第四十五話
オズワルドは空を飛びながら、こちらを睨みつけてくるドラゴンに向かって魔術を唱えた。
「『イーディックアロー』」
矢の形状をした青白い光が三十ほど浮かび、オズワルドの指の動きに従って軌道を変えながらドラゴンに飛んでいく。
地に足をつけていたドラゴンは翼を動かして空へと飛び、矢を回避した。
そしてそのまま巨体でオズワルドに向かって突進してくる。
それをオズワルドもひらりと避けて、バリスタのある地点に誘導しようとした。
しかしある程度進むと、ドラゴンは追うのを止めてしまう。まるで何かを警戒しているかのように。
「はは……どうしてそう、動いてくれないかなぁっ!?」
うまく誘導出来ない事に苛立ちながら、オズワルドは再び魔術をドラゴンに向けては放つ。このやり取りを先程から、彼らは何度も繰り返していた。
後ろから追い立てても、怒らせて追わせようとしてもドラゴンはある位置から離れない。
ある程度の魔術は当たってダメージを負わせられているのだが、オズワルドは一人で空中戦のままドラゴンを倒しきる自信はなかった。
このままではどうにかして地面に落とす方法を考えるか、苦戦するのを承知でヴァージルに空中戦を手伝ってもらうかである。
このモンスターを少し、侮りすぎたか。
そう苦笑して、今まで使っていたような細々した魔術を使うのを止めた。
翼を本気で狙う為に魔力消費の多い術に切り替えるのである。
「『エールディアンランス』!」
白い光の槍が放たれ、ドラゴンの翼に当たる。
人間なら直線状に何十人と命を屠れる恐ろしい魔術だったが、ドラゴンの堅い鱗を貫けることは出来ず、その表面を焦がすに止まった。
しかし何度か同じ場所に当てる事が出来れば、鱗を剥がせそうだった。
「それじゃあ……僕の魔力と君の耐久力。根競べと行こうか」
オズワルドが再び魔術を唱えようとした所で、突然ドラゴンが不思議な行動をとった。
今までオズワルドから視線を逸らさなかったのが、まるで何かに呼ばれたかのように遠くの地を見たのである。
オズワルドにはその方角の先にミラダ城がある事など知る由もない。
ただ何が起きたのかと思い、ドラゴンの様子を見守った。
ドラゴンは地平の彼方を凝視する。戦いなど忘れたかのように。
ただ、その先を見つめ続け……全てを悟り、天に向かって咆哮した。
「グオオオオオォォォォオオォオォオォオオ!!!!!!」
オズワルドはドラゴンの言葉など分からない。
けれどそれが親しい同族を呼ぶ、悲しみに満ちた声であるのが分かった。
咄嗟に防音魔術を展開しても完全に防ぎきれない程の音量である。大気が震え、木々が同心円状に漣を打つ。
「……死んだのか」
オズワルドはほんの少しだけ、目の前のドラゴンに同情した。
一頻り咆哮を続けたドラゴンが口を閉じ、再びオズワルドに視線を向ける。先程とは全く違う、燃え盛る炎を宿した目だった。
唸り声をあげ、牙をむき出しにして怒りを発露させたその様はまるで知性を失ったかのようである。
ドラゴンに最早、生態系の王者の面影はない。子供を失い狂った只の獣でしかなかった。
人間への憎悪を目の前のオズワルドに全てぶつけてくる。
警戒など忘れ突進し始めたドラゴンの巨体をオズワルドは避け、これならば計画通りに行きそうだと胸を撫でおろした。
「ついておいで」
向かい来る牙と突進を躱し、咆哮の声を防ぎながらオズワルドは空を飛ぶ。
程なくして目標地点に辿り着いた時、眉間に皺を寄せて待っているヴァージルの顔が遠目に見えて思わず笑った。
遅ぇよ。
そう言っているのが聞こえるかのようだ。
巨大な弩の形をしたバリスタが引き絞られ、騎士団によって数多の槍が一斉に投擲される。
魔術師達の操作により、方々からの槍が翼の一点に集中された。
ガガガガガガガッ!!!!!
固いドラゴンの鱗が剥がれ、遂に皮膜に穴が開く。空を舞っていたドラゴンは、轟音と共に地面に墜落した。
「グオオオオオオォォォォン!!!」
子供を失った悲しみと、翼を奪われた怒りを綯交ぜにして獣は叫ぶ。
ヴァージルは地面を蹴って一気にドラゴンに接近すると、その無防備な状態を見逃さずに剣で右肩を攻撃した。
ドラゴンの堅い鱗であっても、ヴァージルの剣ならば届く。
オズワルドはヴァージルが的確に右腕を動かなくさせたのを見て、流石だと感心する。
それでもザカライアを呼び出せばもっと早いだろう。
本人は否定するかもしれないが、オズワルドにはその理由が分かっていた。
騎士団の前で人間の使い魔なんて出せば、流石に怯えられるだろうからね。
オズワルドの知っている魔天会にいた頃のヴァージルは、そんなものを一切気にしなかった。
味方が巻き込まれたとしても、合理的だと思えば一緒に攻撃するような男だった。
カナと初めて顔を合わせた時も、その傾向はあっただろう。しかしこの地に来て、ヴァージルは少し変わったようだった。
ヴァージル。君は多分、そっち側に行けるさ。
胸の中だけで彼に祝福の言葉をかけ、オズワルドも加勢すべく魔術を唱える。
「『サンダーボルト』!」
地面で身動きの出来ないドラゴンに、雷の一閃が直撃した。
ズガァァァンッ!!!
