第五十一話
黒づくめの男達が岩に偽装した拠点に狭苦しく身を寄せている。その中の一人、エミリアーノは此処にまで伝わって来る激しい音に眉を寄せて呟いた。
「……始まった」
シーグフリードはヴァージル達を潰す為に、各地に散っていた兵を招集していた。森にはこのような拠点が幾つもあり、同じように魔天会の兵が身を隠しているのだろう。
如何にヴァージル達が強くとも、この数を一度に相手には出来ない。刃達の戦いの最中に飛び出し、挟撃せよという指示だった。
息を潜めてその時を待っていると、耳飾りの通信機が無機質に攻撃開始の合図を知らせた。
「いくぞ」
上司の合図に一斉に拠点から飛び出した。しかし森の中を本部まで駆けようとしていた足は、直ぐに止まってしまう。
拠点の前で立ちふさがる者達がいたからだった。その顔は、エミリアーノがよく見知った面々だった。
最も前に出ている女性の姿を見て、思わず苦い顔になる。
「ダフネ」
まったく、呆れ果てるお人よしだ。魔天会に剣を向けるなんて。
上手くいけば、アストーリ領の名声は国中に響くだろう。しかしだからといって、危険すぎる選択だったはずだ。
あの侯爵に名誉欲など無いのを近くにいたから知っている。
それでもこの場にいるという事は、損得勘定を考えつつも、結局は彼らの為に騎士を出したに違いない。
戦いは静かに始まった。ダフネが先陣を切って魔天会へと駆け出し、騎士達がその後に続く。
互いに戦闘の訓練をされた者同士一瞬での決着はつかず、森には騒がしく剣戟の音が響いた。
混戦して、互いに斬り合って。それでも元々騎士達の数が若干多かった為に、魔天会の兵士は少しずつ減っていく。
エミリアーノは騎士達に向かって、彼らの前では披露しなかった攻撃魔術を容赦なく放っていた。
戦いの最中にダフネと僅かに目があった気がした。
けれど所詮、黒づくめで兵の内の一人としか思わないだろう。只の、個性など何も期待されていない一人。これがエミリアーノの本当の姿である。
布で覆われた口で自嘲する。
ダフネに強引に連れまわされるのは、悪い気はしなかった。このお転婆な姫は頑固で、融通がきかなくて、それでいて情け深い。
けれど傍にいたのは、偽りのエミリアーノでしかなかった。困った顔をしながら後を付いて行く男を演じていただけだ。
本当のエミリアーノと、ダフネの間には何の絆もない。
その証拠に、彼女は何にも気付いた素振りもなく剣を振るってくるじゃないか。
どうしてかそのまま気付かないでいて欲しいと思った。
気づかないまま殺し合って、全てが終わればいいと。
「『マジックミサイル』!」
殺傷力のある魔術弾がダフネに向かって繰り出される。ダフネは軽やかに避けて、エミリアーノに向かって距離を詰めた。
ずっと傍で見続けていた剣だ。避けて、次の魔術を放つ。
「『メーディルフレアー』」
放射状に広がった魔術波をダフネは辛うじて避けると、剣撃を飛ばした。
「『破斬』!」
ロンメル直伝のその技が、エミリアーノの腕を切り裂いていく。血の吹き出した片腕を抑え、それでも逃げる事は許されないので呪文を口の中で唱え続けた。
「『マジックミサイル』!」
魔術弾を放つものの、ダフネは再び剣撃を飛ばして相殺する。今までモンスターに向かっていた攻撃を、自分が受ける事が不思議な気持ちだった。
きっとダフネなら次はフェイントを入れるだろうと予想し、その通りに死角から来た膝蹴りを避ける。
命がけのやり取りなのに、何故だか楽しくて笑ってしまう。良く見知った剣だからだろうか。
エミリアーノはナイフを投げると同時に魔術を放つ。ダフネはナイフを剣で叩き落し、魔術を身を捩って避ける。
彼女の纏められた長い金髪が動くたびに揺れ、思わず見とれた。やはりダフネは窮屈そうにドレスを纏うよりも、戦いの中でこそ一番輝いている。
いつまでも続けたいと願う程、この戦いはエミリアーノにとって楽しいものだった。
