第二十九話
愛着のあった店と慣れ親しんだ道具達が、まとまったお金に姿を変える。
店を畳むのを決めてしまえば、全ての事はあっという間に終わってしまった。
私自身が旅をするのは初めてだが、慣れたヴァージルとオズワルドがいるから大概の事は大丈夫だろう。
そしていよいよ出発の日、町の入り口には見送りに来てくれた神父さんの姿があった。
「これから寂しくなるよ」
神父さんには恋人になったヴァージルが冒険者として町を移動する事になったので、それについていく事にしたのだと説明した。
彼は疑う事も無く、私の旅路を応援してくれたのだ。
「何処か別の町に腰を落ち着けるのもいいし、またこの町に戻って来てもいい。ただ、元気でいるようにね」
「はい」
神父さんは話しかけながらも泣きそうになっている。
「ヴァージル君、カナの事をよろしくおねがいします」
「……ああ」
ヴァージルは口調こそいつものようだが、神父さんに対して真摯な表情を向けた。
「僕もカナさんの事を守りますんで安心してください」
オズワルドが会話に割り込んでくる。ヴァージルは鬱陶しそうな表情をしたが、神父さんの前でいつものように罵倒する事はなかった。
「はは、こんなに頼もしい仲間もいるんだね。これなら安心だ」
「ええ。本当に」
「カナの結婚式には祝福しに行くからね」
危険が常にある私達にそんな日が来るのだろうかと、そんな事を思いながら顔を真っ赤にして頷く事しか出来なかった。
「……行ってきます」
私は足を進めながら、神父さんに向かって大きく手を振った。
慣れ親しんだ町が少しずつ遠ざかって行く。
シレネの町が見えなくなった所で、オズワルドが手を叩いて別れに浸っていた空気を換えた。
「よし。じゃあ、改めて今後の予定を言うね。当面はヴァージルの戦力増強の為のモンスター狩りだ」
「お前に随分消されたからな」
「ははは、不可抗力をそんな風に言うのは良くないよ。だからモンスターの情報集めをしに、とりあえずは地方都市カミルに行こう」
「はーい」
引率の先生に言うかのように、元気よく返事をした。
思い返せば、この世界で初めての旅なのである。薬草採取の為に周辺地域に遠出する事はあっても、これほど長い距離を移動した事はない。心が浮き立ってしまうのは仕方なかった。
そんな心が伝わったのか、ヴァージルに笑いながら頭を撫でられてしまう。
オズワルドはほっとしたようにヴァージルを見て言った。
「ヴァージルが魔天会を倒すって、決意してくれてよかったよ。君がいるなら、あの男に手が届く」
「あの男?」
「魔天会の創始者にして七刃の一人、幻惑のシーグフリード」
言われて脳内でヴァージルの記憶が再生される。銀髪の冷え冷えとした目が印象的な男の姿が微かに蘇ったが、鮮明ではなかった。
余り混じり合わなかった記憶の部分なのだろう。只、微かな記憶でさえも酷薄さと空恐ろしさは十分感じられた。
恐ろしくない筈がない。その男こそが、全ての彼らの不幸の元凶だった。
オズワルドは隠し切れない憎しみを顔に滲ませて、口元だけで笑う。
「僕はあの男の首が欲しい。ヴァージル。君だって憎いだろ?」
「俺は……一生狙われ続けるのが気に食わねぇだけさ」
ヴァージルはオズワルドに同意せず、そう静かに言った。
本当は何処かに隠れてしまいたいのだろう。オズワルドとは違い、ヴァージルにとって魔天会など興味もない。
けれどずっと逃げ続ける生活を私にさせたくない思いと、いつかオズワルドと離れた時一人で抵抗しきれるかが分からないという懸念が私達に覚悟を決めさせただけなのだ。
「ふうん、まあ……それでもいいよ。結局、目的は同じだし。僕達はあの男を倒さないとまともに暮らせやしないんだ」
オズワルドの言う事は本当にその通りで、追われ続けている限り何処かに定住が出来ない。
知らずの内に手を強く握りしめていると、それを止めさせるようにヴァージルに腕を掴まれてしまう。
「痛むぞ」
手を開くと爪の痕が出来ていた。私が力を緩めたのを確認しヴァージルは前を向く。
この人がいつか普通の青年として生きて行けるように。
私の願いは、ただそれだけだった。




