第三十八話
ヴァージルが騎士の相手を外でしている間、私は一人でダフネさんの姿を探していた。
室内の稽古場にて訓練する彼女を見つけ、邪魔にならないような時を見計らって声をかけた。
「ダフネさん! お時間ありますか」
「ああ、カナさん。何だ?」
「実は、少しだけでも鍛えていただけないかと思いまして」
私の発言にダフネさんは驚いて目を開いた。これは最近常々考えていた事である。
ヴァージルの強さに守られて危険を感じる事は少ないが、私自身も命を狙われている立場なのだ。
少しでも力をつけて、足手纏いにならないようにしたかった。
ダフネさんは上から下まで私の体を真剣な眼差しで眺めると、難しい顔をして言った。
「女性は男性に比べてどうしても筋力で劣る。女性騎士は、基本的に魔力で力の不足を補っているんだ。カナさんは魔術師ではないようだが、魔力測定はした事はあるか?」
「そうなんですね……、実は魔力自体はあるみたいなんですが操作能力が低すぎて才能はないみたいなんです」
神父さんに一度測定して貰った時、測定不能レベルの高い魔力があると聞いて心をときめかせた過去がある。
しかしそのすぐ後に、致命的なまでに操作能力が欠如している事が判明し、私の魔術師への憧れは一瞬で絶たれたのだ。
蝋燭の火をつけようとして、酷い爆発を起こしてしまったのを見て、神父さんには永久に魔力を操作しようとしないようにと強く念を押されてしまった。
「……なら、せめて護身術は教えよう。知っているのと知らないとでは、違うだろうからな」
「ありがとうございます!」
やっぱりダフネさんは優しい人だった。嫌な顔をせずに快く引き受けてくれ、私に訓練用の剣を渡してくれた。
「ではゆっくりと剣を向けてみるから、好きなように動いてみてくれ。避けるでも、反撃するでもいい」
「はい」
そう言うと、ダフネさんは私でも避けられるような遅さで剣を振り下ろす。
何の武術経験もない私は当然のように迷って動けない……筈だった。
しかし剣が向けられた瞬間、まるで体が操られたかのように勝手に動いてダフネさんの剣先を逸らさせる。
「ふむ」
ダフネさんは何かを考える素振りをし、私に向かって今度は剣を横に振るった。
私の体はまた勝手に動き、一気に距離を詰めて剣の根元でダフネさんの剣を受け止めると、弾いてダフネさんの鳩尾に柄を打ち付けようとする。
流石に鍛えているA級冒険者だけあり私の攻撃は難なく避けられてしまったのだが、ダフネさんは首を傾げて私に聞いてきた。
「剣術の経験があるのか?」
「……無いはずなんですが」
しかし、体はまるで身に覚えがあるかのようである。何故だろうと頭を捻った所で、気が付いた。
これは、私の中に混じったヴァージルの経験だ。
ヴァージルに『食われ』そうになってから、後遺症としてはヴァージルの居場所が何となく分かるようになっただけかと思ったが、まさかこんな所で別の効果を発見するとは。
「いえ、小さい時にもしかしたら習っていたかもしれません」
まさかダフネさんにその理由を説明する訳にもいかず、嘘を吐いた。
「そうか。なら、もう少し速度を上げてみるか?」
「はい。お願いします」
やはり手加減してもらっている程度の速さだったが、先程よりもリズミカルにダフネさんと剣を交える。
しかし私の細腕では剣の重さに耐えきれなくって、弾き飛ばされてしまった。
「力さえあれば、ある程度は身を守れそうだな。なら……」
ドスッ
ダフネさんが何かを言いかけた所で、私達の間の地面に勢いよく剣が突き刺さる。
投げられた方向を見れば、投擲した格好のヴァージルがダフネさんを険しい表情で睨めつけていた。
「何してるんだ? なぁ」
それは、いつぞやヴァージルを慕う女性に頬に怪我を負わせられた時と似たような表情だった。
これは不味い。
変な誤解でもさせてしまったかと思い、慌ててヴァージルに弁明する。
「私がダフネさんに頼んだの! 剣を教えて下さいって」
「必要ねぇ。俺が守るだろ」
ヴァージルは私に近寄ると、腕を掴んで稽古場から連れ出そうとする。それに足を止めて抗い、話を聞いて貰おうとした。
