第三十二話
「エミリアーノ。来るぞ」
「オークですか?」
マーキングを思い出し、エミリアーノがうんざりした顔になる。
オークはただ大きく、力が強く、頑丈であるだけの特殊な能力を持たないモンスターだ。
だからきちんと訓練していれば村人達でさえ撃退できる程度で、割り振られたランクはC級である。
しかしそれは単体で遭遇した時の話であり、群れに遭遇してしまった時は人間の数が勝っていないと経験の積んだ冒険者であっても苦戦する相手に変わる。一体を倒すのが頑丈さ故に時間がかかるからだ。
今此処で戦えそうなものは四人。A級のダフネとB級のエミリアーノだけで十匹は狩る自信がある。後の二人をどの程度だと見積もるかは迷うが、二十匹以上のオークに遭遇した場合は撤退も考えなければならないだろう。
そうダフネが考えていると、ヴァージルと呼ばれた男が初めてダフネに話しかけて来た。
「なぁ。あんたら冒険者だろ?」
「そうだ」
「なら、カナを暫く守ってやってくれねぇか? オークは俺達がやるからさ」
ダフネはちらりとカナと呼ばれた女性に視線を向ける。確かに彼女を守る者が誰かは必要だ。
しかしそれは、自分達の方がオークを倒せると明らかにダフネ達を下に見た評価だった。
傲慢だと、少し腹が立つ。
「彼女はエミリアーノに任せよう。こいつはB級の冒険者だ。私はA級だから、共に戦わせてくれ」
そう言って前に進み出ると、ヴァージルは片眉を上げて困ったように笑った。
「んー、じゃあ俺達が危ないと思ったら助太刀してくれ。誰かと共闘する事に慣れてねぇんだ」
それならば、実際彼らの戦いぶりを見てから参戦すればいいだろう。
少し不満が残ったものの、彼らの実力を見るいい機会だと納得して頷いて返す。
「ごめんねぇ。ヴァージルはカナさんに何かあったら、抜け殻になっちゃうからさ」
オズワルドはへらりと笑って、ヴァージルの言葉に付け足した。
カナは明け透けな言葉ながらも否定できないのか、恥ずかしそうに頭を下げながらダフネ達の傍に寄る。
「お世話になります。……すみません」
「僕の後ろに隠れていてくださいね! 絶対に守りますから!」
エミリアーノがカナに妙に張り切ってそう宣言した。
いつにないその様子に彼の女性に頼られる機会の少なさを感じ、ダフネは呆れた溜息を吐く。
そしてエミリアーノが癇に障ったのは、ダフネだけでは無かった。
ヴァージルはオズワルドと共にいたのに踵を返してカナの隣に戻り、間近からエミリアーノに冷たい視線を向ける。
殺意こそないものの、真顔で向けられる隠し切れない圧にエミリアーノは思わず視線を避けずにはいられなかった。
「あ、あの……なんか、ごめんなさい」
「傷一つないように、守ってくれ。……よろしくな」
頼んでいる筈だが、その言葉が守られなかった時は彼に殺されるのではと思うような冷ややかな声だった。
ヴァージルはそのまま足元の影から一匹の使い魔を呼び出した。
「ヘルハウンド。来い」
彼の呼びかけに従い、足元から牛ほどの大きさの黒い犬が飛び出して来る。口は耳元まで裂け、毛は闇のように黒かった。口から炎を吐く、凶暴なモンスターである。
それが邪悪な顔をしながらも、躾けられた犬のように従順にヴァージルの隣でお座りをした。
ダフネ達は突然現れたヘルハウンドに驚き目を奪われたが、なるほど彼が強力な使い魔を持つ魔剣士なのだと、実力の一端を見て納得する。
ヘルハウンドを操り、オークにけしかけるつもりなのだろうと。
しかしヴァージルはそうはしなかった。ヘルハウンドをカナの隣に座らせたまま、戦闘態勢に入るオズワルドの位置にまで戻っていったのである。
「まさか……これも彼女の護衛か?」
どれだけ過剰に守るつもりだ。
ダフネの声が届いてしまったようで、カナは耳を赤くして大人しいヘルハウンドの毛に顔を埋めながら小さく零した。
「すみません……色々と」
その様子に同情心が湧き、気付けば弱く見られた怒りなど何処かに行ってしまった。
こうなれば存分に実力を見せてもらおうかと、オークが接触してくるその時を待つ。
そしてその時が来た。
森の中から緑色の特徴的な肌をしたオーク達が姿を現す。しかしその数は明らかに想定を超えていた。
三十匹はいるぞ!
