第十八話
薬草店の奥で昼寝をしていたヴァージルが、何故か起きて直ぐに二階に上がったから妙な胸騒ぎがしたのだ。
その理由は、ある意味この店の常連であるキャロルが姿を現した事ですぐに分かった。
「……また貴女なの。ヴァージルさんはどこ?」
美しい波打つ金髪をした美女が、腕を組み豊かな胸を強調しながら傲慢に聞く。
キャロルは碌に商品を買わないくせに、ヴァージルに一目ぼれして足繁く通うようになった迷惑客だった。
ヴァージルも接客らしい接客してないってのに……。
彼がこの店でする事と言えば奥で雑務をするか、客が来た時私を呼ぶだけである。
それなのに彼の美貌はこうして厄介事を生み出してしまうのだ。
大概の人は全く気のない彼の態度に直ぐに引き下がってくれるのだが、キャロルは違った。
ヴァージルの姿を見かければ身を乗り出して少しでも気を引こうと、とにかく喋る。
元々他者に興味の薄いヴァージルは、鬱陶しそうに「うざい」「知らねぇ」「帰れ」といった冷たい一言しか返さないのにまだ諦めない。
最近では顔を合わせるのも嫌らしく、気配を察知するとこうして逃げるのだった。
押し付けられた私は頭を抱えたい気持ちを抑え、仕方なく彼女と対峙する。
「いつも言っていますが、彼は接客をしません。買う物があるなら私が応対します」
「貴女なんかに会いたくて来てるわけじゃないのよ、こっちは」
ええそうでしょうね。私も会いたくないです。
喉元まで出かかった言葉を飲み込み、大きく溜息を吐いた。
「彼の事は諦めて下さい。どうみても脈がないでしょう……」
「恋人でもない貴女に言われる筋合いはないわ」
従兄弟だとこの人に言うんじゃなかった。周囲に説明する時の設定だったが、お陰で恋人だとキャロルに強気に出る事も出来ない。
「それとも何? 貴女もヴァージルさんを狙ってるの? 無理よ無理。つり合いが取れないわ」
キャロルの言葉が胸に突き刺さる。私は彼にとって唯一の友達で、命の危機に助けに来てくれるほど大事に思われているが、恋人ではないのだ。
友達にしては、距離が近いけれど。
心の痛みを堪え、とにかくそろそろキャロルを本気で諦めさせないと切り替える。
「つり合いが取れるとか、そういう話じゃないんです。迷惑に思われてるのが分かりませんか? 会話さえ避けられているのに」
彼女は一体何者に恋をしているのかも知らないのだ。
このまま大人しくいつまで耐えてくれているのか分からない。
彼は普段は寛大で優しいが、一線を越えたら冷酷な対処をするだろう。
ヴァージルの正体を知ってから、一時期困っていた地上げ屋がどうして何もしなくなったのか薄々悟ってしまった。面と向かって聞いてはいないが。
「うるさいわね! どうして貴女みたいな平凡な女が、彼と会話出来て私は駄目なのよ……!」
「従兄弟ですから」
「狡いわ。私だって、もっと話してくれれば絶対に落とすのに!」
ヴァージルがキャロルと会話を増やした所で、恋に落ちる所が想像つかない。寧ろ嫌われていく一方だろう。
「こうなったら……私を雇いなさい!」
予想外の言葉に目玉が落ちるかと思った。間髪入れずに否定する。
「無理です」
「客を増やす自信はあるわ」
「そういう事じゃなくて……」
恋に全力を出す人の対処がこれほど難しいとは。
溜まった感情を吐き出す様に溜息を吐いて、言った。
「彼は、いつこの場を離れるかも分からないんです」
その一言に彼女の動きが止まった。
「此処にいてくれるのは気が向いているからだけであって、留まらなければならない訳ではありません。だから私は、少しでも居心地のいい場所をヴァージルに提供したい。この意味が分かりますか」
キャロルの目を正面から見て言えば、彼女の肩が震えたのが見えた。
パンッ
一瞬の内に、激高した彼女に思い切り頬を叩かれてしまう。
「何よ……、何よ……!」
ここまで明確に邪魔者だと言って分からなければ、次は出禁にするしかない。
