第二十四話
薄明りの視界に石と鉄で作られた牢屋が照らし出されている。
私は此処が何処だか分からず確認しようと頭を動かそうとしたが、魔術でもかけられたかのように動かなかった。
膝を抱えて座っているようで、視界に映る自分の手足はやけに幼い。
見覚えのない景色と自分の体で、直前に起きた事を思い出す。ヴァージルによって使い魔の魔術を使われたのだ。
『だったらこれは……ヴァージルの記憶?』
そうに違いない。だから体が動かないのだろう。
私は映画を見ているかのように彼の体から与えられる情報を受け取るしかなかった。
ヴァージルを閉じ込めている牢屋の前に大の男が現れた。まだ五六歳だろうヴァージルから見れば随分大きく威圧的に見える。
「ヴァージル。お前の番だ。来い」
「い……嫌だ」
か細い抵抗も空しく男はヴァージルを連れて石の廊下を引きずりながら連れていく。
辿り着いた部屋は実験室のようで、床に魔法陣が描かれ本や実験器具が机に並べられている。
しかしそれ以上にヴァージルの目を引いたのは、床に転がる子供の死体だった。
『自分の記憶じゃないのに……、怖い!』
ヴァージルのその時感じた感情も私に伝わってくるようだった。暴れ狂う恐怖の感情に、元の体であれば泣きわめいていた事だろう。
しかしヴァージルの体は大人に押さえつけられて、逃げる事も泣く事も許されないまま天井を向かされる。
男の手にはコップが握られ、中には見た事もないような赤い色をした液体が入っている。
「嫌だ!」
必死でヴァージルは抵抗するが、男がそれをヴァージルの口に流し込むと吐き出す事も出来ず勝手に喉に入り込んできた。
魔術を使ったのだろう。その怪しい液体がヴァージルの口を通り、喉に落ちていくのに合わせて粘膜が焼かれる激痛が私の感覚を支配する。
『痛いぃぃいいっ!』
喉を掻きむしる事さえ許されず、唯々苦痛を味あわされる。そして痛みが胃に到達した瞬間、全身が炎に包まれたように熱くなった。
苦痛に芋虫のように悶えるヴァージルの耳に、嬉しそうな大人の声が届く。
「成功だ。喜べヴァージル。お前には先があるぞ!」
そんな勝手な声など脳を通り過ぎるばかりで、あるのは只管の痛みだけだ。
突然、場面が切り替わった。
視界に入る場所が変わると同時に、全身を包んでいた痛みも嘘のように消える。
しかし一回感じたあの痛みだけで私の精神は随分疲弊していた。
『これが……あと何回続くの?』
自問しながらも答えは知っていた。ヴァージルが私と混じり合うあの日までだ。
始まったばかりの恐怖に絶望しながら、現在の状況を確認する。
開けた部屋にはまた別の男がヴァージルの前に立っており、蛇を籠から解き放ってヴァージルに命令を下していた。
「この蛇を使い魔にしろ」
十歳ぐらいに成長していたヴァージルは文句を言う事も無く、言われた通りに術を発動させる。この時にはもう、抵抗する気力も失われているようだった。
ヴァージルの記憶に、更に蛇の記憶が混じり合う。
手足の感覚は消えて、意識が舌の感覚を頼りに鼠を狙う蛇に変わる。蛇はやがて人に捕まり、籠の中に押し込められる。
言葉はないものの、その蛇の逃げなければという焦りが私にも伝わってきた。
そして茶色の髪をした人間の子供の前に体を投げ出され……唐突に体を刃物で貫かれた。
「うわぁあああああああああぁぁ!!!!」
「それはお前の体じゃないぞ! ヴァージル!」
男がヴァージルの体を強く殴った事で自分の体を認識した。
それと共に蛇の痛みが薄れるが、感じた恐怖が消える訳ではない。
『こんな……こんなのがヴァージルの日常だったの……?』
目の前には男に刃物で貫かれた蛇の死骸が映る。死骸の先には、生きた獣の入った籠が山のように積まれていた。
その数はこれから受ける痛みの数と同じなのだろう。
私はそれを、自分の体験として確認したのだった。
来る日も、来る日も。
新たな方法で、予想を上回って。
苦痛はあらゆる角度からヴァージルを襲う。
心が死んでいく。
感じなくなっていく。
薄ら笑いを浮かべて、何もかもがどうでもよくなっていく。
だってこれが永遠に続くのだ。
この隷属の呪具がある限り。
俺は荒涼とした砂礫の地で初めての任務で殺した人の死骸を前に、岩場に座っている。
自分の首に嵌められた忌々しいネックレスの緑の宝石を、親指で弾いて弄んだ。
『あー、誰か解呪でもしてくんねぇかな』
殆ど諦めながらも、そんな微かな希望は胸に残っていた。しかし胸に浮かんだ言葉に違和感を覚える。
『自分でやればいいだろ』
違和感は更に加速するも、正体が掴めない。
『自分? 自分って……誰だっけ?』
分からないまま、俺の意識は再び記憶の波に飲み込まれていった。




