第二十三話
人目を一切気にせず私を片手で抱え続けたヴァージルは、そのままいつも二人が眠るベットの上で胡坐をかいて座った。
彼の足の上に座らされ、腕に囲われたままで逃げる事は出来ない。
「なぁ、何で一人で行った?」
怒られた時はあった。けれどこんな風に詰め寄られた事はない。彼の何かが振り切ってしまったかのような、嫌な予感がした。
超至近距離で目を覗かれながらされる質問は、さながら尋問のようである。
普段甘やかしてくれていたヴァージルが、非人道的行為も躊躇なく実行できる裏社会の人間なのだと否応なく思い知らされた。
私はたじろぎながらも懸命に口を開いて答える。
「危険は分かっていたけど……それに応じた利益も得られると思ったから。本当に七刃の一人が味方になってくれるなら、ヴァージルの為になると思ったの」
「それで一回、お前は死んだ」
容赦ない断罪の言葉で、甘かった考えを砕かれた。
でもこうして生きているだろうとヴァージルを見たが、その反抗心は冷徹な表情を前に力を失くす。
「分かるか? 死んだんだよ」
重ねて、叩き潰すようにヴァージルは言った。
私のその時の判断が何もかも間違っていたと。
実際その通りで、オズワルドの使った魔術が偶然にも神魔術でなければ私は死んでいただろう。神魔術が効かない特異体質に救われただけだ。
落ち込んでいると、ヴァージルの大きな掌が甘やかす様に私の頬を撫でる。けれどその表情は相変わらず冷たいままで、その差が妙に恐ろしい。
「カナ。お前は『特別』なんだ。
カナがいなけりゃ俺は夢を見る程眠る事も知らなかったし、カナが笑って傍にいてくれないなら何をしていてもつまらない。
自由はお前が与えてくれたもので、朝と夜の待ち遠しいのはお前が教えてくれたものだ。
平穏はカナの形をしていて、生きるという言葉の意味はカナの隣にあった。
それが、俺にとっての『特別』だ」
それは告白のように熱烈な言葉なのに、まるで溺れる人が水面で僅かに呼吸をするかのような必死さに溢れている。
だから恥じらう隙もなく、ただ彼の言った『特別』の息が詰まるような重さを私に教えた。
「なのに些細な事で直ぐに怪我をする。俺の『特別』なのに。目を離したら雑魚に捕まって、女の非力な手でさえ血を出す。あまつさえ、転んだだけで死ぬかもときた」
ヴァージルは凍てつく目のまま、口を歪ませて嘲笑した。
「……俺が間違ってた」
それは呆れるほどに優しい声色で、絶望するほど決意に満ちていた。
「大事な物は、片時も手放さないだけじゃ駄目だったんだよ」
「ヴァージル……?」
ひりついた喉で弱弱しく彼の名前を呼んだ。恐ろしい事が起きる前兆を肌で感じる。男の目が怖くて堪らない。
それなのに触れる手は間違いなく愛おしいヴァージルの物で、私は逃げる選択肢さえ思い浮かばなかった。
「俺がどれだけ囲おうとしても、本人が抜けだしちまう」
「ご、ごめんなさ……」
謝ろうとした口を、ヴァージルの指が止める。
「二つの体で、別々の事を考えるから悪ぃんだ」
欲深き暴食のヴァージルが、目の前にいた。
「……全部、混ぜちまおう。記憶も、心も」
使い魔の魔術とは精神の強靭さによる肉体の乗っ取りである。
ならば精神に優劣をつけず、只管に混じりあえばどうなるだろうか。
果て無き混濁の末に、その境地はある筈だった。
それは使い魔の魔術の神髄。
「二つの体で一つの心に。俺がお前に。お前が俺に」
ヴァージルの影から黒煙が勢いよく噴出し、部屋中に充満していく。
黒い混沌の影がその手を伸ばし、二人を包み込み始めた。
「だ、駄目……!」
ザカライアが飲み込まれたあの光景が脳裏に過り、血の気が引いた。
私を『食べる』つもり……!?
私は今更に彼の体を押しのけようとするが、力の差は歴然としていて微動だにしない。
「怯えるなよ。……大丈夫さ。直ぐに俺と同じになるんだから」
甘い声色で囁くヴァージルに、黒い影に飲みこまれながらも首を横に振り続ける。
そこに二人の幸せは無い。何も無い。どうして分からないの!?
彼の胸を力任せに暴力的に叩く。けれど私の手が痛む前に止められてしまった。
「駄目だってば……!」
必死で叫ぶ。けれど彼には何も届かない。
絶望に飲まれながら、表情の変わらないヴァージルを見て悟った。
知らないのだ。人の愛し方さえ。
当たり前の事が、この人にとっては当たり前ではない。
ヴァージルは喪失の恐怖に突き動かされ、とにかく失うまいとそれだけに執心している。
最悪の間違いを犯そうとしていた。
「ヴァージル!」
守りたいのに、彼の心に声が届かない。
やがて視界を黒く奪われる。最後まで見続けた彼の顔は、何処までも美しく笑っていた。




