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成仏できなかった妻の幽霊が僕に再婚を勧めてきます  作者: 鹿ノ倉いるか


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胃腸風邪と終わらないしりとり

 もうじき昼休みという時間にもなると身体に悪寒が走っていた。頭がボーッとして意識も朦朧としてくる。

 朝から体調はあまりよくなかったが、ただの疲れだろうと決めつけて出社したのがよくなかった。ただでさえ子供の行事を理由に休みをもらっているのだから仕事を休むわけにはいかないと気を張っていたが、ここまで具合が悪くなってしまうとどうしようもない。

 さすがに今日は早退させて貰おうと思った時、スマホが着信の振動を始めた。

 着信先は璃玖の通う保育所だった。


「もしもし。藍田です」

「璃玖君のお父さんですか?」


 電話してきたのは甘玉先生だった。その声はやや焦り気味だ。体調不良のことなど一瞬で消え、身体に緊張が走った。

 妻の事故を聞いた第一報の時を思い出し、心臓を掴まれたような恐怖に見舞われた。


「璃玖君が吐き戻しまして」

「璃玖がっ!?」

「熱もあるようなのでお迎えに来ていただけないでしょうか?」

「は、はいっ! すぐに行きますっ!!」


 慌てて上司に事情を説明し、会社をあとにした。

 事故の報せとかではなくて安心したが、それでも心配だった。早く迎えに行ってやりたい。やけに身体が寒く、頭が割れるように痛かったが、小走りになりながら駅へと向かった。


 保育所につくと、璃玖は一人隔離されて寝かされていた。僕の顔を見た璃玖は安心した表情を見せた。

思ったよりは元気そうなその顔を見てひとまず僕も安心する。


「大丈夫?」

「うん……ゲーゲー出ちゃった」

「すいません、お父さん。お昼御飯を食べた辺りからいきなり具合が悪くなったみたいで」


 帰る支度を纏めていてくれた甘玉先生が謝りながら荷物を渡してくれた。


「こちらこそすいません。朝出掛けるときは何ともなかったのですが」

 当然僕は人に伝染(うつ)すまいとマスクをしていたが、走ってきたから豪快に咳き込んでしまう。


「大丈夫ですか? お父さんも風邪を引かれてるんですね?」

「私は大丈夫です」


 ゴホゴホと咳を吐きながらそう言っても説得力はなかっただろう。甘玉さんは不安そうな顔をして僕たち親子を見詰めていた。


「帰ろう」

「うん」


 璃玖は立ち上がるが、身体がだるいのかふらふらとしていた。


「いまはそれほど高熱ではありませんが、寒いと言ってるのでこれから体温が上がるかもしれません」

「分かりました。病院に連れて行きます。お騒がせ致しました」

「いえ、お大事に……」


 甘玉先生にお礼を言い、璃玖を抱きかかえて病院へと向かった。

 診断の結果、幸いインフルエンザなどではなく、ただの胃腸風邪だった。

 買い物も済ませて帰りたかったが、僕にも璃玖にも余力はなく、そのままひとまず家に帰る。

とにかく今は横になりたかった。こんなとき一人親だと不便だということを痛感させられる。


「ただいま」と声をかけると紗耶香が驚いた様子でやって来たが、璃玖が一緒だと気付くと慌てて姿を隠した。

 薬嫌いの璃玖のために粉薬をヨーグルトで溶いてやり、匙で食べさせる。弱った璃玖はちょぼちょぼと口にし、精彩を欠いた顔で嚥下した。


 きっと沙耶香は病人二人が帰ってきてオロオロしているのだろう。何も出来ないもどかしさが伝わってくるようだった。

僕も風邪で身体がだるくて仕方ない。スーツを捨てるように脱ぎ散らかし、パジャマに着替えてしまう。


「パパも風邪ひいてるの?」

「ああ。なんか具合が悪くてね。璃玖と一緒だね」


 二人でベッドに横たわり、そのまま僕も濁った倦怠感に呑み込まれて眠りについていた。



 目覚めたのは寒さのせいだった。

 気付けば僕は汗まみれになっており、既にその汗が冷えてべっちゃりと不快な感覚になっていた。しかい思いきり発熱して汗をかいたからか、先ほどまでのひどい悪寒は消えている。

 璃玖は隣で鼻がつまったような寝息を立てていた。同じように汗をかいたらしく、前髪が濡れて額に貼り付いている。


「着替えなきゃ……」


 璃玖を起こさないようにそろりとベッドから降りる。


「大丈夫?」


 ようやく起きた僕を待ち構えていたように沙耶香が声を掛けてきた。


「うん。少しマシになった」


 僕はタンスに向かい、着ていたパジャマを下着ごと脱ぎ捨てて着替える。


「ごめんね。何もしてあげられなくて」

「そんなこと気にするなよ」


 璃玖の分の着替えを持ってベッドに戻る。もっと沙耶香と話していたいが、まずは璃玖を着替えさせなければならない。

 起こさないように爆弾処理班のような慎重さでそっとパジャマを脱がせたが、やはり璃玖は起きてしまった。


「気分悪くない?」

「うん……よくなった」


 裸にしてからタオルで拭いてやり、新しいパジャマを着せてやる。


「治ったわけじゃないから寝てなきゃ駄目だよ」

「……うん」


 璃玖は寝るのが好きではないのだが、体調が悪いからか素直に従ってくれた。

 そういう僕だって悪寒がましになっただけで風邪が治ったわけじゃない。

 璃玖の隣に寝転がり、順番に体温計で熱を測った。

 璃玖は37.5℃、僕は37.7℃。お互い熱はだいぶ下がったみたいだ。


「パパの勝ちだね」

「勝ち負けじゃないし」


 それにどちらかというとパパの負けのような気もする。

 思い出したように時計を見ると午後三時半だった。随分寝た気がしたけれど、実際はまだそんなに時間が経ったわけじゃなかった。


「風邪を引いてるときはとにかく寝るのが一番だ」

「しりとりしよ」

「しりとりかぁ」


 色んな言葉を覚えはじめた璃玖の最近のお気に入りの遊びだ。

 確かにしりとりなら寝たまま出来るし、体力も使わない。

 しりとりのはじめとしては定番である『リンゴ』からスタートし、打ち合いラリーが続く。

 食べ物も動物も人の名前も地名も何でもありのしりとりだが、ボキャブラリー貧困な璃玖は五度目の『す』で詰まってしまう。


「また『す』? うーんと……」

「色々あるだろ?」


 璃玖が考えてるうちに僕はまた眠くなってきた。普段は夜遅くまで起き、朝早く起きるから疲れが溜まっているのかもしれない。

 璃玖が『すずめ』や『スケート』などを思い浮かぶ前に、僕は再び眠りに落ちてしまっていた。




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