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第七話

 シレネ周辺の裏社会を纏めるモーガンという男は、堂々と一等地に豪邸を構えていた。

 それはつまり、彼に表立って抵抗出来る勢力がないという事である。

 地方役人は上から下まで彼と通じる者がいたし、また裏社会においても代替わりの時に派手な抗争があったぐらいで、彼に楯突こうとする者は実際に刃を向ける前に葬られてきた。

 だから敷地内に数十人も存在するB級やA級の護衛達は殆どする事がなく、モーガンの前で背筋を伸ばしていればいいだけの実に簡単な仕事をしていた。

 ……この時までは。

「おい。お前、そこで何をしている?」

 深夜の時間帯、正門の警備員はまるで観光に来たかのように気負った風でもなく近づいてくるヴァージルに警告を発する。

 余裕のある笑みを浮かべ、剣も構えないその様子はどう見ても決死の覚悟で乗り込んできた敵には見えなかった。

 何も知らず迷い込んでくる者が稀にいるので、この男もそのような類だろうと警備員は推測する。

「それ以上近づけば、腕を落とすぞ」

 何処までも呑気に近寄ってくる男に、ここが危険な場所であると教える為に剣を抜く。

 実際、言葉通りの事をしても構わないと思いながら。

 ヴァージルは少し、足を止めた。

 警備員が何が起きたのか認識できたのは、そこまでだった。

 重い音と共に地面に落ちた頭は、ヴァージルに対して警告用の厳しい顔をしたまま動かなくなる。

 剣を抜く速さが早すぎて、全ての認識が追いつかなかったのだ。

 ヴァージルはそれに目を向けることなく、剣に付いた血を払った。

「目立つとまずいよな……。よし」

 彼の足元から黒煙が立ち上り、狼と豹が十匹ほど現れる。

 二回りほど通常の獣よりも大きく、まるで軍隊の制服のように一様に黒い色をしていた。

「空も見ておくか」

 ヴァージルが呟けば、ゲイザーと呼ばれる目玉に触手が生えたようなモンスターが三匹飛び出し、宙に浮いた。

 通常、魔術師の使い魔は一匹から二匹である。

 それは契約で深く結びつく為に数が多ければ正気を保てなくなるからだった。

 その常識を知る者がいたらこの光景は正に異様と言えた。

 それら全てを当然のように従え、屋敷を指さして王のように命令を下した。

「逃げる奴がいたら、殺せ」

 その一言を合図に、呼び出された使い魔達は敷地内に散っていく。

 沢山の使い魔がいるとはいえ、ヴァージルは殆ど全てを自分で殺すつもりだった。

 獣に襲われた痕があれば、自分の仕業だと分かってしまう。

「行くか」

 そして悠々とした足取りのまま、ヴァージルは屋敷へと歩みを進めた。



 自室で既に体を休めていたモーガンは、普段と同じ静けさの夜の僅かな違和感に覚めた。

 理屈ではない。勘でしかなかったが、こういった時の勘はいつでもモーガンを助けて来た。

 何かが起きているかもしれない。確認しなければ。

 ベッドから降りるとナイトガウンを寝巻の上に羽織り、呼び出しのベルを鳴らす。

 チリン、

 この音が鳴れば、一分もせず人が来るはずだった。

 それを守らなければ、この屋敷にはいられないのを知らない者はいなかった。

 ……なのに、誰も来ない。

 何度かベルを鳴らしてみて、状況が変わらない事で違和感が確信に変わる。

 何かが間違いなく起きている。

 モーガンは舌打ちをしつつ、壁にかけてある長剣を手に取った。

 自分の腕に自信はないが、時間を稼ぐ事は出来るだろう。その間に護衛達と合流さえ出来ればいい。

 しかし外から足音が近づいてくる。それは巡回の警備員達のような、落ち着いた足音だった。

 私の思い過ごしだろうか?

 僅かな逡巡。しかし扉が静かに開かれた時、見覚えのない男の姿に逃げ時を失った事を悟った。

 長い間、闇に身を沈めて来たからこそ分かる。

 この貴族の愛人でも務まりそうな顔の整った男は、化け物だろうと。

 騒ぎも起こさず、返り血も浴びず、汗一つかいていないのがその証拠だ。

「いた。アンタがモーガンさん?」

「……ああ、そうだ」

 この期に及んで見苦しい真似をするつもりは無かった。

 モーガンは剣を下げ、椅子に座って客を迎えた。

「上手く対処してきたつもりだったが……君は一体誰の差し金かね?」

 ヴァージルは困ったように頬を掻いて口を開く。

「俺の友達が地上げ屋に狙われててさぁ。バーナードって名前だったけど、知ってる?」

「いや……知らんな」

 この町で悪事に手を染める者でモーガンに関わりのない者はいない。

 しかしモーガンが顔を知るのは上層部の一部だった。

「そりゃあ悪い事をした。俺はそんなに頭が良くねーから……モーガンさんの首でもあいつの事務所に放り投げておけば、友達の店どころじゃなくなるかなって思ってさ」

「ははははは!」

 まさかそんな些細な事で自分の最後を迎えるとは思わなかった。事故のようなものではないか。

 無性に馬鹿馬鹿しくなり、自分の髪を撫でつけて椅子に深く沈み込む。

「傲慢は強者の特権だ。散々俺もそうして来たのだから、今更自分だけその理から逃れようとは思わん。そうだろう? 暴食のヴァージル」

「へぇぇ……知ってるんだ。俺の事」

 ヴァージルの影が一層濃さを増す。酷くゆったりとした動きでモーガンに近づき、向かい合うように椅子を引いて座った。

「魔天会とは、私も付き合いがあるからな。まさか七刃の一人と直接会うとは思ってもみなかったが」

「俺、噂になってる?」

「まだ知らない者の方が多いだろう。けれど秘密というものは、必ず何処からか漏れるものだ」

「あー、面倒」

 ヴァージルは眉を顰めたが、直ぐにその不機嫌さを消して明るい口調で言った。

「ところで、相談したいんだけど。友達の店に面倒な噂流されちゃってさぁ。どうすりゃいいと思う?」

 とても殺す者と殺される者の会話ではないが、どちらも気にした風ではなくモーガンも真摯にその相談に乗った。

「噂には噂を流して消すのが一番だ」

「……そっか。ありがと、方法思いついたかも」

「それは良かった」

「ああ。それじゃあ……悪いけど」

 ヴァージルは立ち上がり、モーガンに向かって剣を突き付けた。

「痛くないようにはしてやるよ」

 モーガンも今更逃げるような真似はしなかった。

 裏社会で名高い魔天会の作り出した七人の殺し屋。七刃の手にかかって逃れられた者はいないのだから。

 諦めるように目を閉じて、その瞬間を待った。

 全てが終わり、ヴァージルは落ちた首をシーツで包んで運びやすくする。

「バーナードの所に持っていく前に、噂を流したっていう奴の所に挨拶に行かねぇとな。

そうだろ? モーガンさん」

 何も語らなくなった男にそう話しかけると、ヴァージルは来た時と同じような悠々とした足取りでその場を立ち去ったのだった。



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