第五十二話
ヴァージルがザカライアの元に辿り着いた時、血塗れのザカライアが一人で佇んでいるように見えた。
けれど次の瞬間、突如として姿を現したプルデンシオがザカライアと剣を交わしていた。
二人の周辺には血が周囲に飛び散り、互いの体の全身に剣で斬られた傷が出来ている。
どちらがより酷いとも言えないような、互角の戦いだった。
こうなったのは、二人が持つ能力のせいである。
神速のプルデンシオ相手では、ザカライアの足は追いつけない。
けれど、どれほどプルデンシオの足が速くても唯一ザカライアの剣の間合いに入ってくる瞬間が存在した。それは攻撃の瞬間である。
間合いにさえ入れば、ザカライアの剣技で必ずプルデンシオを斬りつける事が出来た。
だから二人の戦いは互いに互いを同時に切り合う耐久勝負となったのだった。
再びプルデンシオの姿が見えなくなる。次の瞬間にはヴァージルの間合いの外で、肩で大きく息をしながらヴァージルを見ていた。
「邪魔しないで……お願いよ」
ヴァージルに近寄らないのは、ヴァージルの足元の影から使い魔の不穏な気配を感じているからだ。実際、迂闊に飛び込んでいれば状態異常を引き起こす毒が周辺に漂っていた。
逃げるだけならともかく、倒そうとするならばプルデンシオにとってヴァージルは厄介な相手だった。
アードルフの拳を受けてヴァージルも相当なダメージを負っているようだったが、瀕死に近いプルデンシオとは比較にならない。
「無理な相談だな」
その言葉を聞いた瞬間、プルデンシオの姿が消える。足元の地面には恐るべき脚力で跳躍した跡が抉れるように残った。その方角を見て、ザカライアに向かったのだと即座に理解する。
ザカライアは凄まじい反射神経でプルデンシオの剣を僅かに斬られる程度に抑え、代わりにプルデンシオにも同じような傷を作り上げる。
両者が切り結ぶ一瞬、ヴァージルはシルフに風の魔術で自分の剣速を上げさせてプルデンシオの体を捉えようとした。しかし、届く前にプルデンシオに逃げられてしまう。
やはり素早さでは勝てない。
ヴァージルは多数の使い魔を呼び出し、面で攻撃させる事で動ける場を少なくしていく。
サラマンダーの炎の壁がプルデンシオの背後に立ち昇り、空から魔術弾を放つ怪鳥達が逃げ道の選択肢を減らし、プルデンシオが自由に動ける場所が狭まっていく。
しかしプルデンシオもただそれを待つだけではなかった。反応速度が若干遅いヴァージルの方を狙い、背後から肩を切りつけた。血が噴き出す。
けれど深くその剣が肉に沈む前に、ザカライアの援護が来た事でプルデンシオは離れざるを得なかった。
使い魔であるザカライアを手足のように操る事で、ヴァージルは双子以上に同調した動きをする事が出来た。
あたかも一匹の獣のように、二つの体でプルデンシオを追い詰めていく。
少しずつ、少しずつ、プルデンシオの動きが捕捉されていく。血は流れ、体力の限界なのだろう。
そしてとうとう、ザカライアがプルデンシオの剣を受け止めた瞬間に、ヴァージルの剣がプルデンシオの腹を深く切り裂いた。
もう、逃げる事は出来ない。プルデンシオは足から力が抜け、地面に両膝をついた。
間近で壮絶な斬り合いの末に血まみれになった顔が笑う。
「……いやぁねえ」
ぽつりと呟くその声にせめて最後の言葉だけでも聞いてやるかと、剣を首に振り下ろそうとしていたザカライアの動きを止めた。
「一人は嫌だから。連れて逝こうと思ったのに」
そう言って、ヴァージルの命令で止まったザカライアに視線を向けた。
「悪いな。認めらんねぇ。……まだ、俺にはこいつが必要だ」
「……知ってる」
死に向かっていると思えない程穏やかな顔をして、プルデンシオはヴァージルを見た。
「何もかも認めたくなくて、こんな自分は自分じゃないと信じたくて……でも何処にも逃げられなくて。貴方が羨ましいわ」
「そうか」
「……私と貴方、何が違ったのかしら」
「何も違わねぇよ」
ヴァージルは只淡々とその言葉を受け止めた。
「ずるい、わ」
やがてプルデンシオは崩れ落ち、地面に倒れて動かなくなった。
ヴァージル達が勝ったのである。しかしその勝利を素直に喜べない程、ザカライアが酷い状態だった。
「……チッ」
ヴァージルは思わず舌打ちした。
「動かせるか?」
