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成仏できなかった妻の幽霊が僕に再婚を勧めてきます  作者: 鹿ノ倉いるか


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告白

 食後はすぐに駐車場に戻り、家路につく。こんなに遅くなるはずじゃなかったので、沙耶香も心配しているかもしれない。

 車が走り出すとあれほど元気だった璃玖はほどなく眠りに落ちた。子どもというのはエネルギー切れの直前まで目一杯はしゃぐものだ。子育てをして知った事実である。


「疲れていたのかな?」

「そうみたいですね」

「車で来てよかった。璃玖も重くなってきたから背負うのが大変で」


 甘玉先生は微笑みながら羽織っていた上着を璃玖に掛けて、ポンポンとお腹をさすってくれていた。


「璃玖君はもう大きくなってきたからチャイルドシートからジュニアシートに変えた方がいいかもしれませんね」

「ジュニアシート? チャイルドシートと違うんですか?」

「ええ。チャイルドシートではキツくなってきた子が使うものなんですよ」


 言われてみれば確かに五歳になる璃玖にはもうチャイルドシートは窮屈そうに見える。


「チャイルドシートなどの着用義務は六歳までですから、あと一年ほどのために購入するのはもったいない気もしますけど。でも七歳以降もしばらく使えます。安全面から考えれば大人用のシートベルトを使うよりもいいですから」

「なるほど。教えて下さりありがとうございます」


 交通安全ということに関しては沙耶香を亡くしてからは過敏なほど気を使っている。

 眠った璃玖に上着を掛けたり、チャイルドシートの心配をしたり、そういう気遣いが僕にはかけている。やはりそういう面でも再婚は真面目に考えるべきなのだろうか。


 バックミラー越しに甘玉先生と視線が合い、慌てて視線を前方に戻す。

 急に車内の空気が薄くなったような気まずさを感じて窓を少し開けた。生温い都会の夏の夜の風でも心地よく感じた。


「今日はありがとうございました。久々にお芝居観られて愉しかったです」

「いえ。こちらこそお休みの日にお誘いしてすいませんでした。璃玖も喜んでました」

「璃玖君は本当にパパが好きなんですね。いつも保育所でパパのお話をしてくれてます」

「璃玖が? マズいな。料理を失敗した話とかされてそう」

「いつも遊んでくれるとか、優しいとか、べた褒めしてますよ。自慢のパパなんですね」


 璃玖を起こさないよう、僕たちは潜めた声で笑った。


「私なんて全然ですよ。ちゃんと璃玖を育てられているか自信がないです。寂しい思いや不自由をさせてないか、いつも不安ですから」

「そんなことないです。藍田さんはしっかり璃玖君を育てられてますよ」

「だといいんですけど」


 つい弱気になり、愚痴っぽくなってしまった。

甘玉先生からの返事が途切れ、ちらっとバックミラーで確認すると、寂しそうな目と視線が合った。


「実は私も片親だったんです」

「そうなんですか」

「うちの場合はシングルマザーでした。母は女手一つで私を育ててくれました」


 甘玉先生はポツポツと静かに語り出す。

高速道路を走る窓の外では、シルエットだけのビルの窓が煌々と光を放っていた。どことなく子供の頃に見たSF映画の未来都市に似た景色だ。


「父は私が小学二年生のころ亡くなりました。職場の事故だったそうです。それから短大を卒業するまで、ずっと母一人娘一人で育ってきました」

「お母様も大変でしたでしょうね」

「ええ。きっとそうだと思います。でも母はいつも笑顔を絶やさず、明るく気丈に私を育ててくれました。感謝してもしきれないです」


 シングルペアレントというのは、いまではそう珍しくないのかもしれない。

しかしだからといって暮らしやすい世の中になったとは言い難い。


「そんな生い立ちもあるから璃玖君の気持ちも分かるし、藍田さんがしっかりお父さんされているのも分かるんです。あ、なんか分かった風な言い方してすいません。偉そうでしたね」

「いえ。とんでもない。そんな苦労をされたから甘玉先生は優しくて芯が強いんですね。璃玖もそうなってくれればいいんですけど」

「なれますよ! っていうか、私なんかよりもっと立派な大人になると思います」


 甘玉先生は少しおちゃらけた口調でそう言った。

 その瞬間はじめて彼女の『保育士の先生』という役割の仮面が透け、一人の女性のとしての姿が見えた。急に若い女性とデートしているような気分に陥り、図々しくも胸が高鳴ってしまった。


「お母さんは再婚されなかったんですか?」


 気まずさから急ハンドルを切るように話題を変えたが、そちらもあまり穏便な話題じゃなかったと口に出してから気付いた。


「ええ。きっと私に遠慮してたんじゃないかなって思います。もちろん亡き父を愛していたというのもあるんでしょうけど」

「なるほど。分かるな、それ」


 再婚するということは死別したパートナーを裏切ることではない。それは分かっているものの、なかなか踏み切れないものだ。


「藍田さんは再婚されないんですか?」

「そうだなぁ……今はまだ考えられない、かな」

「すいません。立ち入ったことをお聞きしてしまって」

「気にしないでください。最近よく周りからも再婚しろって言われてますし」


 言いながら笑いかけてしまった。甘玉先生もまさかまさか嫁そのものからも再婚を促されているとは思ってもいないだろう。


「簡単じゃないですよね。奥様への思いもありますでしょうし、璃玖君のこともありますもんね。うちの母もそうだったんだと思います」

「でも、今はよくても璃玖には母親が必要なのかな? とは思います」


 バックミラーの端に映る璃玖は無防備な顔で眠っていた。


「きっと奥さんも、藍田さんが再婚されるのを願ってると思います」

「え?」

「あ、すいません。なに言ってるんでしょうね、私。知りもしないのに失礼なことを」

「いえ……」


 ただ偶然言い当てただけなのだろう。それでも僕は動揺してしまっていた。

 あたふたと謝る甘玉先生を見て、なぜかすべてを話してしまおうという不思議な気持ちに駆られた。


「謝らなくて、大丈夫です。実際に──」


 一度大きく息を吸い、僕は言った。


「実際に妻は僕に再婚を勧めてきているんです」



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