第五十七話
オズワルドは姿を見せたヴァージルとカナの姿に、安堵して気が抜けてその場に座り込んでしまった。
カナの手を握って笑うヴァージルの顔は、どうみてもザカライアのように精神が壊れたようには見えない。
理由は分からないが、とにかく戻れて良かった。
「はは、あの約束は……無かった事にして良いみたいだね」
「オズワルド」
オズワルドに気が付いて、ヴァージルが近寄って来た。怪我だらけだが、深刻なものはなさそうだ。
カナも肉体的には傷つけられなかったようで、オズワルドを見て笑いかけてきた。
この光景が、僕はどうしても見たかったらしい。
一足先に大事な人を見つけたヴァージルに少し嫉妬しながらも、上手くいく事を願っていた。
「おかえり。カナ」
「ただいま。オズワルド」
胸の奥が熱くなって、本心からの笑みが溢れる。
「全部、終わらせた」
ヴァージルがオズワルドに淡々と告げた。本当はオズワルド自身が止めを刺したかったが、出来なかった代わりにヴァージルが実行してくれたのだ。
最後頼ってしまい、そして望みを叶えてくれたヴァージルには感謝しかない。
彼が事務的にオズワルドに告げるのは、心情を慮ってくれたのだろう。
「そっか」
「シーグフリードの死体は、一番奥の部屋に転がってる。斬るなり焼くなり、好きにしろよ。お前の悲願だろ」
こんな人生にさせられた復讐がしたかった。
あの残酷な男に、自分が味あわされた苦しみを全部返してやりたかった。それだけが自由になった僕の願いだった筈だ。
それなのにあの男がいざ死んでみると、解放感だけがこの胸に満ちている。
「……アイツは最後、どうやって死んだの? 苦しんだ?」
「死ぬのを怖がってたよ。ヴァージルに胸を貫かれて、必死で血を止めようとしながら死んでいった」
カナが心配そうな顔を向けながらそう教えてくれた。
何度も妄想の中で、シーグフリードを拷問した。苦痛に悶えさえ、命乞いをさせて、自分がそうしてきたように、他者に弄ばれる生というものを嫌という程思い知らせて殺したかった。
それに比べれば、余りにも物足りない死にざまである。しかし、何故かオズワルドの胸には悔しさが湧いてこない。
あの男に相応しい、惨めな最期じゃないか。
そうとさえ思えた。死人となったのを認識してから、急速にシーグフリードの顔が色あせて過去になっていく。
深く息を吐いて、この不思議な爽快感を笑顔に変える。
「そう……。なら、もういいや」
これ以上少しだって、アイツの為に自分の時間を割いてやるもんか。
自由になったんだ。本当の意味で。
ヴァージルが変わったように、自分もこの二人と過ごすうちに何かが変わったのだろう。胸の中に渦巻いていた憎悪が昇華され、体から気が抜けて行く。
大の字になって寝転んだオズワルドを心配してカナが顔を覗き込む。しかしその表情が清々しいものであるのを見て、ほっと安堵の息を吐いた。
復讐が終わり、燃え尽きて抜け殻になってしまうかと危惧していたのだ。けれどこの表情に空虚さはない。
「所で、その頭蓋骨は何?」
オズワルドに今更カナが抱えている真っ白な頭蓋骨に対する疑問が湧く。
「怨嗟の玉だよ。私のお兄ちゃん」
「は?」
「異世界人が世界を呪いながら死んだら、こうなっちゃうんだって。でも今はもう、普通の頭蓋骨だけど」
寂しそうにカナが言う。シーグフリードがカナを攫った理由を理解した。
強欲にももう一つ同じものを作ろうとしたに違いない。シーグフリードの欲深さに呆れ果てる。
「そっか。会えて良かったね」
「……うん」
少なくとも怨嗟の玉として使われ続けるより、家族の元に帰れて幸せな筈だ。
怨嗟の玉が現れたのは随分昔の事だ。時系列的な疑問が湧いたが、そもそも世界をまたぐという人知を超えた奇跡の現象である。時間が歪んでもおかしくはない。
それよりも異世界人が怨嗟の玉の元になるならば、カナにも変貌の可能性があるという事だ。
存在するだけで死体を周囲に築き上げたという、恐ろしい物に。
けれどヴァージルが全てから守るなら、カナが世界を呪う事は絶対にない。
怨嗟の玉になる可能性があるカナにはヴァージルが必要だろうし、ヴァージルにはカナの善良さがなければ歯止めの利かない恐ろしい存在になっていたに違いない。
お互いを補い合う、これ以上ない二人だと思った。
当面の間の世界の保証がされた事に安堵し、オズワルドは体を起こして戦闘で荒れた周囲を見渡した。
魔天会の生き残りはいるかもしれないが、隷属の呪具が使い物にならなくなった今、態々ヴァージル達に向かってくる者はいないと思われた。
「……騎士団の奴らに終わったのを報せねぇとな」
ヴァージルがそう言って、影から自身の持つ最大の使い魔を呼び起こす。
ドラゴンは翼を動かし空へと飛翔すると、大きな口を上げて咆哮する。
「グオオオオオオォォォォン!!」
勝利の声が響き渡っていく。鳥も獣も人も、耳を奪われて空を見上げた。
森の外れにて仲間の騎士達と共に魔天会の手下達を倒していたダフネにも、その知らせが届く。
血に塗れた剣を拭い、鞘に納めた。周囲には倒した敵が地面に伏しており、もう向かってくる敵はいない。
「借りはこれで、返したぞ」
ヴァージルに聞こえないと知りつつも、笑いながら言った。
ドラゴンを使ってこうやって知らせてくる余裕があるという事は、彼は大切な者を取り返したのだろう。
アストーリ領として、これまで国内を散々荒らした魔天会を滅ぼした一助となれた事は名声を得る事になる。
けれどそれ以上に、傍目から見て痛々しい程に求めていた者を彼が取り戻せた喜びの方がダフネには大きかった。
終わった実感を得て、大きく息を吐く。そして地面に倒れて動かないエミリアーノに静かに近寄り、しゃがんでその顔を覗き込んだ。
「……お前とは、別の形で会いたかった」
敵と味方に分かれる事無く、本当に只の友として出会いたかった。魔天会が無ければ、あり得たかもしれない。
「どうか、安らかに」
数えきれない程の孤児達の悪夢も、今日で終わりだ。
ダフネは開いたままの目をそっと閉じさせると、静かに冥福を祈った。
揚々とドラゴンが舞う空の下で、オズワルドが呟いた。
「これから、どうしようかな」
随分身軽な立場だった。旅に出ようか。それとも、寄る辺を作ろうか。
目の前に開けた広大な自由に、進む先が決まらない。
「直ぐに決める事はねぇだろ。一先ず侯爵の所に顔出しに行くしな」
「……そうだね。ヴァージル達は?」
「また、前みたいなお店をやろうと思ってるの」
カナが目を輝かせてそう言った。この二人ならば、きっといい店になるだろう。
「見に行くよ」
故郷は無い。家族も無い。けれど、友達は多分二人いる。
今はそれで充分。此処から全てを始めるんだから。
オズワルドは未来の決まっていない自分を喜び、顔を綻ばせる。
三人は揃って、勝ち鬨の咆哮を上げるドラゴンに暫く魅入ったのだった。




