第三十九話
何で俺はこんな所にいるんだ?
ヴァージルは遠巻きに見てくる騎士達を後目に、訓練場の隅で苛立ちながら座っていた。
こんな場所で時間を潰すぐらいなら、カナの訓練を見ていたいのに。
けれど同性のダフネの方が色々と聞きやすいらしく、ヴァージルがカナの相手をする事は本人によって却下されてしまった。
本当は剣など取り上げてしまいたい。あの柔らかな手が硬くなっていくのを見るのは嫌だ。
まるでヴァージルの力不足を象徴するかのようではないか。
しかしカナは違うのだと、共に寄り添う為にしたいのだと言う。だから渋々、ヴァージルは口を出す事を止めた。
何処かに閉じ込めて、ヴァージルだけを見るようにしてしまえたらどれだけ安心できるだろう。
けれどそんな事をしてしまえば、新しい場所に馴染もうと努力しているカナに怒られるに違いない。
それでカナに嫌われてしまえばどうなる。ヴァージルはその時自分が生きていられる気がしなかった。
だからヴァージルは我慢する。
カナの為に必要な忍耐と、心の奥深くで渦巻く欲望が、限界近くのところでせめぎ合っているのを自覚しながら。
そんな不穏な空気をまき散らすヴァージルに騎士達は中々話しかける事は出来ないでいた。
ロンメルから彼に指導をお願いしたと聞いてはいたが、当の本人は座ったままで自主的に動く気はなさそうである。
しかし話に聞く暴食のヴァージルを恐れる気持ちがありつつも、それ以上に武人として強者と手合わせしたい欲求を持つ者が騎士達の中にいた。
若くして周囲から一目置かれているサントスもその一人である。
一度として勝てた事のない騎士団長がまるで児戯のようにあっけなく倒されてしまうのを目撃し、武の極致というものを垣間見た気がしたのだ。
化け物だと畏れる気持ちは確かにある。しかし、その化け物に命の危険なく相手をしてもらえる機会というのは、今を逃せば生涯ないだろう。
勇気を出してサントスはヴァージルに話しかけた。
「ヴァージルさん。ご指導の程、お願いします」
自分の世界に入っていたヴァージルは苛立たしい感情を露にした視線をサントスに向け、彼の怯えた表情を見た所でカナの言葉が頭をよぎった。
『仲良くなった方がいいよ』
深い溜息を吐く。
どうやったって、カナの言葉には勝てない。
だからヴァージルは不満を胸の奥に仕舞い、薄ら笑いの仮面を被ってサントスに言った。
「ああ、分かった」
立ち上がり、訓練用の剣を手に持ってサントスと対峙する。
「かかって来いよ」
ヴァージルは剣を構えない。油断なのではなく、この程度の相手には構える必要さえ感じない余裕だった。
対してしっかりと剣を握りしめたサントスは、一撃目から魔力を剣に込めてヴァージルに振り下ろす。
「『火炎剣』!」
その刀身が鮮やかな赤い炎に包まれた。一回り炎によって大きくなった剣がヴァージル目掛けて迫ってくる。
しかしヴァージルは向かい来る炎の剣を難なく避けた後、足で刀身を払いのけて自分の剣を相手の首元に突き付けた。
一瞬で剣を突き付けられてしまい、冷や汗を垂らすサントスにヴァージルは淡々と告げる。
「それは、殺す為の剣じゃねぇ。ビビらす為の剣だ」
「は、はい……」
「確かに間合いは分かりにくくなるが、炎にする必要はねぇ。
それぐらいなら風系の魔術の方が良い。焼き切れば止血になって死ににくくなる。
使う必要があるとしたら、炎系に弱いモンスターか脂肪の分厚い奴が相手の時だけだ」
言い終えて突き付けていた剣を鞘に納める。
解放されたサントスは思った以上の的確な言葉に驚き、頭を下げて礼を言った。
「ありがとうございます!」
するとそれを見ていた他の騎士達がヴァージルの距離を詰めて来る。
まるで相手にしてくれない恐怖の塊のような存在だと思っていたのが、普通に対応されて印象との差から逆に好感度が上がったのである。
ヴァージルはどうしてこうなったのか分からず、内心苛立ちを加速させながら騎士達の相手をしてやった。
そして一人の魔術師がヴァージルの前にやってくる。
「ヴァージルさん、ビトと言います。使い魔の指導をお願いします」
ビトの肩には額に赤い宝石のある白い猫とリスの中間のような生き物が乗っていた。
「カーバンクルか。戦闘向きじゃねぇが、魔力は多い。魔力の吸収用として扱えばいいんじゃねぇ?」
使い魔を見てそうアドバイスしてやったところで、ビトが首を横に振った。
「いえ、この使い魔の事でなく……どうやったらヴァージルさんみたいに沢山の使い魔を持てるのか教えていただきたいんです」
この城内では威圧感を与えない為に目に見える所で出したことはないが、ヴァージルが数多くの使い魔を扱うのは有名な話だった。
別にヴァージルにとっては隠す事でもないので、自分にやられた方法を教えてやることにする。
「まずは使い魔を増やせ。そんで、正気が戻りそうになかったら自分の骨をへし折れ。
その痛みで自分の体を認識する」
「は……」
さらりと言われた言葉にビトは絶句する。しかしヴァージルは脅しで言った風でもなく、淡々と言葉を続けた。
「それを何度か繰り返せば一、二匹は増やせるだろ。それ以上増やしたければ、適当な動物を使い魔にして精神を混濁させる。その状態で使い魔を殺せ。
気絶するほど痛ぇし頭がおかしくなるかもしれねぇが、上手くいけば自分の体を認識できるようになる」
集まっていた騎士達の顔色が悪くなっていく。ヴァージルが今までされてきた事だと気が付いたのだ。
それはまるで、精神を壊すかのような拷問だった。
目の前の男は生まれながらの強者ではなく、地獄の日々を潜り抜けた末に結果としてそうなったのだと理解した。
ヴァージルは騎士達の熱気が冷めた事にも気づかず、ヴァージルにとって当然のように受けた使い魔を増やす方法の説明を続けた。
「まぁ、それでも五匹ぐらいだろうが……それ以上増やしたきゃ自白剤を飲んで」
「も、もう大丈夫です!」
ビトはそれ以上聞いている事が出来ず、慌ててヴァージルの言葉を途中で止めた。
「はぁ?」
意味が分からなくてビトの顔を見る。痛々しいようなその表情を見て、漸く自分と彼らの違いを思い出した。
「……チッ」
思わず舌打ちする。慕われるのも面倒だが、同情されるのも同じぐらい面倒だった。
「……それで、もう指導はいいのか?」
「あ、じゃあ……お願いします」
ヴァージルがさっさと空気を換えようと自分から言い出せば、剣を持った騎士がまた一人進み出て来た。
その目からヴァージルを化け物と差別する感情は薄れていた。
代わりに、過酷な人生を生き残ってきた人に対する尊敬が滲んでいた。




