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成仏できなかった妻の幽霊が僕に再婚を勧めてきます  作者: 鹿ノ倉いるか


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成仏するために

「あ、そうだ。璃玖っ! 璃玖を起こしてくるからちょっと待ってて」

「ダメっ!」


 紗耶香の切迫した声にビクッと震えた。


「璃玖とは会わない。絶対に」

「なんでだよ? あ、もしかして僕にしか見えないとか?」

「ううん。そうじゃない。どうやら私のことを強く思ってる人には姿が見えるらしいの。だからきっと璃玖にも私の姿は見えると思う。でも会うことは出来ないの」

「なんで? 璃玖だって君に会いたいに決まってるだろ」

「だって……私はもう、死んでいるから」


 紗耶香は俯いて、苦しそうに言った。


「たとえ会っても、もう私はあの子を抱きしめられない。料理を作ってあげることも、歯の仕上げ磨きをしてあげることも、ぞうきんを縫ってあげることも出来ない」

「そんなのは僕がする。霊でもいい。君にしか伝えられない言葉を璃玖に伝えてやることが出来るだろ!」


 紗耶香は涙ぐんだ目で首をゆるゆると振る。


「ダメ。そんなの余計辛い思いをさせちゃうもん。せっかく気丈に頑張ってるのに、そんな残酷なこと出来ないよ。ごめん」


 紗耶香は申し訳なさそうにうなだれ、キュッと唇を噛んだ。結んだ口許に妻の無念さを察した。


「ごめん。勝手なこと言って」


 一番辛いのは紗耶香だ。

紗耶香だって璃玖と会いたいに決まっている。でもそれをしてしまえばよけい璃玖を苦しめてしまう。だから璃玖の前に姿を現してはいけないと自らを律しているのだ。

 それなのに僕はなんて自分勝手で思いやりのない言葉をかけてしまったのだろう。


「ううん。死んじゃった私が悪いんだもん。璃玖にも、宗大にも、辛い思いをさせて、ごめん」


 悲しげに俯く紗耶香を見て胸が締め付けられた。愛する妻のため、何もしてやれない自分が情けなく、もどかしかった。


「……なにか僕に出来ることはないのか?」


 紗耶香は顔を上げ、涙で濡れたまつげを光らせて僕を見つめる。それは生前と変わらぬ、美しい瞳だった。当たり前だけれど幽霊的な恐怖など感じない。


「……あるよ」

「なんでもするよ。教えて」

「私を成仏させて」


 力強い眼差しが僕を捉える。


「私を安心させて、安らかに逝かせてよ。いつまでも宗大にくよくよされていたら安心できないもん」


 紗耶香は涙で濡れた目のまま笑った。

 死んでまで人の心配をしているなんて、やっぱり紗耶香らしい。心配性で世話焼きな彼女の生前を思い出し、思わず笑ってしまう。


「わかったよ。じゃあ具体的に何をしたら安心して成仏できるの?」

「そうねぇ。じゃあ宗大、再婚してよ」

「……は?」


 笑みを浮かべたまま僕の表情は凍り付く。


「宗大は料理も下手くそだし、洗濯も雑だし、裁縫も危なっかしいし。とても落ち着いて見てられない。璃玖もまだまだ甘えられる優しい母親の存在が必要な年齢だし。それに宗大はしょっちゅうめそめそ泣いてるし」


 紗耶香は嗤いながら指を折りながら僕の駄目な点をあげつらっていく。


「確かにまだまだ至らないところはあるけど、でもちゃんとやってるだろ! 再婚とか……冗談でもそんなこと言うなよ!」

「冗談なんかで、こんなこと言わないよ?」


 もうその目も、声も、もう笑っていなかった。


「宗大の言いたいことは分かる。私を今でも大切に思ってくれていることも、璃玖を一生懸命育ててくれていることも、嬉しいよ。でもね、現実的に考えて再婚した方がいいって私は思ってるの」

「そんなこと……僕が決めることだ」

「私を大切に思っているなら、お願い。再婚して。そうすれば私は……成仏できる」


 僕らは見つめ合ったまま動けなくなる。会話が途切れ、その長さを図るかのような秒針の動く音だけが小さく響いていた。

 紗耶香はいい加減な思い付きで言っているわけじゃない。それは僕にも分かった。

指摘された料理やら裁縫は確かに苦手だ。それを彼女が心配する気持ちも理解できる。

でも再婚するというのはそんなに簡単な話ではない。もちろん相手を探すという問題だけではなく、僕の心の問題として。


「わかった。じゃあいつか必ずするから」


 喧嘩したくなくて適当にごまかしの言葉を伝える。


「いつかじゃ駄目。出来る限り早くじゃないと」

「なんでだよ? そんな簡単なことじゃないんだって」

「だって時が経てばどんどん璃玖は大きくなっていくんだよ? 成長すればするほど、璃玖は新しいママを受け入れるのが難しくなっていく」


 璃玖の名前を出され、返事を窮してしまう。


『りっくんにも新しいお母さんが必要だよね』


 一度うちの両親がそういった時、僕は激しくそれを否定した。


『紗耶香のことは気にせず、宗大さんは宗大さんの人生を生きてください』


 葬儀の後、紗耶香のお父さんから言われた言葉がまだ耳の奥にこびりついている。


「みんな、勝手だ」


 ぎゅっとこぶしを握り、目を閉じる。


「再婚しろとか、自分の人生を生きろとか。それを紗耶香まで言うのかよっ!」

「宗大……」


 なぜ紗耶香への思いを片付けなければならないのか?

 なぜ過去の思いを胸に抱きながら生きてはいけないのか?

 僕はしっかりと璃玖を育てているのに、なぜ璃玖に母親が必要だと言われなければいけないのか?


 僕のために言ってくれるのは分かる。分かるけれど放っておいて欲しい。たとえ紗耶香本人であっても。

 僕が紗耶香を思う気持ちは、誰のものでもない。僕のものだ。

 それに璃玖だって新しいママなんて欲していない。訊いてはいないがそんなことは口にしなくても分かる。


 紗耶香は困惑した顔をしたまま、すぅーっと消えていく。車のガラスに纏う結露のように、溶けるように薄れていき、やがて見えなくなった。


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