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成仏できなかった妻の幽霊が僕に再婚を勧めてきます  作者: 鹿ノ倉いるか


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甘玉先生のお見舞い

 来客を告げるインターフォンの音に気付いて起きたときは、部屋の中はすっかり暗くて、夜の六時を回っていた。

 いつの間にか枕元にはオモチャが散乱しており、それらに顔を埋めるように璃玖が寝ていた。しりとり途中で寝てしまった僕の不甲斐なさを責めず、璃玖は一人このオモチャで遊んでくれていたのだろう。

 思わず微笑みながらカーディガンを羽織り、玄関へと向かう。


 きっと風邪を引いてダウンしている僕らを、妹の千遙が助けに来てくれたのだろう。

 ありがたいなぁと思いながら玄関に着く寸前、気が付いた。

 僕は千遙に風邪を引いたことを連絡していなかったことを。


「はい?」


 誰が来たのだろうかと訝しみながらドアを開けると、


「すいません……お身体の具合はいかがですか?」

「せ、先生っ……?」


 そこにはビニール袋を下げた甘玉先生が立っていた。

 外は夕暮れの冷たい風が吹いており、風邪を引いた身体に障りそうなほど寒い。


「ご、ご迷惑かなと思ったのですが……心配になりまして」


 甘玉さんのその言葉に、僕はくしゃみで答えてしまった。慌てて顔を背けて手で押さえたが飛沫は飛んでしまっただろう。


「あ、すいません。寒いですよね」


 甘玉先生は慌ててドアを閉めて玄関の中に入った。


「お父さんも具合が悪そうだったので、余計なことかなと思ったのですけど……お見舞いを持ってきました」


 スーパーの袋からはリンゴなどの果物が透けて見えた。


「わざわざご丁寧に……すいません」

「こんなことするのは、もちろん保育所の規定違反なんですけど」


 そりゃそうだろう。いちいち親子で風邪を引いてる家にお見舞いに行くなんてことをしていたら大変だ。

 父子家庭で共倒れの僕ら親子を見て心配してくれたのだろう。


「お気を遣わせてしまいすいません。もちろん他言はしませんので。助かります」

「いつも元気な璃玖君があまり喋らなくて。そしたら突然吐いてしまったので。すいません。もっと悪くなる前に気付いてあげるべきでした」


 緊張した甘玉さんを見ていたらついおかしくて吹き出してしまう。


「たくさんの子供がいるんですから無理ですよ、そんなの。心配して下さり、ありがとうございます」


 僕が笑って彼女も緊張が解れたのか、丸い輪郭の顔を綻ばせて笑った。


「具合はいかがですか?」

「おかげさまでだいぶましになりました。璃玖は胃腸風邪だそうです」

「そうでしたか。インフルエンザじゃなくてよかったです。お父さんの方は体調いかがですか?」

「どちらかというと僕の方がまだ駄目ですよ。子供というのは本当に凄い快復力ですよね」


 軽い冗談を言ったつもりだったが、甘玉先生は眉を不安げに歪めてしまった。


「もしお邪魔じゃなかったら果物を剥いてお粥を作らせてください」

「ええっ!? いいですよ、そんなの」


 驚きのあまり声を大きくしてしまうと、ベッドから璃玖が降りる音がした。すぐにタッタッタッと可愛らしい足音が近寄ってくる。


「あ、かんぎょく先生っ!」


 璃玖は嬉しそうな声を上げて甘玉さんに駆け寄る。


「大丈夫?」

「うんっ!」

「そっか、りっくんは強いね」


 甘玉先生は屈んで璃玖の頭を撫でながら微笑む。


「先生こっちきてっ!」


 璃玖は甘玉先生の手を掴み引っ張る。


「璃玖。先生はお見舞いに来てくれただけだからもう帰るんだよ」

「えー? あそぼうよ!」

「遊びません。そもそも璃玖は風邪引いてるんだから寝てないと駄目」

「えー?」


 先生の来訪でテンションが上がった璃玖を諫める。自分が病人であるということを忘れたかのようなはしゃぎぶりだ。


「じゃあ先生がお粥作ってあげるから寝ててね」

「うんっ! じゃあ寝て待つ!」

「ちょっと璃玖……すいません」

「いえいえ。じゃあお邪魔します。あ、お父さんも寝て待っててくださいね」


 甘玉先生はそう言いながら靴を脱ぐ。一歩足を踏み入れた瞬間、彼女は不思議そうな顔をして辺りを見回した。

散らかりすぎで驚かれたかな? 忙しさにかこつけて掃除を疎かにしていたことを後悔した。


「すいません。散らかしてまして」

「いえ……そんなことないですよ。すぐ作りますから」


 正直お粥を作るのも怠い状態だった。せっかくなのでお言葉に甘えることにした。


「すいません。じゃあお願いします」

