第四十七話
ヴァージルの見舞いに来たダフネは、扉の前に腕を組んで佇むオズワルドを見て片眉を上げた。
「……まだいたのか。休まないのか?」
オズワルドは此処の所ずっと彼等の傍にいて、見守るように警戒を続けていた。
彼らの事情は聴いている。魔天会から抜け、倒そうとしているらしい。
「うん。こういう時だからね」
「そうか……」
安心して休んで欲しいとも言えない自分の弱さに、歯噛みした。
城の中でさえも警戒心を解けないのは、彼らを狙って来る者がいたとしたら相当な実力者になるのを知っているからだ。
ヴァージルが起きている間は、ドラゴン退治している間でさえ使い魔の監視網をこの城に張り巡らせていた。けれどそのヴァージルは今、精神での戦いを強いられて使い魔を一匹たりとも出せるような状況ではない。
オズワルドは身を隠すか、それとも人目の多いこの城に留まる事で魔天会が目立つのを嫌がるのを期待するか。迷った末に後者を選んだのだった。
本当ならば、危険だからと城から出て行ってもらうべきなのかもしれない。
けれどここまで世話になった恩人を外に放り出す事など出来ないと父上が宣言した為、この城に留まってもらっている。
それは騎士団やダフネの気持ちと一致していた。
ダフネがドラゴン討伐に行っている間に起きた事は聞いている。まさかエミリアーノが裏切っているとは思わなかった。
自分の見る目の無さに腹が立ち、拳を強く握りしめる。
カナさんにも借りが出来てしまった。
扉を静かに開けると、ヴァージルの隣に座るカナの姿があった。ヴァージルが戻って来てから片時も離れず、介護を続けている。
「ダフネさん」
部屋に入って来たダフネに気が付いて、カナは顔を明るくした。
「様子はどうだ?」
「火傷の方は、少しずつ良くなってきているみたいです」
ヴァージルの姿を見ると、確かに巻かれた包帯の面積は少なくなってきていた。
怪我を負った時から比べると、かなり改善したと言えるだろう。普通の人間ではありえない回復力である。
しかしそれを羨ましいと思えないのは、その能力を獲得するまでの苦労を少し聞いたからに違いない。
「目覚める気配は?」
「……まだ」
ドラゴンを使い魔にしようとしているのである。実現すれば、人類初の偉業だろう。
こうやって時間がかかるのはむしろ、当然のように思えた。
失敗すると考えた方が自然なのに、不思議とヴァージルならやり遂げる気しかしない。
「……早く、目覚めて欲しいものだな」
礼を言わなければならない。
静かな部屋に、扉を叩く音が響いた。振り返れば警備兵が困惑した顔で立っていた。
「お話し中失礼します」
「何だ」
「実は不審者が城前に現れまして、妙な事を言っているのです。念の為お知らせしておこうと思いまして……」
「内容は?」
「遠雷と神速が来たと伝えろと」
ダフネの血の気が一気に下がった。腰の剣を手にして抜き放つ。
オズワルドも話を聞いていたのだろう。即座に自分と部屋に対して、防御魔術を発動させた。
こんな目立つ場所で堂々と襲撃をしてくるとは。
オズワルドの思惑が外れてしまったのだった。
何故急にダフネ達がそうしたのかが分かっていない警備兵の隣に、いつの間にか立っている男がいた。
「案内、ご苦労様でしたぁ」
青い髪をした、鍛えられた体格のいい男である。なのに女性のように妙に婀娜っぽく、媚びるように警備兵を見ていた。
カナも彼が七刃なのだと理解し、遅れて剣を取った。ヴァージルを守るように隣に立つが、その男から発せられる強者の威圧に足が震えてしまいそうになる。
オズワルドは迷わず攻撃魔術を男に向かって発動させた。
「『イーディックアロー』!」