胴体に直撃し、当たった部分を焼き焦がす。
空を飛べないドラゴンはオズワルドとヴァージルにとって、只の的でしかなかった。
少しずつ弱らせられていくドラゴンを見て、バリスタの付近で見ていた騎士団員達が勝利できると確信する。
「ロンメル様! バリスタで支援しますか?」
騎士の一人に尋ねられ、ロンメルは一瞬迷う。作戦にはなかった。
けれど二人にこれほどドラゴンの注意が引き付けられているならば、魔術師達に操作させれば槍を当てる事も出来るだろう。
「やってくれ」
「はいっ!」
騎士達がバリスタをドラゴンに向けて動かし始める。
しかしその動きを、ドラゴンは目敏く見つけてしまった。
二人に攻撃され続けているにも関わらず、騎士団の方向へと首を動かす。
ヴァージルはドラゴンが何をしようとしているのかを悟り、舌打ちして顔の方へと駆け出した。
余計な事を……ッ!
恐るべき脚力によって頬を蹴り飛ばし、首の向きを変える。放たれたドラゴンブレスは、中途半端な位置に無意味に広がった。
しかし口の至近距離にいたヴァージルはその強烈な熱波の煽りを食らい、顔と腕の一部が酷く焼かれてしまった。
騎士団はヴァージルに庇われたのだ。
「止めろ!」
ロンメルは自分の判断が間違ったのに気づき、直ぐにバリスタの動きを止めさせる。
何という事をしてしまったのか。
後悔したがもう遅い。騎士団に今できる事は、何もなかった。怪我を負い、それでも剣を振り続けるヴァージルの姿に胸が熱くなる。
やがて皆が固唾を飲んで見守る中、最後にオズワルドの攻撃魔術が炸裂すると、とうとうドラゴンの体は動きを止めた。
巨体が轟音を立てて地面に沈む。長い首を力なく下げて僅かに呼吸をしているようだが、もう攻撃する事は出来ないように見えた。
「ヴァージル殿!」
ロンメルは剣を地面に突き立て、体重をそれに預けるようにして立っているヴァージルに駆け寄った
傍に寄ってみて、彼の被害の大きさに言葉を失う。左の顔面と、左肩から手首までに痛々しい火傷が出来ていた。
「申し訳ありません……!」
本来なら、このドラゴンは騎士団が退治するべきモンスターである。それなのに殆ど全てを彼らに任せ、挙句の果てに足を引っ張ってしまうとは。
いくら頭を下げても足りなかった。
しかしヴァージルは息を荒げながら謝罪するロンメルを見ると、責めるでもなく言った。
「……約束通りドラゴンは俺が貰う。離れとけ」
まるで、何も気にしていないかのように。
ロンメルはそれ以上言える言葉が無く、一礼してドラゴンから距離を取るしかなかった。
地面に降り立ったオズワルドがヴァージルの姿を見て言った。
「うわー、酷いね。十日ぐらい治らないんじゃない?」
そういうオズワルドも外見上は変わらないが魔力を出し切っており、足に力が入らずふらついていた。
「そうかもな」
超回復能力を持つ彼等が十日かかる怪我というのは、相当な重症である。
しかし今は、自分の体を安静にさせるより優先すべき事があった。
呼吸をどうにか落ち着かせ、ヴァージルは剣を仕舞う。
そしていよいよドラゴンを『食らう』べく、足元から影を動かした。
黒い煙が立ち上り、巨大なドラゴンを覆っていく。深い緑の鱗が、黒い常闇に塗りつぶされていく。
そして沼に沈むかのように全てが影の中へと消えていき、やがてそこにはドラゴンの影も形もなくなってしまった。
夢や幻だったかのように、ただ戦闘で荒れた大地だけが残される。
オズワルドはいつもの軽い調子でヴァージルにドラゴンを食べた感想を聞こうとした。しかし。
「……かは、」
突然嘔吐したヴァージルに驚いて硬直する。
「ヴァージル?」
苦し気に眉を顰め、胸を押さえて膝から崩れ落ちていく。こんなヴァージルの様子は見た事がなかった。
「ちょっと、大丈夫?」
「ああ、クソ、……これが……ドラゴンかよ」
どうやら内側からドラゴンの抵抗にあって藻掻き苦しんでいるらしい。
ヴァージルの精神をもってしても、容易く従える事が出来ないのか。
今までどんなモンスターであっても平然としていた男が今、生態系の頂点を手にしようとしてその存在の大きさを思い知らされていた。
「少し、『消化』に……時間がかかる」
内側からの抵抗で酷い悪心を抱えながら、ヴァージルは火傷の顔を向けてオズワルドに言った。
「……みたいだね」
頭が割れるように痛い。膨大な年月の記憶と、子供を失った直後の巨大な喪失感。そして人間への怒り。
全てが今まで食らってきたどのモンスターとも比較にならない程の質量だった。
ヴァージルの視界に、自分の指に嵌った指輪が見えた。
「……カナ」
それでも、彼女の隣にいる為に。
ヴァージルは精神の海へと潜り込み、意識を失った体がその場に力なく倒れ伏したのだった。




