第十六話
ヴァージルは勝手知ったる我が家の中で、椅子に深く座り背を預けて一息ついた。
顔に出来た痣が痛々しく、服の下も似たような事になっているに違いない。
「手当の道具持ってくるね」
「必要ねぇ」
「でも……」
強がりや遠慮からそう言っているのかと思ったが、ヴァージルは少し笑って首を振った。
「本当に必要ねぇんだ。俺達は、そう作られてる」
「作られてる?」
顔こそ笑っているが冗談を感じさせないその口調に、これがヴァージルの告白の一部であるのを察した。
どんな事情でも受け入れるつもりで続きを待てば、静かに口を開いてくれた。
「そう。これぐらいの怪我なら、一晩経てば治るように体を改造された。
俺は魔天会所属の七刃の一人。暴食のヴァージル……と、呼ばれてる。まあ、抜けてやったんだけど」
「ごめん、よく分からない」
聞いた事のない単語に出だしから挫けていると、ヴァージルは笑った。
無知を嘲る笑みではなく、知らない平和にいられた事への羨望と祝福の笑みだった。
「だろうな。要は裏社会の何でも屋集団みたいなもんだ。金さえ積まれれば暗殺、強盗、戦争、誘拐何でもやる」
彼はまるで酒場での会話のように、軽々しくその事を告げた。
今まで言わなかったのは単に場を弁えていただけで、その中身の深刻さ故に口が重かった訳ではないようだった。
それがヴァージルの過去を浮かび上がらせて、私の中の彼を変わった人以外の何物かにしていく。
「魔天会は頭首以外は完全な実力主義で、上位百人が上位者と呼ばれる。
んで、飛びぬけた実力があれば刃の称号を貰う。七人だから、七刃」
「七刃の一人……暴食のヴァージル……」
思わず呟くと私がよく知る筈のその男は、肘をつき頬に手を当てて私の顔をいつもの笑みを浮かべて覗き込んできた。
「そう。俺の事、怖い?」
試されているのだろうか。その表情は笑顔のままで、何を考えているのかよく分からない。
とりあえず質問に答えようと自分の感情を探ってみた。
急に色々と知ったからか今まで接したヴァージルと、七刃の一人のヴァージルが一致しない。
でも、また彼が何処かに行こうとするならば私はまた悲しむだろう。そこに答えがある気がした。
「ヴァージルが友達って事に、変わりはないよ」
ヴァージルの目が細められたかと思ったら、腕を引かれて彼の膝の上に乗せられてしまった。
「はは、やっぱカナは最高だ」
なんだかとても嬉しそうである。そのまま子供が人形にするように抱きしめられてしまった。
一応ささやかな抵抗をしてみるも手を放す気がないようなので、諦めて彼の好きにさせてやる。
「その……魔天会? だっけ。国が討伐したりとか……そういうのはないの?」
「そこらの小国よりも力があるから、手出し出来ねぇんだろ。
それに俺達は隷属の呪具をつけられてるから、死ぬまで命令を実行する。
そういう厄介な奴を相手にしたくないんだろうさ」
「隷属の呪具?」
「ほら、カナが外した装飾品」
ヴァージルが自分の首を指さしたのを見て、彼と出会った時に解呪したネックレスや指輪の事を思い出した。
自分が何かも分からず触れた魔術道具がそこまでおぞましい代物だったと知り、今更寒気が走る。
「そもそも、魔天会自体がそこから始まったからな。人を隷属させる呪具を作れるようになった創始者が、孤児を集めて支配し、改造し、傭兵に仕立て上げたのが始まりだ」
という事は、やっぱりヴァージルは過去に酷い目にあわされたに違いない。
私はその苦痛がどれほどか想像も及ばず、またかける言葉も見つからなかった。
だからただ彼の首に腕を回し、ぎゅっと抱きしめた。
「……珍しいな。カナから来てくれるのは」
ヴァージルは驚きながらも、嬉しそうに抱きしめ返してくる。
私がこうする理由も、分かっていないような反応。自分の痛みさえ気づいていないのだ。
そのまま気付かないでいて欲しいと思いながら、暫く気が済むまでそうしていた。
猫のように頭を摺り寄せてくる彼が愛おしくて、やっぱり離れたくないと思ってしまう。
「ねぇ……また、追跡者がくる?」
「暫くは大丈夫そうだ。あのザカライアのお付きは、手柄を独占したかったみたいだな。俺の情報を上に報告せずに単独で行動してた」
「どうして分かるの?」
「ザカライアの記憶を見た」
ああ、そう言えばヴァージルがザカライアを『食った』のだっけ。
人が一人、影に飲まれて消えていくのは実に不思議な光景だった。
よく分かっていない私の為に説明してくれた。
「使い魔にするっていうのは……精神、魔力、肉体の混濁。混じり、自我を取り戻す事で支配権を握る。だったか? 教典の説明は。
ザカライアの精神は何も無かったから簡単だった」
あの光景を見れば、ヴァージルが暴食の二つ名である理由が何となく分かった。
「俺は使い魔に特化して訓練された。んで、唯一の成功例。
知らないだろうから言っておくけど、普通はあんな数の使い魔持てねぇからな」
「そうだったんだ」
得意げに言うのも納得の特殊能力だった。ザカライアと戦っている時、数多の使い魔を操るその姿はお伽噺の魔王のようだった。
あんな能力者がごろごろいるようだったら、この世界はとうの昔に滅びているに違いない。
霧が晴れるようにヴァージルの事を沢山知ったものの、巨大な山のようで全てを受け入れきれない。
自分が疲れ切っていたのも思い出し、糸が切れたように睡魔が襲って来た。
「他に聞きたい事は?」
「最後に一つだけ」
「ん?」
この、私にだけ向ける甘やかすような優しい声。どれほど彼が恐ろしい人であっても、この声を拒む事はないだろう。
「もう……離れて行かない?」
「ああ」
私はとても心が満たされ、取り戻した大切な人を堪能しようと身を預け目を閉じたのだった。