「お願いヴァージル。折角女性冒険者のダフネさんの傍にいるから、少しでも教わりたいの」
「何で」
ヴァージルは振り返り、不機嫌そうに私に聞いた。
「何でって……」
「俺は。お前が少しだって傷ついて欲しくねぇ。剣を持てば、それだけ狙われる」
「でも、ヴァージルは戦うんでしょう? 傍にいたいから。少しでも、邪魔にならないようになりたいの」
訓練場の騎士達は何時しか手を止め、私達の会話に聞き耳を立てているようだった。けれど私達はそんな事を気にする処ではない。
ヴァージルは苛立ちながら髪を撫でつけ、更に口を開く。
「そういうのは全部、俺が持ってきた面倒だ。だから俺が責任を取る」
ヴァージルは私が危険な目に合うのは、自分の責任だと負い目を感じているのか。
まるで、私の意見など全く聞く気のなさそうな態度である。
そっちがそのつもりなら。
私は眉間に皺を寄せたヴァージルの頬を、思いっきり引っ張った。周囲からどよめきの声が上がる。
「私は二人で、傍にいたいんだよ?」
ヴァージルはそっと私の手を外し、真顔で私を見つめて言った。
「俺が『オカシイ』んだ。だから俺が変わる。カナは、変わらなくていい」
当然のように言うその表情が何処か痛そうに見えた。
そんな風に、思っていたんだ。
私の記憶を覗いて、ヴァージルは思い知ってしまったのだろう。自分の生きてきた世界が、表で生きる私とは余りにも違うのだと。
ドラゴン退治を引き受けた事も、騎士たちとの時間を取る事も、私の為である。
暗闇を生き、血生臭さを纏って生きてきた彼は、私の記憶を知って『普通』になろうとしてくれている。
彼の想いを感じて、胸の奥が切なく熱くなった。
「私も同じ。私とヴァージルが、違うのを分かってる」
私も強いヴァージルに色々と負担をかける事を、申し訳なく思っていた。隣に立てるぐらいの強さが欲しいと願っていた。
それは叶わない願いだと分かっている。けれど、少しでもできる事があるならばやりたい。
伝わるはずだ。じっと彼の目を見続けていれば、迷うように長い睫毛が伏せられた。
「……体の動かし方を覚えていて損はない。一生目を離さずにいる事は不可能だ。万が一の為の保険と思えばいいのではないか?」
ダフネさんが助け舟を出してくれた。ヴァージルはそれでも迷って、かなりの時間の経過の後に堪えるような溜息を出した。
「怪我をさせないでやってくれ」
「承知した」
ヴァージルは私の頭を一度撫でると、見るのを嫌がるかのように外へと出て行った。
そして入れ替わりにオズワルドが顔を覗かせる。
「ヴァージル、凄い不機嫌だったけどどうしたの?」
「ダフネさんに少し鍛えて貰いたいって言ったの」
「ああー、なるほどね」
オズワルドは納得したように頷いた。そしてへらりと笑いながら私に言う。
「あんまりヴァージルを刺激しない方がいいよ。アイツ、僕たちの中でも拗らせている方だから」
ヴァージルに使い魔にされそうになった事を思い出し、その警告を受け流してはいけない気がした。
「ずっと支配されて道具のように扱われてきた人生だからさぁ、自分を切り売りする以外の方法を知らないんだよ。誰かに手伝ってもらったりとか、協力してもらったりとか、あんまりした事ないし。……多分、不安でもあるんだと思うよ。カナは望めば何処にでも行けてしまうから」
「離れるつもりなんてないのに」
「保証はないだろ?」
オズワルドに意地悪い表情で質問され、言葉に詰まってしまった。
私はヴァージルを愛していて、彼が許してくれるなら一生共にいるつもりである。
しかし、それを証明する方法は何も無いのだ。
「はは、ごめんごめん。まあ、気にかけてやってよ。ヴァージルが使い物にならないと僕も困るから」
オズワルドはそう言い、稽古場から出て行った。ダフネさんが気遣うような視線を私に送る。
「カナさんも……大変だな」
「分かって傍にいますから」
覚悟はある。けれどどうやってヴァージルの不安を軽減させればいいのかと、私は頭を悩ませたのだった。




