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第四十八話


「ヴァージル」

 意識が戻ったのだ。カナの目から涙が零れ落ちる。こんな状況でさえなければ、抱きしめていた。

 ヴァージルは話を聞いていたようで、ふらつきながら立ち上がるとカナを背後に庇うようにしてプルデンシオに対峙した。

 カナは急いで壁に立てかけておいた彼の剣を取り、ヴァージルに渡す。

「あら? 少し不味いかしら」

 プルデンシオは少し焦った表情で剣を抜いた。しかし、一向に攻撃してこないヴァージルを見て理解する。

「あぁ……無理してるのね。そうじゃなければ、使い魔で攻撃しているでしょう?」

 ヴァージルは見透かされて舌打ちする。ドラゴンの消化は実際、まだ終わっていなかった。

 けれどカナが危険にさらされているのを感じ取り、無理矢理目覚めただけである。

 しかもドラゴンの抵抗にあっている間、他の使い魔を呼び出す事も出来なかった。

 プルデンシオは一歩、足をヴァージルに向かって踏み出した。それをイスマエルの矢が飛来して支援する。

 ドドドドッ!!!

 矢はオズワルドの防御魔術を打ち破り、ガラスのような音を立てて砕けさせてしまった。

 しかし、オズワルドは新たな防御魔術を展開しない。攻撃もしない。ただ悔しそうな顔をして、棒立ちしている。

 オズワルドは、カナを渡す事を選択したのだった。

 もうオズワルドに抵抗する気がないのを見て、プルデンシオは攻撃する事もなくただ隣を通り過ぎた。

「賢明ね」

 遮るものが無くなった部屋に、プルデンシオは悠々と歩いて入って来た。

 戦わないオズワルドにヴァージルは心底腹が立つ。

 結局、頼れるのは自分自身だけなのだ。分かっていた事だ。それなのにどうしてか、憎んでしまいそうだった。

「ふざけんなよッ……!」

 カナを取られまいと、ヴァージルは剣をプルデンシオに向かって振るう。弱っているとはいえ七刃の一人である。

 怪力により繰り出される剣は重く、常人であれば吹き飛ばされるような威力だった。

 けれどプルデンシオはそれを簡単に受け止めて、余裕ぶった笑みを浮かべてみせた。

 おちょくられている。

 この男が逃げもせず態々剣を受け止めるという事は、そういう意味だった。

 ギィンッ、ギィンッ

 剣戟の音が狭い室内に響く。しかし矢張り本調子ではない為か、幾度目かで簡単に剣を弾き飛ばされてしまった。

「ぐ、」

「あんまり無理はしないで?」

 プルデンシオはそう言って、拳をヴァージルの胸に叩き込んだ。体が壁にぶち当たり、ヴァージルは呻き声を挙げる。

 ぶり返した酷い悪心もあって、体を動かす事が出来なくなってしまった。

 元々無理をして目を覚まさせたのだ。プルデンシオとの戦いなどまともに出来る状態ではなかった。

 もう、プルデンシオとカナの間には何の障害も無い。

 プルデンシオは優雅に腰を折り、まるで騎士のようにカナに一礼する。

「さあ、お姫様。行きましょうかぁ」

「行くな……ッ!」

 ヴァージルの悲痛な声が響く。けれど何の力も無かった。

 選択肢など、最初から無かったのだ。

 カナは苦し気なヴァージルに唇を噛み締め、けれど最後には気丈に少し笑みを向けて言った。

「……待ってる」

 それは、絶対に自分を助けに来てくれると信じている顔だった。どんな事がこれから起きようと、ヴァージルが迎えに来るまでは絶対に耐えてみせる。

 そんな決意を言葉にせずにヴァージルに伝え、プルデンシオに差し出された手に自分の手を重ねる。

 カナがプルデンシオに横抱きにされたかと思った次の瞬間、二人の姿は幻だったかのように消えてしまっていた。

「カナ!」

 ヴァージルは叫ぶ。けれどもう、追いつけないのも分かっていた。

 神速の二つ名が示す通り、異常な脚力と身体強化魔術を使って移動されてしまえば、彼より早い存在はいないのだから。

 目の前で奪われ、ヴァージルは怒り狂いながら拳を床に打ち付けた。

「オズワルド! どうして行かせた!」

「今の状況じゃあ、無理だよ」

 オズワルドの言う事も本当は理解している。けれど認めたくなくて、ヴァージルは頭を抱えて声にならない声を叫ぶ。

 ダフネは何も出来なかった自分の無力さに怒りながら、そんな痛々しいヴァージルを見守るしか出来なかった。

 何の為に。何の為に、俺は今までやってきたんだ。

 全部、カナを守る為じゃないのか。

 身の内のドラゴンが暴れて、堪らずヴァージルはその場に蹲る。これを使い魔にしなければ、助けに行く事さえ出来ない。

 大切なものが手から零れようとしていく。カナが連れていかれた場所が、どれだけ恐ろしく冷たい場所なのか、ヴァージルは知っている。

