三枚のお札
最も優れたものが、最も人の心を動かすわけではない。
小説にせよ、絵画にせよ、歌にせよそうだ。
技術的に上達しただけでは人の心は掴めない。それはもちろん演劇だって、同じことだ。
四歳児クラスの演劇『三枚のお札』を観終えた僕は惜しみない拍手を送っていた。保護者の中には目にうっすらと涙を浮かべている人までいる。
演技を終えて緊張から解き放たれた子供たちは、皆それぞれの親を探して手を振りながら退場していく。璃玖も僕を見つけて満面の笑みを浮かべていた。
璃玖はセリフを大きな声でハキハキと、しかし棒読みにならないように言っていた。
それだけでない。ラストでヤマンバが巨大化するシーンでは視線をキョロキョロとあちこちに飛ばし、見えないヤマンバの巨大さを身体を使った演技で表現していた。
人に聞かせても特に関心も持たれないことかもしれない。しかし我が子のそんなちょっとした成長は親を喜ばせてくれる。
子供が賢くなるたびに、親は馬鹿になるものだ。
振り返って会場の最後方でひっそりと隠れている沙耶香を見ると、赤くなった目許を拭っていた。
生活発表会が終わり四歳児クラスへお迎えに行くと、演技を終えた子供たちの興奮で室内が熱を帯びていた。こうして一つのことを成し遂げたという喜びを覚え、子供たちはまたひとつ成長していくのだろう。
「璃玖、上手だったよ」
「うん! まちがわないでできた!」
一緒のシーンを演じた美月ちゃんとじゃれ合いながら一生懸命説明してくれる。
主語がない説明は正直なにを言っているのか分からないけれど、嬉しいということはよく伝わってきた。お気に入りの美月ちゃんと仲良く出来たことも嬉しいんだろう。
子供たちは興奮しきっており、なかなか帰ろうとしない。そんな様子を静かに見守っていた。普段のお迎えの時は子供を急かす保護者も情報交換のお喋りに夢中で、室内は賑やかになっていた。
璃玖は美月ちゃんとあちこち駆け回り、それに周りの子どもたちもつられて集まってくる。
舞台衣装を着た子どもと記念撮影をする保護者もいれば、親のスマホを勝手に持ち出して遊ぶ子もいる。
僕も今日のことを紗耶香と話したくなった。カオスと化した室内をそっと出て紗耶香と話ができる静かな場所を探した。
しかし園内のいたるところに子どもと保護者がおり、静かなところなどどこにもない。
「宗大、こっち」
紗耶香はふわふわと浮遊しながらトイレへと向かっていく。どうやら彼女も僕と親ばかトークがしたくてたまらない様子だった。
混雑した人ごみをかき分けながらトイレへと向かう。
その最中に甘玉先生と鉢合わせた。
「今日は観に来てくださり、ありがとうございました」
甘玉先生はにこやかに挨拶に挨拶をしてくる。紗耶香はじれったそうに僕を睨んできた。無視するのも失礼なので僕も立ち止まる。
「素晴らしい発表会でした。ありがとうございます。特にヤマンバから小僧が逃げるシーンで舞台全体を使うのが面白かったです」
真っすぐに走っている時はその場で足踏みをし、曲がったりジャンプするところは実際に動いて舞台上を動くという演出はスピード感も感じて面白かった。
「え、そうですか? ありがとうございます! あれ、実は璃玖君が考えたんです」
「へぇ、そうなんですか」
「こんな風にしてみようって提案してくれて。みんなでやってみたらそれが面白かったんです」
「璃玖がそんなことを」
アイデアを積極的に提案するのは間違いなく紗耶香に似たのだろう。甘玉先生の話を聞いた紗耶香は嬉しそうににんまりと笑っていた。
「もしかして演劇とかお好きで璃玖君と観に行かれたりするんですか?」
「いえ。そんなことないですけど?」
「そうですか。実は私は結構好きで、学生の頃はたまに観に行ったんです。璃玖君は演技ものびのびとしてて上手だし、もしかして観に行ったりしてるのかなって思いまして」
ふと加西さんのことが頭を過ぎり苦笑いをする。実は近々連れていく予定なんですということはなんとなく言えなかった。




