第五十八話
私達はシレネの町に小さな薬草店を再び構えた。
元の場所は人手に渡ってしまっていて戻れなかったが、近くの似たような建物を借りたのだ。
嘗ての常連客は戻ってきた事を喜んでくれ、また顔を見せてくれるようになった。
ヴァージルと共にならどんな危険な場所にも行けるので、最近では貴重な材料を取り扱っていると以前よりも評判になったぐらいだった。
ドアベルの音が鳴ってカウンターから店の入り口を見れば、外に出ていたヴァージルが入ってくる。
「おかえり、ヴァージル」
「ただいま」
彼は元冒険者だと近隣の住人には思われている。アストーリ侯爵は約束を守り、ヴァージル達の罪を消してくれた。けれども過去を近隣の住人に不必要に知らせるつもりはないので、いつも実力を隠しているのだった。
そんなヴァージルは社交的ではないものの本当の困り事には力を貸してあげるので、それなりに近隣の住人から頼りにされている。
隣の椅子に座ったヴァージルに、商店街の会長さんに呼び出された内容を聞いてみた。
「今日は、どうだったの?」
「あー、道を大木が塞いでた」
道が塞いでしまうと商品が遅れたりするので、きっと皆助かったに違いない。
こうして人に頼られて、お返しに何か贈り物をもらったりする。今のヴァージルはすっかり日向の住人で、誰もあの暴食だったとは思わないだろう。
「そっか。お疲れ様」
笑顔を向けて労うと、ヴァージルも笑って私の頭をくしゃりと撫でた。
「そういえば、オズワルドから手紙が来てたよ」
「オズワルド?」
上質な紙で作られたヴァージル宛ての封筒を渡すと、ペーパーナイフで開封した。
手紙を取り出してざっと目を上から下へと動かしていく。
通信機でも長話の傾向がある彼の手紙は、十枚以上の長文だった。煩わしそうに眉を寄せながら読んでいるが、口元の緩みこそがヴァージルの本心だろう。
「愚痴ばっかじゃねぇか」
オズワルドはエミリアーノの後任が決まるまでという名目で、ダフネさんからの申し出でアストーリ領に残っていた。
それがずるずると長引いているので、結局あの場所が気に入ってしまったのだろう。
元灰燼のオズワルドが領地にいると知られてから、隣国もちょっかいをし辛くなったようで最近は随分と平和になったようだった。
手紙を最後の一枚まで読み切った所で、ヴァージルは機嫌よさそうに口角を上げた。
「叙任式をやるってさ。腹が決まったみてぇだな」
どうやら本格的にアストーリの騎士団に腰を据えるつもりのようだ。復讐を終えた彼にも、大切なものが出来たのだろう。
「本当? 見に行きたいなぁ」
「なら、行くか?」
遠距離にも関わらず気軽に言うヴァージルに目を瞬かせると、彼は笑いながら天井を指さした。
「ドラゴンで行けばすぐだろ」
確かに。
目立つし頻繁に使う手段ではないので忘れがちだが、長距離の移動には最適なのだった。
「そうだね。行こうか」
ヴァージルから手紙を渡してもらって日にちを確認する。一月後なので、十分間に合いそうだった。
「そういえば、神父から伝言。明日皆が見に来る前に、先に中を見せてくれるらしい」
「えー! やったあ」
教会が出来上がったとは聞いていた。明日のお披露目に皆と共に行くつもりだったが、特別に見せてくれると聞いて気分が上がる。
そうと決まれば、待っている事など出来ない。私はお昼休みを早めに取る事にして、店の看板を掛け変えた。
「ヴァージル、行こう」
いそいそと支度を終えて声をかけた私に笑って、ヴァージルも立ち上がる。二人で手を繋いで、外に歩き出した。
いつか観光案内した道を、逆に辿って行く。道を左に曲がれば、教会まで続く坂道があった。
教会は昔からのままにした部分と、新しく直した部分が混じり合っている。屋根の色は鮮やか過ぎて目立つが、年月が過ぎるうちに馴染んでくるだろう。
教会の敷地内の墓地には兄の頭蓋骨も眠っている。綺麗な場所だから、きっと安らかに眠れているに違いない。
帰りに兄の墓に寄ってから帰ろう。
そんな事を考えている内に、教会の扉の前についてしまっていた。
ヴァージルが扉を開けてくれて、中に足を進めた。
真新しい教会の中は、ステンドグラスの光に照らされて神像が厳かに見下ろしている。
私達二人しかいないのが贅沢に感じられるような、荘厳さと祝福に満ちた空間だった。
導かれているような気がして、自然と神像の前まで歩いてしまう。
美しい光景に暫し見惚れた後、呼んだはずの神父さんがいない事に気が付いた。
「あれ、神父さんは?」
「……カナ」
呼ばれて後ろのヴァージルを振り返ると、悪戯が成功したかのように笑っていた。
何が起きているのか分かっていない私の左手を取って、懐から細い指輪を取り出す。
「それって……」
彼は答えずに、そっと左の薬指に指輪を嵌めた。
ああ、これは。間違いなく。
自分の身に起きている事が分かって、顔が赤くなっていく。神父さんにも協力を仰いだに違いない。
目を潤ませだした私を愛おし気に見つめ、ヴァージルは言った。
「俺の光。俺の世界。俺の全て。
生涯カナを守り抜く。何からも、誰からも。
だから……妻と呼ぶ権利を、俺に許してくれ」
答えなんて、決まってる。
「うんっ……!」
笑顔で答えた途端、ヴァージルに両腕で抱き上げられた。
「もう、取り消せねぇからな!」
私以上の笑顔を浮かべて、ヴァージルはそのまま私を抱きしめる。足に地面が付かない状態で抱えられ、猫のように擦り寄ってきた。
その表情に嘗て孤独に生きた陰はもう見えなかった。
藻掻き続けた青年は、幸福の答えを知ったから。
嘗てヴァージルは私と一つになりたくて使い魔の魔術を使った。それは途中で止められて、二人は別々の生き物のままになった筈だった。
けれど今、淡く笑うヴァージルが何よりも近い存在に感じる。一つになるよりも、ずっと近い。
きっと私達は随分遠回りをして、彼が本当に望む二人の形に辿り着く事が出来たのだろう。
ヴァージルは私を地面に降ろし、私の左手に嵌った指輪を何度も指でなぞった。
浮かれるヴァージルを見て、愛おしさが胸に溢れていく。
次元を超えた先で得た、大切な人。貴方が隣にいる事こそが、私の生きる理由。
目を細めた彼に誘惑されて、私はその唇に口づけをした。
二人の想いは重なり、一つになっていく。
そうして私達は、祝福に満ちた愛を手に入れた。