 もしもカナから狂わんばかりの恐怖が伝わって来てしまったら。いや、この繋がりさえ感じられなくなってしまったら。

「……頼む」

 失いたく、ないんだ。

 誰に願ったのかさえ分からない。ただ気付けば口に出していた。


 酷い喪失感と、怒りと、無力感。

 ヴァージルの感情とドラゴンの感情が、その時ぴたりと合致した。


 それを切っ掛けにして、あれほど暴れていたドラゴンの精神が一瞬だけ嘘のように静かになった。もしかしたらヴァージルに同情したのかもしれない。

 けれどヴァージルはその油断を見逃さず、一気に飲み込んでいく。ドラゴンの誇りも、記憶も、手の中に収めていく。

 そして全てを消化し終え、ヴァージルは爪が食い込む程強く手を握りしめた。

 今、かよ。

 もう少し早く使い魔に出来ていれば、カナを奪われる事は無かっただろう。

 自分の不甲斐なさに怒りを感じる。奥歯を噛み締めて、本調子には程遠い体を起き上がらせた。

 早く。一刻も早く。迎えに行かねぇと。

 ヴァージルは影から黒煙を噴きあがらせながら、ふらふらと外へと行こうとした。

「ヴァージル!?」

「行かねぇと」

「『消化』終わったの? ねぇ、ちょっと! 直ぐには無理だって!」

 オズワルドはどうみても弱っているヴァージルの腰に抱きついて、どうにか引き留めようとする。この状態で敵陣に乗り込んだところで、犬死は目に見えていた。

「うるせぇ」

 だってカナが待っている。直ぐに行かないと、怖い思いをするだろう。

 カナを奪われた事で、ヴァージルの正気の殻が剥がれ落ちて行く。中にあるのは、狂気と暴力しかない闇の住人の姿だ。

 ぞろりとヴァージルの足元が不穏に蠢く。

 今にも彼の宿す数多の使い魔達が姿を現そうとしていた。

 オズワルドを引きずってでも移動しようとしたヴァージルの前に、ダフネが立ちふさがった。

「ヴァージルさん」

 カナの関心を奪う苛立つ女だった。けれど、カナの為に七刃に立ち向かおうとした馬鹿な女でもあった。

 何故だか無視する事が出来ず、ダフネの前で足を止めてしまう。

「魔天会へ向かうなら……協力させて欲しい。七刃は無理でも、他の構成員ぐらいなら私でも相手に出来るだろう」

 ヴァージルは何故ダフネがそう言いだしたのか分からない。命がけになる。それに対する礼など、ヴァージルがダフネに対して渡せる物はない。

「何で」

「借りがある。それに……貴方達の事が、気に入った」

 笑いながら言われたその言葉が、何故だかカナに初めて友達と言われた時の事を思い起こさせた。

 怯える目でもなく、媚びる目でもなく、謀る目でもない、温かい目だった。

「ヴァージル殿」

 気づけばアストーリ侯爵が廊下に立っていた。彼だけではない。ロンメルをはじめとした騎士団の人々も、この騒動に駆けつけて来ていた。

「どうやら、娘以外にも貴方の助力をしたい者がいるようだ。……連れて行ってやってはくれないか?」

 アストーリ侯爵の言葉に同意するかのように、力強い視線がいくつもヴァージルに向けられる。

 大事なものはたった一つ。それは変わらない。

 そのカナの隣に立つために、ヴァージルは随分自分を殺して来た。まともに見えるよう、本心を偽って努力してきた。

 けれど騎士団をドラゴンから庇ったのが、どんな理由からなのかヴァージルにはよく分からなくなっていた。

 自分は変わったのだろうか。日向に立つカナの隣に、堂々と立てる人間になれたのだろうか。

 ただ分かるのは目の前の人達がヴァージルを内側に入れてくれた事と、彼らの申し出を自分が心底有難く思っている事だけだった。

 ヴァージルの視界の端で、カナから貰った指輪が彼の正気を繋ぎとめるように光った。

 『二人でなら、乗り越えられるよ』

 いつか聞いた彼女の言葉が脳裏に過る。その記憶に導かれ、冷静さが戻って来る。

 ……カナ。

 だからヴァージルは足を止めて黒煙を消し、彼らの言葉に耳を傾けた。

「まずは、作戦を練ろうよ。ヴァージル。僕達だけじゃないみたいだしさ」

 オズワルドの声も今は苛立たない。だからヴァージルは焦る気持ちを必死で静め、頭を下げた。

「ああ、頼む……力を貸してくれ」


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― 新着の感想 ―
[一言] ぐぐぐ、苦しい状況が続きますね。 一人は速さ特化だったんですね。 呪具を使って人を操る人が、カナに何の用事でしょうか… 居なくなって欲しいと思うのなら分かるんですが。 終盤に差し掛かって…
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