叩かれたのは予想外だったが、出禁の理由の一つになったと思えば惜しくなかった。
キャロルの目に涙が溜まっていく。しかしその形相は歯を食いしばる音が聞こえそうな程噛み締めており、憎まれたのが分かった。
「貴女に何が分かるっていうの……!」
どれほど嫌われようと、こんな雑事からヴァージルを守るつもりだった。
「なぁ」
不意に、この場にいる筈のない人の声が聞こえた。
キャロルは私の背後に立っているだろうヴァージルに視線を向け、顔を輝かせる。そして何を見てしまったのか、時が止まったかのように硬直した。
「何やってんの」
地を這うような低い声と、部屋の温度が下がったかのような彼の放つ空気。
伝わる怒気に、まだ見ていない私さえ怖くて振り向けなかった。
隣に来たヴァージルが、手で私の顔を自分に向けさせる。目があった彼の顔は能面のように真顔で、冷酷な表情だった。
「怪我してんじゃん」
そっと頬をなぞった彼の親指には確かに血が付いている。きっとキャロルの爪で傷を負ったのだろう。
それからは止める間も無かった。ヴァージルは軽々とカウンターを飛び越え、怯えるキャロルの顔面を長い指で鷲掴みにしながら言った。
「ひっ」
「何でお前如きが、カナに怪我負わせるんだ? 俺がどれだけお前に耐えたと思ってる」
完全に一線を越えてしまった。今にもその怪力で頭を潰しそうに思え、血の気が引く。
「ヴァージル!」
慌ててカウンターから出て、ヴァージルの腰に抱きついた。
「こんなの直ぐに治るから、落ち着いて!」
暫くの沈黙の後、ヴァージルは舌打ちしながらその手を外した。
恋した男の殺意に怯え、キャロルは顔を真っ青にして店から飛び出していく。もう二度と来ないと分かるような怯えぶりだった。
その後ろ姿をまるで獲物が狙うかのように最後までじっと見ているヴァージルの様子が恐ろしく、思わず確認してしまう。
「殺しちゃ駄目だからね……?」
口では返事が無かったが、深い溜息を吐いて怒りを抑えたように見えた。
漸く片眉を上げて怒ってるような表情がヴァージルの顔に浮かび、少し安堵する。
「どうしてそう弱いんだ? あんなので血が出るとか、転んだら死ぬんじゃないか?」
「打ち所が悪かったら、死ぬかも」
「おいおい、本当かよ」
普通の人間はヴァージルみたいに頑丈ではない。色々と常識の違いを思い知ったようで、随分と苦い顔をした。
そのまま何故か私を横抱きに抱え上げて二階へと連れて行こうとする。
「ねえ」
「何だよ」
「何故抱き上げられてるのでしょうか?」
「転んだら死ぬんだろ?」
「いや、運が悪かったらだからね? ずっとこうしてるつもり?」
「それもいいな」
ああ、迂闊な事をいうんじゃなかった。
私が困っているのが分かったのか、口の端を上げて言った。
「俺の気が落ち着くまで、大人しくしてろ」
どうやら冗談ついでに、彼の怒りを抑えるのに使われているらしい。ならば黙って身を預けるしかなかった。
二階で頬に傷薬を塗られ、そのまま彼の体に閉じ込められ続ける。
暫くそのままでいると、ヴァージルの体の緊張が解けてきて怒りが静まったようだった。
「ねぇ……」
「ん?」
穏やかさが戻ってきたヴァージルの声にほっとして、思っていた疑問を口に出してみた。
「ヴァージルにとって、私って何?」
「と……」
ヴァージルは口を開いて何かを言いかけ、そして自分の言おうとした言葉に違和感を覚えたようだった。
もっと適切な言葉が無いか探す様に視線を動かし、それなりの時間が経過した後に漸く言い直す。
「特別」
思った以上に素敵な言葉が返ってきて、頬が緩んでしまう。
「ふふ、それ、いいね」
「カナは?」
「うん。私も同じ。ヴァージルは特別」
友達よりも随分先に進んだ。これはもしかすると、恋人よりもいい言葉かもしれない。
機嫌のよくなったヴァージルに頭を寄りかからせ、特別な二人は暫くそうして寄り添っていたのだった。




