


「はい。藍田です」

「甘玉です。今日はありがとうございました」


 慣れない演技で緊張した様子の彼女の声が聞こえた。


「こちらこそありがとうございました」

「それに、あの……こ、今後ともよろしくお願いします」


 甘玉さんの声は恥ずかしさを滲ませて震えていた。

 やるならば中途半端ではいけない。徹底して沙耶香にバレないように演じなければ意味がない。

 ちらっと沙耶香を見る。僕と目が合うと沙耶香は慌ててニヤッと嗾ける顔付きに変わった。


「こちらこそよろしくお願いします。だいぶ年上で申し訳ないですけど」

「年齢なんて関係ありません。それに私は藍田さんみたいに落ち着いてらっしゃる方が好きですから」


 電話の向こうで甘玉さんがなにを言っているのかまでは沙耶香も分からないはずだ。しかし念には念を入れ、会話内容も恋人同士のそれにするようにと二人で決めていた。


「僕は全然落ち着いてなんかないですよ。ただ暗くて無口なだけで」

「そんなことないです。それに璃玖君と接するときもすごく優しくて、いいパパなんだなぁっていつも思ってましたから」


 演技だと分かっていても擽ったく、つい口許が弛んでしまう。


「甘玉さんこそ若いのにしっかりしていて、子供とも心から向き合ってますよ」

「えー? ないないない! 全然しっかりなんてしてないです。子供が好きだから真剣に向き合えるだけですよ。たまにどっちが遊んでもらっているのか分からなくなりますし」


 甘玉さんは電話の向こうで軽やかに笑っている。いつもの保育士と保護者という間柄ではなく、一人の人間同士としての会話だった。


「それ、僕も思います。璃玖と遊んでいるつもりが、いつの間にか自分が遊んでもらっているような感覚」

「ですよねー。璃玖君なんて特に遊んでくれるのが上手だから私もいつの間にか遊ばれてます」


 璃玖が考えついた遊びについて教えると、甘玉さんからは保育所での璃玖について教えてくれる。

 こんなに璃玖について愉快に誰かと語り合うのは久し振りだった。

 そんな僕を見て、沙耶香は微笑みながら溶けるように消えていった。


 姿を隠したのか、部屋を出て行ったのかは分からない。完全に姿が消える直前に瞳が少し寂しげに見えたのは、僕の疾しい気持ちのせいだったのかもしれない。もしくは僕の願望だろうか。

 沙耶香がいなくなってもすぐに電話は切らなかった。

 騙すならやり通さなければならない。

 泣きそうな気持ちを奮い立たせ、僕はいかに璃玖が賢くて優しい子なのかを笑顔で甘玉さんに伝えていた。




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