第八話
瞼に当たる日差しに、意識が浮上する。ゆっくりと目を開けて、間近にあったヴァージルの顔に思わず体が硬直した。
また入り込んできたのね……。
よく眠っている様子の彼が目覚めないように、そっと息を吐く。
酔いつぶれた日から味を占めたようで、ヴァージルは度々私のベッドに侵入してくるようになってしまった。
流石に子供じゃないのだから、色々と不味い。
何度も諭しているのに、こればかりは口を尖らせて抗議してくるのだ。
ヴァージルが本気で押し通そうとすれば私に抵抗出来るはずはなく、目が覚めたらこのように彼の抱き枕になっている状態に既に慣れつつある。
一番困るのは、私が嫌じゃないって事よ。
誰かの傍で目覚める朝が、こんなに優しく感じるとは思っていなかった。
きっとその分、ヴァージルが此処を離れる時に苦しい程に寂しくなるに違いない。
大きい子供みたい。それか、猫。
ヴァージルが目覚めるまでの間、折角なのでその整った顔を観察した。
睫毛は長く、鼻筋が通っている。化粧もしていないのに唇は血色良く色づいて、女としては羨ましいぐらいだ。
装飾品をする男性はこの世界では一部だが、ヴァージルにはよく似合っていた。
けれど私が外してしまってから、つけるつもりはないらしい。
外せない魔術をかけられていたようだから、トラウマになってしまっているのだろう。
少し勿体ないなぁと思っていると、彼の目がぱちりと開いた。
「ヴァージル、おはよう」
「おはよ」
眠っている時はあどけなかった顔が、私を認識して嬉しそうに笑みを作る。
彼の不埒な行動を怒るよりこの顔を毎朝見られて喜んでしまっているあたり、私も大概毒されてきていた。
「はー、まだ眠ぃ」
「よく眠れなかったの?」
「ああ。そんなところ」
ヴァージルは両腕を上げて伸びをすると、何事もなかったかのように自分の部屋へと戻っていく。
本当に眠る為だけにこの部屋にくるのが、ヴァージルらしかった。
これだけ近づいてくるのに、色恋の気配を感じさせないのも凄い事である。
だから私は彼の外見にときめきそうになるのを堪え、求める通りの少し接触の多い友情に徹するのだった。
一人になった部屋で身なりを整えると、夜の間に何も起きていないか店の状況を確認しに階段を下りる。
するといつになく店の前が騒めいているのが聞こえ、開店前だが扉を少し開けてみた。
「店主さん、ですね……!」
開けた瞬間、一人の女性が勢いよく私に向かって話しかけてきた。何処かで見たような顔だが、病人のように顔色が悪い。
薬草でも求めているのかとも思ったが、それにしては様子が変である。酷く怯えた様子だった。
彼女の後ろを見ると大量の果物の入った木箱が道に積み重なっており、まるでここの場所だけ市場のような有様である。
店の前の騒めきは、その光景に何があったのかと不思議がっている人々の声だった。
「あの、どなたでしょうか?」
とりあえず現状を把握しようと彼女に声をかければ、まるで神に救いを求める罪人のように私に向かって膝をつく。
「私、マール果樹園のワンダ・マールと申します」
「ああ、確か貧血の薬草を買って体調を崩したっていう……」
言われて彼女が最近の悪評を広めていた人物だと思い当たった。
この様子では本当に体調を崩したのかもしれないかと心配したのだが、私がその事を口に出した瞬間、子供の様に泣いて縋りついてきた。
「も、申し訳ありませんでした! ここの薬草で体調を崩したわけじゃなかったみたいなんです!
でももう、噂が広まってしまって……」
まるで私が許さなければ殺されるかのような必死さで彼女は言った。
本音では困り果て恨んでもいたのだが、今のこの様子を見るにワンダ自身も困っていたようだ。
可哀想だと思う気持ちが湧き起こり、大人の笑みを浮かべてワンダに言った。
「そうだったんですね……。こうして謝って下さったので、許します。
でも、噂を否定しておいてくれませんか?」
「はい、はい! 勿論!」
ワンダは涙に塗れた顔を輝かせ、何度も首を縦に振った。
そして積み上げられた果物の木箱を私に示す。
「これは、お詫びの品です。ご迷惑分には足りないかもしれませんが……」
「え、これ全部ですか!?」
余りの量に驚いて確認してしまう。私の勘違いかと思ったが、ワンダは全ての木箱だと確かに言った。
「はい。お願いします! 受け取っていただけないなら帰れません!」
何でそんなに怯えているのか分からないながらも、罪悪感に悩まされているのだろうか。
持て余してしまう程の量だったが、彼女の様子では受け取らないとまた泣き出しそうである。
「分かりました。いただきますね」
「ありがとうございます! では、私はこれで失礼します!」
言質を取るや否や、ワンダは犬に追いかけられているかのような速度で逃げ帰って行った。
残された大量の果物を見て、どう処理しようかと頭を悩ませる。
「どうしよう。絶対、食べきれない」
「おー、なら近所に配ればいいんじゃね?」
気づけばヴァージルが扉に背を預けて、私を見ていた。
面倒事を察し、ワンダが帰るまで顔を出さないようにしていたのかもしれない。
「そうするしかないね」
「ああ、ついでにどうしてそれが大量に手に入ったのかも説明して回るといい。
そうすれば例の噂が誤解だったと広まるだろ」
「ヴァージル、頭いいね! そっか、なら果物貰えて良かった」
「だろー?」
私が自分で噂を否定する為に近所を回るより、手土産と共に回れば皆話を聞いてくれるだろう。食べる時は家族にその話も共有するはずだ。
そうでなくても今の騒動を目にした人は多いはず。近いうちに悪い噂は消える気がした。
久々に浮き立つ気分で準備をする私を見てヴァージルは目を細め、得意げに胸を張るのだった。




