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成仏できなかった妻の幽霊が僕に再婚を勧めてきます  作者: 鹿ノ倉いるか


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都会の隅の小さな無限

 加西さんの所属する劇団が公演をする『夢幻シアター』は、その広大そうなネーミングとは裏腹にとても小さな劇場だった。


「お芝居観るの、久し振りです」


 甘玉先生は嬉しそうに劇場の看板を眺めていた。


「りっくんははじめてだよ!」と璃玖は先生の手を握る。

 知り合いが出演する舞台のチケットがあるんで行きませんかと誘ったのは、もちろん沙耶香の提案だった。


「せっかく甘玉先生は演劇好きなんだし、加西さんからチケットを買うんだから誘えばいいんだよ」とけしかけられたときは、正直どうしようと頭を抱えてしまった。

 しかし最近意識が遠退くことが増えてきた沙耶香を見て、グズグズしていられないという気持ちが強くなった。別に甘玉先生と再婚しようという気はないが、とにかく何か行動を起こさなくてはならないという焦燥感に煽られていた。


 観劇に誘った甘玉先生は、驚くほど乗り気で二つ返事で了解してきた。かなり演劇が好きらしい。発表会の演出へのこだわりは伊達ではなかった。


「藍田さんはよく観に来られるんですか?」

「いや、僕も久し振りでして」


 劇を最後に観に行ったのは小学校のイベントだったかもしれない。


「そうなんですね。お知り合いが劇団に所属しているのにもったいない!」

「なかなか仕事が忙しくて」


 しどろもどろに答えると、甘玉先生は失礼なことを言ってしまったという顔をして「そうですよね。お忙しいですもんね」と璃玖の頭を優しく撫でて呟いた。いい感じに勘違いしてくれたみたいなので取り敢えず訂正せずに無言で流す。


 ちなみに紗耶香は家で留守番をしている。万が一にも璃玖に見つからないためというのもあるが、自分がついていくと僕の気が散ってちゃんとデートできないだろうというのが理由らしい。


 劇は太宰治が現代に甦って悲願の芥川賞を狙うというパロディだった。加西さんは現代に転生した太宰の編集者という重要な役割だった。

 現代に転生した太宰治は破天荒な上に相変わらずの女好きで、担当編集の加西さんは振り回されていた。舞台上で見る彼女はパーティー会場で見せた淑やかさはなく、顔を崩したり転げ回ったりとコミカルに動いていた。


 その表情は実に活き活きとしていて、僕も大いに笑わせてもらった。子供のわりに理解力のある璃玖も手を叩いて笑っては僕や甘玉先生の顔を見上げていた。

 上演終了後、僕たちは花束を抱えて楽屋へと挨拶に向かった。


「観に来て下さってありがとうございます」


 衣装から私服に着替えた加西さんが笑顔で駆け寄ってくる。


「こちらこそ素敵な舞台を愉しませてもらい、ありがとうございます」


 花束を渡すと加西さんは大喜びで受け取ってくれた。


「本当に素敵な舞台でした!」


 甘玉先生は目を輝かせて感想を述べる。


「ありがとうございます! えっと、藍田さんの彼女さん、ですか?」


 唐突な発言に一瞬呆気にとられ、慌てて否定した。


「違います! 璃玖の、うちの息子の保育所の先生なんです」

「は、はい。彼女とか、そういうのじゃないですから」


 先生は手をブンブン振って顔を赤らめて否定する。慌てる大人二人を見て璃玖はおかしそうに笑っていた。

 保育士さんが児童とその保護者と観劇に来るというのは、子育てをしていない加西さんであっても不自然だということはわかるらしい。半笑いで「そうなんですね。わかりました」と頷く。


 その後加西さんと甘玉先生は僕の知らない役者や劇団の名前ばかりの会話で盛り上がっていた。先生の演劇好きは筋金入りだったらしく、加西さんもその知識の深さに感心していた。

 璃玖が退屈そうにしだしたところで挨拶をして楽屋を後にした。


「ねえ、パパ、お腹空いた!」


 気付けば外は既にかなり暗い。


「夕食を食べてから帰りますか?」

「はい。そうしましょう」

「やったー!」


 璃玖は大はしゃぎだ。元々外食はあまりしなかったが、沙耶香がなくなってからは更に減っていた。沙耶香がいないからって料理には手を抜かないという僕の意地だった。


「璃玖君はなにが食べたい?」

「えーっとね、ラーメン!」


 璃玖は無類のラーメン好きだ。麺類はみんな好きみたいだが、中でもラーメンは別格だ。


「ラーメンかぁ。先生もいるんだし、もうちょっと落ち着いたところの方がいいんじゃないかなぁ?」

「えー? ラーメンがいい!」

「いいですよ。私もラーメン好きなんです」

「やったぁ!」

「先生この辺りで美味しい店知ってるんだ」と言って甘玉先生は璃玖の手を握って歩き出す。飾らなくて気さくな性格だ。そして本当に子供が好きなんだろう。


 こういう人が再婚相手に向いてるんだろうなどと想像して慌てて打ち消す。

 あまりにも歳が離れているし、ましてや息子の保育所の先生だ。そんなことを想像するのも失礼だと自らを戒める。

 案内されて向かったラーメン屋は驚くことにほぼ透明なスープのお店だった。

 白湯じみた頼りない見た目とは裏腹に、その味はとてもしっかりとしており深みがあった。塩味なんだろうけど野菜や鶏の旨みが染み出ていた。はじめて食べる味に璃玖も大喜びだった。




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