ヴァージルはザカライアの状態を確認する。怪我が酷く、長時間動かす事は難しそうだった。
出血の酷い腹部の傷は、焼いて止血する。感情のないザカライアでなければ、痛みで気絶していたに違いない荒治療だった。
出来る事ならばすぐにでも影に仕舞って回復に専念させてやりたい所だが、この後に残っている男のせいでそれは出来ない。
その時、本部を監視していた使い魔が異変をヴァージルに伝えて来た。
一人の男が、岩窟の中からドラゴンがいるにも関わらず出て来ようとしていた。
「来たか……!」
この状況で出てくる者など、もう一人しか存在しない。
幻惑のシーグフリード。
魔天会の創設者にして、頭首であり、全ての元凶である。
ヴァージルはその男が前線で戦う姿など見た事が無かった。頭首として、あるいは奴隷たちの主人としていつも命令を下すだけである。傲慢なる絶対的支配者。それがシーグフリードだった。
所有物如きの為に、自ら出向かない性格である。出て来るならば手駒を全て失ってからだと思っていた。
そしてその想定通りに今、男はヴァージルの前に姿を見せようとしている。
ヴァージルはシーグフリードが完全に姿を現す前に、すぐさまドラゴンを影の中に呼び戻した。それだけではない。監視を含めたあらゆる使い魔達を一斉に消した。
共有した視覚を通して、精神魔術をかけられる危険があるからだ。
彼は目があった者の感情を意のままに操る事が出来た。
つまり目を合わせてしまった瞬間、敗北する。
目を見ずに戦う事はどれだけ難しいだろうか。少しでも目を認識してしまえば、シーグフリードの術中に嵌るのである。
顔を背けるなどといった小手先の手段では逃れられない程、シーグフリードは些細なもので十分だった。
盲目のままに戦える者でない限り、その術から逃れられはしないだろう。シーグフリードの前に怪力も剣術も魔術もさして意味はない。
そして多数の使い魔達の目を借りて戦うヴァージルとは、非常に相性が悪い相手だった。
ヴァージルは自分の使い魔であるザカライアを見る。何処まで耐えられるか分からない。けれど、他に手段はない。
「ザカライア。俺と、オズワルドと……お前自身の仇を取って来い」
まるで友に語るように肩に手を置いて、そう言った。
そしてザカライアは、シーグフリードを倒すためにボロボロの体で飛び出して行った。
唯一、そもそも精神崩壊しているザカライアであればシーグフリードの精神魔術を受けずに正面から戦う事が出来る。
ザカライアの攻撃の全ては体に染みついた反射的なものであり、ヴァージルが細かく指示を出す必要がないのだ。
出来るならばもっといい状態で戦わせてやりたかった。
ヴァージルはそう思いながら、ザカライアに自らの望みを託したのだった。
岩窟から出てきたシーグフリードは、荒らされた本部の前で眉を顰めた。
「酷い状況ですね」
ドラゴンのブレスによって、既に骨になる程焼かれた死体があちこちに転がっている。
カナを取り戻す為にヴァージル達が来るのはシーグフリードの作戦の内だった。しかしまさか、こうも容易く三人の刃を倒されるとは。
挟撃する為に、森の拠点に人員を多人数配置していた。本来ならば彼等が刃との戦いで支援をし、ヴァージル達を追い詰める手筈だった。
「邪魔な騎士共め……」
悪態をつく。アストーリ領の騎士団共が一つずつ拠点を潰したせいで、刃達は個別に一対一の状況で戦う事になったのだ。
ヴァージルの使い魔の厄介さは知っている。だからこそ、数で押し切ろうとしたのに。
想像を超える手下たちの無能ぶりに呆れた溜息を吐く。
七刃も自分以外は全て手許を離れた。しかしそれでも、シーグフリードに焦りは無かった。
怨嗟の玉がある限り、いくらでも同じように組織を作り上げる事が出来るのだから。
だから早々に身をさらして危険な戦いに参加するよりも、限界まで手駒を敵と戦わせて弱らせる事を選んだのだ。
シーグフリードもザカライアこそが最も警戒すべき相手だと気づいている。
逆に言えば彼さえ倒せたなら、敵の手段は無くなるのだ。
シーグフリードの前に、ザカライアが姿を現す。
血に塗れ、全身は大小の傷だらけだった。普通の人間であれば、痛みに呻き身動きが取れない程の酷い状態である。長時間体を動かすだけで死ぬだろう。
シーグフリードは自分の勝利を確信し、口角を吊り上げて歪んだ笑みを浮かべた。




