第三十四話
ヴァージルはバジリスクと戦った後だろうに、出て行った時と全く変わらない恰好で泊っている宿の部屋へと帰ってきた。
怪我のない姿にほっとして近寄ると、まるで何カ月も会っていなかったかのように抱擁される。その大袈裟さにすっかり慣れてしまった自分がいた。
「ただいま」
「……お帰り」
機嫌の良い顔なのでどうやら無事に使い魔を増やす事が出来たようだった。
「俺がいない間、あいつらがまた来てたみたいだな」
「ああ、ダフネさん達の事?」
ヴァージルが頷く。私から離れている間も、使い魔を通じて何処からか見守っているのはいつもの事だった。
ダフネさん達はヴァージルの強さを諦められなかったようで、あれから毎日のように顔を出してきていた。けれど、今日は少し様子が違った。
「うん。でも、カミルの町で緊急招集がかかったから戻るらしいよ。キラービーの大きな巣が見つかったんだって。だからもう来ないかも」
「そうか。……何か気になることでもあるのか?」
私の暗い顔色を見てヴァージルが聞いてきた。
「ほら、最近ヴァージルが強いモンスターを倒してたでしょ? だからA級とかB級の強い冒険者が近隣の別のギルドに移動しちゃってるらしくて……。人手不足で少し大変かもしれないって言ってたの」
どうやら私達が間接的に状況を悪くしてしまったようで、罪悪感を覚えてしまう。
「……気になるのか?」
頷きそうになり、ヴァージルが真剣な表情をしている事に気付いて慌てて首を振る。
「ううん! 違うから!」
「嘘つくなよ。気にしてるだろ。キラービーだろ? 大した事ないから、手伝ってきてやるよ」
甘えてしまってもいいのだろうか。
シレネの町にいた頃は、私の家を提供していたから負い目を感じる事は無かった。
けれど、今は完全に只の足手纏いである。そんな私が、面倒な事をヴァージルに頼む事に気が引けた。
しかも本人は大した事は無いと言うが、普通の人にとっては命がけの仕事である。
それが伝わってしまったのか、ヴァージルは多少苛ついた様子で私の頬を軽く摘まむ。
「言えばいいだろ。本当は倒してほしいって」
「でも……」
「俺は、カナの何?」
本格的に機嫌を損ねてしまったらしい。片眉を上げて、至近距離から問いただされる。
流石にこれ以上は、遠慮しない方がよさそうだ。
「恋人」
正解を即座に口にすれば、ヴァージルの顔から険しさが和らいでいく。
「だろ? なら、遠慮はすんな」
それでも自分は、対等ではないような気がした。
◆
ダフネ達はカミルのギルドによって集められた冒険者達二十人と共に、森の中を進んでいた。キラービーの巣の情報が寄せられた場所である。
やがて森の奥の巨木の幹に、周辺の地面を覆い隠すほどの巨大な蜂の巣が現れた。
「ダフネ、あれ……滅茶苦茶大きくないですか?」
エミリアーノが想定をはるかに超える大きな巣を前にして、顔色を悪くした。
キラービーは人ほどに大きな殺人蜂である。普段は巣の周辺から移動する事はないが、巣が巨大化しすぎると新天地を求めて四方八方に広がるのだ。
その時人間を見かければ餌として認識し襲い掛かって来るので、巣が小さい内に処理するのが基本である。
しかし今回は発見が遅れた為に、今にも飛び出しそうな巨大な巣となってしまっていた。
エミリアーノだけではなく他の冒険者達も顔色が悪いが、ダフネはこの状況だからこそ冷静にならなければと自分を律した。
「……落ち着け。確かに大きいが、蜂は蜂だ。周囲の木を切り倒して、森ごと焼く」
高ランク故にリーダーを押し付けられたダフネだったが、元々人の上に立つ立場の人間である。冒険者達は、ダフネの適格な指示で冷静さを取り戻し始めた。
「時間はかかるが、巣から距離を開けて木を倒せ。もし蜂の偵察が来ても、一匹も殺すなよ。背を低くして、地面に這って逃げるんだ」
「分かった」
冒険者達が頷いてそれぞれに散っていく。素直に耳を傾けてくれる者ばかりだったので、これならば無事に任務を終えられるだろう。
顔に出さないままそう安堵し、ダフネも他の者に混じって木を倒しに行く。
何本目かの木を倒した所で、冒険者の一人の叫び声が聞こえた。
「ああ……やっちゃったのかもしれないですね」
エミリアーノが絶望的な顔をして呟いた。皆に見られているから表には出さないが、ダフネも舌打ちしたい気分だった。
それまで数匹が付近に留まっているだけだった蜂の巣が、俄かに騒がしくなってくる。
仲間が殺されたのを知り、敵を倒そうと攻撃態勢に変わったのだ。
ダフネはこれから突入する激しい戦闘を思い、そっと溜息を吐く。
所詮寄せ集めの者達だ。足並みが揃うとは思っていなかったが……。
既に賽は投げられた。深く息を吸い込み、大声で冒険者達に呼びかけた。
「皆、剣を構えよ! 周囲の者と協力し、巣から距離を取れ! 撤退だ!」
まともに戦ったら多くの犠牲者が出るだろう。即座にそう判断して撤退の指示を飛ばす。
近隣住民を思うと直ぐにでも巣を壊したいところだが、冒険者の命を無駄死にさせる訳にはいかない。
一先ず撤退し、蜂が落ち着いた頃に再挑戦するしかない。
「はいっ!!」
こんな声ばかり威勢のいい冒険者達に苦笑をし、彼らの生存率を高める為に殿を買って出る。
一人巣に向かって前に出るのと同時に、エミリアーノに声をかけた。
「支援しろ!」
「はい!」
身体強化や剣に炎属性を付与する魔術がエミリアーノによってかけられる。
準備が整うや否や、ダフネは襲い来る数十匹の蜂に向かって飛び出して行った。
出来る限り、時間を稼ぐ……!