どうやら運悪く、群れごと移動している時に出くわしてしまったようだ。
これは参戦しなければならないだろうと剣を構える。ヴァージルの心配も尤もだったと思える数の多さだ。
オーク達は人間の姿を見て好戦的に雄叫びを上げた。
「グオオオォォオオ!!」
しかしダフネが二人に混じるよりも早く、オズワルドの指が宙で術を展開しオーク達に攻撃を開始する。
「『アイススピアー』」
氷の槍が数十本は宙に展開し、指の合図と共にすさまじい勢いでオーク達に突き刺さる。その魔術一つだけで、先頭集団の殆どが無力化された。
同じ魔術を以前ダフネは見た事がある。しかし氷の槍の数も、勢いもオズワルドの物は段違いの威力だった。
それを見て混じろうと勇んでいた足が思わず止まる。
まさかS級か……!?
オズワルドは隣のヴァージルに向かって、この切迫している筈の状況で楽しそうに笑いながら言った。
「あはは、僕の方が倒せそうだね」
「うるせぇな。そこでお前と競い合うつもりはねぇよ」
ヴァージルも口の端を上げて答え、剣を構えてオークの群れに突進した。
彼が軽い足さばきでオークの傍を通り過ぎるたびに、まるで玩具だったかのようにオークの首が跳ね飛ばされていく。
その余りの怪力と身のこなしに、同じ剣を使う者としてダフネは魅入らずにはいられなかった。
強い。
その実力は余りにもかけ離れており、戦闘に混じろうとしていた自分が恥ずかしくなる程だ。
一体どれ程の死線を潜り抜け、鍛錬をしてきたのか見当もつかない。
ダフネは剣を収める事さえしなかったものの、自分の剣が役立つ事はないだろうと確信した。
「凄いですね……」
エミリアーノも同じ魔術師として、オズワルドの魔術の威力に驚き目を奪われている。
そしてオークの襲撃は余りにもあっけなく終焉を迎えたのだった。
ヴァージルが最後の一匹の首を刎ね飛ばし、剣を仕舞う。
息を荒らげた様子もなく直ぐにダフネ達の、正確にはカナの傍に戻って来た。
「待たせた」
「お疲れ様。……二人共、ありがとうございました」
カナは何もしてないダフネ達に丁寧に頭を下げた。
「いや、それほどでも……?」
エミリアーノが反射的に中身のずれた答えを口にする。
ヘルハウンドを消し、何事もなかったかのようにオークの死骸を越えて行く彼らにこれ以上の様子見は必要ない。
ダフネはいよいよ、彼らに話を切り出す事を決意した。
「ヴァージルさん、オズワルドさん。かなりの実力者だとお見受けする。突然で申し訳ないが……私の話を聞いてはもらえないだろうか」
彼らを絶対に捕まえなければならない。どのギルドでも断られ続けたダフネが、再び彼らと同じぐらいの実力者に出会える確率は極めて低かった。
そんな必死さが溢れるダフネの視線にオズワルドが笑いながら答える。
「とりあえず……町行かない? ここ、血生臭いでしょ」
それもそうだ。ダフネはいつになく焦っていた自分に気づき、恥ずかしさに顔を赤らめたのだった。