けれど全てにやがて終焉が来る。怪我をした片腕を狙われ、庇った瞬間に蹴りを腹にくらってしまった。
地面に倒される。気が付いた時には、ダフネは接近して剣が届く距離にいた。術が発動するまで間に合わない。
ドスッ
エミリアーノの腹に、ダフネの剣が深く突き刺さった。
「あ、」
自分の腹に刺さった剣を抜こうと両手でそれを掴む。刃で切れた手から、血が流れ落ちる。
けれど剣を更に強く押し込まれた。彼女の顔がエミリアーノのすぐ傍に見える。
眉のつり上がった一見きつい表情だが、それはダフネが堪えている時の表情だった。
何を?……ああ、そうか。
「世話になった」
もうとっくに、気付いていたのか。
「……楽しかったよ」
エミリアーノは震える唇で、それだけを言う事が出来た。
剣が体から引き抜かれると、重たい音を立てて地面に倒れた。血と共に力が抜けていき、意識が遠くなっていく。
黒布で隠された口元が微かに笑う。
思い描いていたよりも、悪くない最期だった。
◆
オズワルドは空を飛びながら、迫り来る矢を避け続けていた。
「『ミラージュ』!」
三本の矢が飛来したが、オズワルドの脇を掠めていくだけで当たらない。
オズワルドが光を屈折させて、自分の位置をイスマエルからずれさせている為だ。
向かって来た方角を見定め、前に来た矢との僅かな差からイスマエルの移動場所を計算する。
「『エールディアンランス』」
白い槍が彼方に向かって直線状に向かっていく。しかし手応えはなく、程なくして再び矢が飛来した。
「さっさと当たって欲しいなぁ」
終わらない長距離対決に、オズワルドは疲れた顔をしてしまう。
向こうも視覚をずらされているのを認識して、複数の矢をなるべく広範囲にばらけて射るようになってきていた。
矢の一本がオズワルドにまともに当たりそうになったが、展開した防御魔術がそれを防ぐ。今オズワルドは普段より薄い防御魔術を複数重ねて自分の周りに展開していた。
一層目は必ず割れる薄さだが、層状の方が矢の貫通力を殺すからである。
イスマエルとの対決の為に考えた、彼の矢を防ぐ為の対策だった。幸い狙い通りに、矢の威力は殺されて届く前に地面に落ちて行った。
「『イーディックアロー』!」
今度はオズワルドが魔術の矢を追尾させるかのように操作して、イスマエルが潜んでいそうな方角に向けて放つ。
しかしそれも手ごたえはなく、暫くして矢が再び飛んで来た。
「そうくるか」
向かい来るのは二十本ほどもある矢である。全てが威力のある矢という訳ではなく、半分以上は只の幻影だろう。
しかしそれを確かめる為には矢にこちらも魔術を当てなければならない。
「『サンダーフィールド』」
雷が矢にあたり、幻影の矢だけが跡形もなく消え去った。魔力をその分消費させるのが目的だろう。
本物の矢の方向だけを識別して、方角を探った。
嫌な事をする。後の事を考えれば、魔力を十分残しておきたいのに。
しかしこれほどの広範囲に魔力を展開させられて、容赦なく削られていくのが分かる。
魔力が切れた時、その矢から逃れる術はなくオズワルドは敗北するのだ。
再び何処からか飛んで来た矢が、オズワルドの頬を掠めていった。
「あーあ」
親指で拭い、頬の傷を凍らせる。毒があってもおかしくない。
オズワルドはイスマエルの臆病さを良く知っている。武器が弓であるのも、敵の前に堂々と姿を現す勇気がないからだ。
そんな彼が七刃と戦うにあたり、何の仕掛けもしていない筈がない。けれどこうやって血を止めてしまえば、毒は回らない。
とはいえ油断は相変わらず出来なかった。深い傷であればこのようには凍らせられなくなる。だから一撃も彼の攻撃を受けてはいけない。
そしてまた、イスマエルの矢がオズワルドに襲い掛かってきた。
こうなってくると当たるまでの根競べの様相である。イスマエルが矢を射れば、オズワルドがイーディックアローを放つ。
