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第五十三話


 怪我の痛みなど感じないザカライアが、無表情にシーグフリードに跳躍する事でその戦いは始まった。

 一気に肉薄し、シーグフリードに剣を振り下ろす。シーグフリードはそれを軽やかに避けて突きを繰り出す。

 突きを半歩下がり身を捩る事で裂けたザカライアが、返す手で下から剣を斬り上げた。

 シーグフリードの胸に微かに当たるが、致命傷には程遠かった。

 矢張り、相当に弱っている。

 ザカライアの力の弱さを実感し、堪えきれない笑いが浮かぶ。

万全の状態でザカライアに向かってこられていれば、シーグフリードの勝利は怪しかった。

前線で戦う事のないシーグフリードの剣術の腕前は、鍛えてはいるもののザカライアには劣る。

 けれど今の状態ならば、シーグフリードの勝利は約束されているようなものだった。

 ギィンッ、ギィンッ

 二人の剣戟の音が響く。まるで踊っているかのように鮮やかな剣捌きだった。

 正気を手放すほどにあらゆる剣技を習得したザカライアと、三百年を生きてきたシーグフリード。

 両者の研ぎ澄まされた剣がぶつかり合い、火花を散らし、鎬を削る。

 交じり合った剣越しに冷たい目が見つめ合ったかと思うと、弾いて距離を取り、再び剣を交わす。

 互いの体に、少しずつ剣の傷が出来ていく。しかし致命的な一撃をどちらも繰り出せない。

 けれど、時間が経つにつれてザカライアの足元には血溜まりが出来ていた。

 少しずつザカライアの動きが鈍っていくのを、シーグフリードは確かに感じ取っていた。

「ヴァージル。聞こえているのでしょう?」

 剣を振るいながら、シーグフリードはザカライアを通してヴァージルに話しかけた。

 ザカライアの剣が鈍ってきた為、話しかけるだけの余裕が生まれたのだ。

 ヴァージルはシーグフリードの作品の中でも、とりわけ優秀な出来だった。あれほどの使い魔をいとも容易く所有する能力は、後にも先にも出てこなかった。

 手を離れたからこそ、その強さを尚更実感する。それでも、シーグフリードはヴァージルに負けるとは微塵も思っていなかった。

「初めての自由はどうでしたか。恋人まで出来て、さぞや楽しんだのでしょう。でも、それも此処までです」

 嘲り嗤いながら挑発する。

「出てきなさい。可愛らしい恋人を、殺されたくなければ」

 何故ならばシーグフリードの目から逃れる事が出来る者は、ザカライアしかいないのだから。

 シーグフリードの剣が遂に、ザカライアの胸に突き刺さった。

 無機質なザカライアの目がその衝撃に僅かに揺れる。

剣を捩じられ、抉られて。しかし、心臓に届く前に黒煙となってザカライアの姿は掻き消えた。

ヴァージルが完全に殺される前に呼び戻したのだ。

シーグフリードは軽くなった剣をつまらなそうに振るい、血を払った。

 ザカライアを殺しきる事は出来なかったものの、あの状態では当分動かせないだろう。

 ならば後はヴァージルを見つければいいだけだった。

「隠れ鬼ですか?……お前の児戯に付き合ってやれるほど暇ではないのですが」

 わざとらしく肩を竦めて、呆れた声をだした。ヴァージルがそのつもりならば、出てこざるを得ない状況を作ってやるだけだった。

「ならば、カナさんをお連れしましょう。そして指を一本ずつ切って差し上げます。全部落とす前に、出て来て下さいね」

 シーグフリードは本部へと踵を返す。カナを連れてくる為だった。

「『アイスレイン』!」

 しかし、それを防ごうとするかのように氷の雨がシーグフリードに降り注いだ。

 ドドドドドッ!!

 急いで防御魔術を展開し、氷の刃を防ぐ。もう一人の脱走者を思い出し、シーグフリードは苦い表情をした。

「オズワルド……!」

 しかし周囲を見回してもオズワルドの姿は見つからない。ならば適当に魔術を放ったのだろう。

 ならば脅威ではない。移動してしまえば済む事だ。

 シーグフリードは地面を蹴り、自分の居場所を分からないようにさせようとした。しかし。

「『サンダーフィールド』!!!」

 スガガガガガアァアアァン!!!!

 雷の範囲攻撃が再びシーグフリードに降り注ぐ。二回も当てるなど運が良い事だ。

苦く思いながら、それを防御魔術で防ぎつつ移動する。流石に三回目は無い筈だ。

「『サンダーフィールド』!!!」

 スガガガガガアァアアァン!!!!

 しかし、オズワルドは再びぴたりと魔術をシーグフリードに向けて当てて来た。

「な……!」

 どうして場所が分かる!?