蜂の攻撃自体は単純だが、羽のある相手は空も警戒しなければならないから厄介だ。
ダフネは自分の剣撃を魔力によって飛ばし、一匹一匹と切り落としていく。しかしどれだけ切って地面に蜂の死体が積まれていっても、襲ってくる数が減った気は全くしなかった。
「多すぎる……!」
そろそろ冒険者達は皆撤退出来ただろうか。自分もこれ以上は不味い。
厳しい状況に焦り始めた時、突然空を飛んでいた蜂達が羽をもがれたかのように一斉に地面に墜落してきた。
ドドドドドドッ
落下に巻き込まれないように慌てて避け、周囲を見ると蜂達は灰色になって時が止まったかのように動かない。
「これは……石化?」
一体何が起きたのか分からない。ただダフネを取り囲んでいた全ての蜂が、石へと変わっていた。
周囲に視線を向け、この事態を引き起こした犯人を捜す。
そして少し遠くの樹上に、大きな蛇型のモンスターが静かにこちらを見ているのを発見した。
「バジリスク……!」
何故、ハハビナの町で目撃情報があったモンスターがこんな場所に。
ダフネの脳内で情報が結びついていく。
いる筈のないバジリスク。助力を願ったヴァージルという男の能力。ダフネが此処で討伐任務をすると知っている、人のよさそうなカナという女性。
「ヴァージル、ヴァージル……暴食のヴァージルか!!」
全てを理解して、ダフネは思わず叫んでいた。
暴食のヴァージル。数多の使い魔を使役し、一人で一師団とも渡り合うと言われる闇の住人。
最近姿を見せなくなったという魔天会の幹部である。ならば共にいたオズワルドも、灰燼のオズワルドと思った方が良い。
この国である程度の立場にある者ならば、表も裏も関係なく聞く名前である。
まさか本人を目の前にしていたとは。
ダフネは鳥肌が立つのを感じた。
これ以上ない実力者である。ドラゴン退治を依頼するにあたりこれ以上相応しい人間はいない。しかし、危険すぎるだろうか。
思考を目まぐるしく働かせる。彼等の恐らく事実だろう数々の伝説的逸話と、してきた事の闇深さ。そしてこの数日間目にした人柄と、共にいた女性。今、助けられた事実。
それらの情報を纏め、一つの結論を出した。
魔天会を抜けた可能性が高い。
遠くから支援していたエミリアーノが、蜂たちの様子に気付きダフネの元に駆けよってきた。
「ダフネ! 一体何があったんですか!?」
「……助けてもらったらしい」
「誰に?」
「暴食のヴァージル」
名前を聞いてエミリアーノの動きが固まった。そして恐る恐るダフネに口を開く。
「まさか、あの方達って……?」
頷いて彼の考えを肯定する。
彼等が自分の思っている通りの人物ならば、ダフネは彼等の望む物を提供出来る気がした。賭けてみる価値はある。
気が付けばバジリスクは用が終わったと言わんばかりに姿を消してしまっている。
何処かに旅立たれる前に、彼等を捕まえなくてはいけないだろう。
「多分な。……とりあえず今のうちに、この巣を焼き払ってしまおう」
ダフネは石化した蜂で出入口の塞がった巣を差し示したのだった。