青白い矢が数十本も浮かび、一斉にその男に向かって発射された。腰を抜かした警備兵の隣で、それらの矢は一本も当たらずに壁に当たった。
男の姿が一瞬で消えたのである。
「神速のプルデンシオか」
ダフネの目にはその移動が見えなかった。ただ気付けば、男はオズワルドの後ろの廊下に平然と立っていた。
これが、彼等の戦っている相手。オズワルドに加勢するつもりだが、一体自分が何処まで力になれるだろうか。
覚悟を決めて剣を握りしめたダフネを、プルデンシオは笑った。
「やめてよぉ。今日のあたしは只のお使いなんだから。それに、遠雷も来てるのに」
そう言った途端、自分の存在を示すかのように恐ろしい速度で矢が飛来する。
それはオズワルドの眉間の直ぐ間近で、防御魔術に罅を入れて突き刺さり止まった。
オズワルドの防御魔術に罅を入れさせる威力は、通常の矢ではあり得ない。魔術が込められた必殺の矢だった。
「ほら、あの人ってシャイだからぁ」
「そうだね。挨拶ぐらい姿を見せれば良いのに。イスマエルは」
姿を見せない遠雷イスマエルの事をそう話しながら、オズワルドは高速で頭を回転させる。
ヴァージルは使い物にならない。自分一人でどこまで二人と戦えるだろうか。
死ぬつもりで戦えば辛うじて道連れに出来るかもしれない。しかしいくら考えても勝機は薄い。
それに殺すつもりならとっくに本気の攻撃を仕掛けてきているだろうと判断し、一先ず相手の話を聞く事にした。
「それで? 何の用だよ」
プルデンシオは指を二本立ててオズワルド達に指し示した。
「一つは皆で殺し合いするって選択肢。もう一つは、そこのカナちゃんを大人しく引き渡すって選択肢」
突然名前を呼ばれ、カナの体が大きく震える。剣を構えながら、目を大きく見開いてプルデンシオを見た。
「何で……?」
カナの当然の疑問に、プルデンシオは首を傾げて肩を竦める。
「さあ? 私はただ、頭首様のお使いしてるだけだもの」
オズワルドは答えを口に出すのを一瞬躊躇う。カナの存在は魔天会との戦いに必要だった。
カナに怨嗟の玉を破壊してもらい隷属の呪具の効果を失わせる事で、シーグフリード以外の戦闘員を無害化させるつもりだった。それであれば、少人数でも多人数の魔天会に勝ち目があると思っていた。
腹の底に煮詰まった復讐を完璧に実行する為には、失いたくない。けれど、自分一人の実力ではこの場にいる二人の相手は非常に厳しい。
しかし何故、カナを連れて行こうとする?
こんな目立つ真似をしてまで手に入れる価値が、カナにあるというのか。
オズワルドが口を開く前に、ダフネがプルデンシオに剣を向けて言った。
「……カナさんは渡さない」
実力不足である事はダフネにも分かっている。しかし、目の前でみすみす恩人であるカナを引き渡す事などダフネには出来なかった。
けれどその覚悟はプルデンシオに鼻で笑われて終わった。
「外野は黙ってなさい。決めるのはそこの二人でしょぉ?」
プルデンシオはダフネに殺気に満ちた鋭い目を向けた。
殺される。
ダフネの脳裏に鮮明に自分がプルデンシオに斬られる映像が浮かぶ。
目を合わされただけなのに、威圧されて身動きも碌に出来なくなってしまう。獅子と鼠の違いを思い知らされる。武人としての経験が、圧倒的な実力差を見抜いてしまった。
硬直している二人の状態を見て、カナは覚悟を決めた。
「……分かりました。行きます」
何故呼ばれているのかは分からない。けれど、行けば一先ずこの場での犠牲は出ないのだ。
カナは剣を仕舞い、プルデンシオに向かって歩き出そうとする。
しかしその腕を掴み、引き留めようとする者がいた。
「何処に、行くって……?」
ヴァージルが上半身を起こし、怒りに満ちた顔でカナを捕まえていた。