「いえ。元々そのつもりでしたし」


 彼女は腕を捲り、キッチンに入る際、「お邪魔します」ともう一度断りを入れた。それは恐らく亡き妻に対して言ったのだろう。

 台所というのは、女性にとっては特別な場所だ。生前沙耶香がそんなことを言っていたのを思い出す。


 寝に行ったはずの璃玖だったが、毛布のような生地のベストを着てリビングに戻ってきてしまった。璃玖は先生が来てくれたことで興奮してしまっているのだろう。

まあ具合もそれほど悪くなさそうなので仕方なくそのままソファーに座らせ、温かいお茶を淹れてやる。


 沙耶香でも妹でも母でもない女性が我が家のキッチンに立っているのはなんとも不思議な光景だ。

 テレビをつけて気を紛らわせようとしたが、つい視線はそちらへと向いてしまう。

 璃玖はそんなまどろっこしい気など遣わず、オモチャを手にして先生の足許に絡み付き邪魔をしていた。


 この異常な光景を見て、沙耶香はどう思っているのだろう?

 そんなことばかりが気になる。なぜかなるべく璃玖が甘玉先生にじゃれつくところを見せたくないという気持ちになった。


「璃玖。先生のお仕事の邪魔になるからこっちに来てなさい」


 『お仕事』という言葉を強調したのは、何となく感じる気まずさの言い訳みたいなものだった。


「すいません、作り過ぎちゃったかも。食べられるだけでいいですからね」

 そう言いながら甘玉さんはお粥とリンゴを運んでくれた。

 家に帰ってきたときはあんなにぐったりしていた璃玖だが、表面上はすっかり元気になってはしゃいでいる。


 お粥は風邪を引いてることもあるのか本当に味も素っ気もないのだが、優しい温かさが喉を通って胃に落ちていく感覚が気持ちを和らげてくれた。

 璃玖はお粥が嫌だったのかリンゴばかりをシャリシャリと頬張っている。

「あのね」「それでね」を連発し、家のことやらオモチャのことを先生に伝えるのに必死だ。


「ねぇねぇ、パパ!」

「なに?」

「今日はかんぎょく先生とおふろに入る!」


 突拍子もない発言に甘玉先生は咽せて、飲んでいたお茶を溢してしまう。


「先生はもう帰るんだよ」

「えーっ!? 先生もう帰っちゃうの? 泊まっていってよ!」

「ごめんね、璃玖君。泊まることは出来ないの」

「なんで? 別にいいのに」


 他意はないのだろうが子供の発言は怖ろしい。

 りんごを頬張る璃玖の頭を撫でながら「今日のことは誰にも内緒だよ」と念を押した。


「うん。内緒!」


 璃玖はニッと笑って人差し指を立てて口許に当てる。内緒と言ったことは守る子なので信頼はしてるが、何かの弾みで口が滑らないとも限らない。

 確かにうちは父子家庭で二人とも風邪で倒れれば食事の用意もままならない。だからといって保育士がそんなことまで世話をしたなんて知れたら、今のご時世どんなことになるか分かったものではない。


「ありがとう、璃玖君。じゃあ先生と約束ね」


 甘玉先生は璃玖と指切りをする。その姿を見て沙耶香と約束事をする璃玖を思い出した。紗耶香も璃玖と約束をする時によく指切りをしていた。


 その後先生は洗濯もすると言ってくれたが、さすがにそこまで甘えるわけにもいかず、何とか断る。食器の洗い物を済ませてもらった頃には夜七時を回っていた。


「すいません、遅くまでお邪魔して」

「いえ。こちらこそ本当に助かりました。ありがとうございます」

「じゃあね、りっくん。早くよくなって、また元気に遊ぼうね」

「うんっ! またあしたね!」

「明日はまだ寝てなきゃ駄目かもよ? それに先生も明日はお休みだから保育所にいないし」

「うんっ!」

「そこまでお送りしますよ」

「いえ。お風邪を引かれてるのにそんなことをされては、私の来た意味がなくなりますから」


 甘玉先生はもう一度頭を下げてからドアを開けて出て行った。


「さあ、璃玖。寝るぞ」

「えー? 遊びたい」

「風邪引いてるんだぞ?」


 璃玖を背後から抱き上げてベッドに連れて行く。

 お腹をぽんぽんと叩きながら寝かしつけるが、昼間に寝たからか璃玖はすぐには寝てくれなかった。


「ねえ、パパ?」

「なに?」

「あしたも保育所おやすみ?」

「そうだなぁ……熱が下がってなかったらね」

「じゃああしたもかんぎょく先生来てくれるかな?」

「来ないよ。もう来ない。今日は特別。璃玖が心配だったから特別に来てくれただけ」


 僕は沙耶香の顔を思い浮かべながら璃玖にそう言った。

 今日はどうしても璃玖より先に寝てしまいたかった。紗耶香に話しかけられるよりも前に。



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