 流石に顔色を変えて、シーグフリードは防御魔術を展開させつつ駆け出した。

 オズワルドはとうとう手にした復讐の機会に堪えきれない笑いを浮かべ、魔力を出し惜しみせずに範囲攻撃を使い続けていた。

 ずっとあの男を憎み続けて来た。体に刻み込まれた苦痛の全てを、晴らす時こそ今である。

 その隣にはヴァージルが立ち、見通せない筈の木々の向こうでシーグフリードの位置を的確に示していた。

「三時方向。二百メートル移動した」

 ヴァージルの指の指示に合わせてオズワルドは魔術を展開する。

「『サンダーフィールド』!!! 『サンダーフィールド』!!! 『サンダーフィールド』ッ!!!!!」

 魔力の枯渇など知った事ではない。オズワルドはこの時の為に、全てを磨き上げてきたのだから。

 降り注ぐ雷が、一帯を焦がしつくす。シーグフリードの防御魔術が遂に破壊され、その脳天に雷が直撃した。

「ぐぁっ!!」

 焦げた地面に倒れ伏し、歯噛みしながら大地に手を付けた所で漸くシーグフリードは気が付いた。

「地面か……!」

 シーグフリードは浮遊の魔術を使い、足音を消した。

 それを悟ってヴァージルは舌打ちする。地面にサンドワームを潜ませ、振動でシーグフリードの位置を当てていたのだ。

「チッ……バレた」

「……ヴァージル、僕がどうして広範囲魔術を極めたのか教えてあげるよ。適当に撃っても、それなりに当たるからさ」

 オズワルドはそう言って、再び攻撃魔術を発動させた。

スガガガガガガガガガァン!!!!

 四方八方に、雷が落ち、閃光が瞼を焼き尽くす。焦げた臭いが鼻に届いた。

「はぁ……はぁっ……」

 オズワルドは全ての魔力を出し尽くして、肩で呼吸をし始める。これ以上は、少しも魔術を出せない所まで絞りつくした。

 青白くなった顔で、オズワルドは汗を拭きながらヴァージルに聞いた。

「……どう? 倒した?」

「地面に落ちて来た気配はねぇな」

 それはつまり、シーグフリードはオズワルドの魔術を耐えきったという意味だった。

「畜生ッ!」

 オズワルドは唇を噛み締め、力の入らない体で木を殴りつける。

 全てをぶつけた。それでもなお、シーグフリードには届かなかったのだ。

 カナを助ける事も出来ないままこのまま何も出来ず、終わるのだろうか。

 このままあの男を逃してしまえば、もう二度と見つける事は叶わないだろう。寿命のないシーグフリードは息を潜めながら、ゆっくりと組織を再び作ればいいだけなのだから。

「ヴァージル」

 オズワルドはヴァージルを仰ぎ見た。自分の無力さに打ちひしがれながら、それでも最後にこの男ならばどうにかしてくれるのではないかという一縷の希望を持って。

 ヴァージルはシーグフリードがまるで見えるかのように、木々の向こうに視線を向けていた。

 それから口角を片側だけ吊り上げて、笑った。

「はは、」

 嘲笑うようでもなく、やけになったようでもない。ただ、妙に清々しいその表情に嫌な予感がした。

「結局こうなるのか」

 ヴァージルはオズワルドを見ると、肩に手を置いた。

「オズワルド。……カナを頼んだ」

「どういう意味?」

「元通りの、普通の生活が出来るように助けてやってくれ。……俺はもう、戻れないだろうから」

 オズワルドは理解した。彼がやろうとしている事と、失おうとしている物を。

 いつだって僕達は諦めるしかなくて、ヴァージルは唯一手放したくない者の為に、自分自身さえも諦めようとしているのだ。

 ああ、これは惜別の顔か。

 胸倉を掴んで、止めろと叫びたかった。

 けれどこの道を選ばせた自分が、どうしてヴァージルの決断を止められるだろう。

 胸にどうしようもない切なさが込み上げる。

「……ヴァージル」

 シーグフリードをここまで追い詰める事が出来たのは、ヴァージルが共に戦ってきてくれたからだ。

 そして全てを捨てて、シーグフリードに終焉を齎そうとしている。

「約束するよ」

 命を懸けて。

 ヴァージルはオズワルドに信頼の笑みを浮かべると、背中を向けて歩き出す。

 最後にヴァージルは、誓うように右手の指輪にそっと口づけした。



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― 新着の感想 ―
[良い点] ザラカイアの戦闘シーン。 消えちゃう前に 呼び戻してくれてほっとしました… オズヴァルドの闘い方。 全てを今に込めて、という身を削るような魔法。 ヴァージルが後を頼める程、信頼できる関係…
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