それが交互に繰り返され、お互いの位置を探りながら距離を縮めていく。
しかしある時からイスマエルの矢が全くオズワルドに当たらなくなった。
全身黒づくめの恰好をしたイスマエルは、弓を抱えながら位置の攪乱の為に森の中を疾走していた。
何故当たらない。
イスマエルの特技は精密な遠距離攻撃だけである。接近されてしまえば、オズワルドには勝てないのを自覚していた。
急に当たらなくなった矢を不審に思う。念の為に暫く射るのを止めて、潜伏する事にした。
弓を担ぎ、木の枝を蹴って素早く移動する。走っていると、不意にやけに荒れた場所が目の前に広がった。
土が異様に盛り上がり、木の幹には獣の爪のような跡が残っている。
ヴァージルの使い魔の痕跡だろうか。しかし、あちらはまだアードルフと戦っている筈だ。
一気に二人も相手にするような余力は無いだろう。
この場所を構わず抜けるべきか、それとも避けていくべきか迷う。
……避けて行こう。
イスマエルは慎重を期し、進む方向を変えた。すると遠くに爆発音が聞こえる。
どうやら場所が分からなくなり、手当たり次第に魔術を打っているようだった。
それでいい。オズワルドの魔力が尽きた時に必殺の矢を当てればいいだけなのだから。
そう思い、油断したその時だった。
「『サンダーフィールド』」
ズガガガガガァアァン!!!
イスマエルに雷の雨が降り注いだ。
オズワルドの広範囲攻撃の範囲内に、いつの間にか入ってしまっていたのである。
「ぐぁああっ!!」
雷の一つに直撃してしまい、イスマエルは地面に転がった。
焦がされて立ち上がる事の出来ないイスマエルの前に、オズワルドが立ちふさがって楽し気に笑っていた。
「見ーつけた」
オズワルドはわざとらしく溜息を吐いて疲れたふりをする。
「折角幻影で攪乱しながら場所探っていたのにさ、潜伏しないでよ」
「どうして……」
「モンスターの跡をつけておけば、臆病なお前は避けていくだろ? 最後の方の魔術は全部音だけの偽物だよ。派手な音を避けて、自然とこっちに来るように仕向けただけさ」
性格を知りつくされているからこその誘導に、まんまと嵌ってしまったのだった。
イスマエルは矢を三本番え、至近距離でオズワルドに放つ。けれども即座に防御魔術を展開され、届く前に地面に落ちてしまう。
「『ライトニング』」
オズワルドを中心に、全方位に雷が放射される。閃光がイスマエルの視界を奪った。
逃げる前に弓を持つ腕にオズワルドが投擲した短刀が刺さって、力が入らなくなる。
「うっ……」
その隙にオズワルドはイスマエルの足を払い、地面に引き倒してその体を押さえつけるように踏みつけた。
近寄る自分の死に、ガタガタとイスマエルの体が震えだす。
死にたくない。死にたくない。
臆病で、必死に生き抜く事だけを考えてきた人生だった。その為に他人を殺して来た。殺した事にも怯えた。
何もかもが怖かった。けれどザカライアのように壊れる事も出来なくて、結局弓を手に取るしか出来なかっただけだ。
「た、助けてくれ……ッ!」
けれどオズワルドは笑ったまま表情を変えない。
「その言葉が無意味だって、一番よく知っているのが僕らだろう?」
何百回と同じ言葉を聞いてきた。その全てをイスマエルは叶えなかった。
隷属の呪具が、自分の手を突き動かすから。
その事を互いによく知り尽くしていた。オズワルドは間違いなく自分を殺す。だってそうしなければ、イスマエルがオズワルドを殺そうとするだろう。
「あ……あ……、ああああああああああああああッ!!!」
少しだけ寂しい顔をして、オズワルドは魔術を唱えた。
「『サンダーボルト』」
ズガアァァン!!!
雷の一閃が直撃し、イスマエルは動かなくなる。手加減はしていない。
オズワルドは一先ず勝てた事に安堵すると、ヴァージルは大丈夫だろうかと顔を上げたのだった。




