第十二話
道を行き交う人々を避けるのも面倒で、地面を強く蹴って屋根の上に一気に飛び乗った。
そのまま屋根伝いに教会へと一目散に駆けていく。
走りながらも現状を把握しようと、一番近くにいた使い魔の鳥の視覚を片目だけ共有する。
遠目から教会を確認すれば、その方角から土煙が湧き上がっていた。
「カナ……!」
間違いない。ザカライアが何か仕掛けたのである。
頼むから、そこにいないでくれ。
信じてもいない神に祈りながら、足が痛む程力強く疾走する。
ヴァージルはザカライアの実力を良く知っている。
だからあの男が作る惨劇からただの一般人が逃れる事が、どれだけ困難かを正しく認識していた。
それなのに、淡い期待がどうしても脳裏から離れない。
教会に向かう途中、カナの気が変わって家に引き返しているかもしれないと。
そう愚かな楽観を捨てきれない程に、カナの死がヴァージルにとって受け入れられない未来だった。
やがて自分の目に教会の惨状が写り込む。古びた屋根が崩落し、多数の人が下敷きになっていた。
ザカライアが支えとなっていた柱を切断したのだろう。あの男ならほんの一瞬で出来る仕業である。
難を逃れた教会にいた人々は青ざめながら下敷きになった人を救出し、遠くからも異変を感じた人々が集まり始めていた。
怒りと焦りで心臓が早鐘を打つ。この瞬間、自分の追手など頭から消えていた。
教会の目の前でヴァージルが足の勢いを殺して止まると、地面が足の形で深く抉れた。
けれど教会の瓦礫を撤去するのに忙しい人々は、その異様な身体能力に気付く事はなかった。
「カナ!」
答えが返ってくるのを願って、名前を呼んだ。
けれど人々の騒めきだけが耳に入り、望む声は得られない。
忙しなく顔を動かし、集まった人の中にカナがいないかを確かめる。見つからない。
入り口付近にいた信者達が運び出されていく。土にまみれた顔を確認するが、そこにもいなかった。
天井にはまだ中途半端に落ち切っていない屋根が残っており、今にも崩れそうで駆けつけた人々は奥に入る事が出来ないでいた。
そこに向かい、ヴァージルは躊躇なく瓦礫の山に足を踏み入れていく。
「おい、危ないぞ!」
ヴァージルの強さを知らない人が心配して呼び止めたが、構わず手つかずの場所に行った。
大きな梁の下敷きに、ピクリとも動かない女性の足が見える。
僅かに見えるスカートの端は、今日カナが身に着けていた物によく似た色だった。
全身の血が一気に引いていく。
どうして、俺は少しでもカナから離れたんだ?
虚脱した体で一歩ずつその亡骸に近づきながら、そんな後悔を抱いた。
傍にいればこの身を盾にする事も、相手に報復する事も直ぐに出来たのに。
大事な物は片時も傍から離してはいけなかったのだ。
梁に手をかけ、怪力でゆっくりと持ち上げる。そして露わになった女性の顔に、深く溜息を吐いた。
別人だ。
一先ずその遺体を抱え、人のいる場所に移動させた。
また戻って捜索を続けようとした時、群衆の騒めきの中で小さく自分の名前を呼ぶ声を確かに聞いた。
「ヴァージル?」
勢いよく振り向けば、薬箱を抱えて走ってきたらしいカナの姿があった。
「カナ!」
直ぐに駆け寄り、夢ではないのを確かめようと両腕で抱きしめた。
「ヴァ、ヴァージル? 戻ったの?」
ああ、この香り。間違いなく、カナだ。
戸惑ったような声が聞こえたが、今は答えてやる余裕がない。
暫くそうして温もりを確かめていると、失われていた気力が少しずつ体に戻って来た。
「人に見られてるから……!」
「どうだっていいだろ、そんな事」
生きている。
実感して漸く人心地つく事が出来た。
落ち着いた事で周囲の様子を確認する余裕が生まれ、この状況を作り出した犯人を捜そうとする。
……いるな。
かなり遠い距離だが、あの二人組が群衆に混じりヴァージルを見ているのを発見した。
「チッ」
荒々しく舌打ちする。俺をおびき出す為の罠だったのだろう。
この大人数の中で事を構える気はないのか、静観しているようだ。しかし、移動した瞬間に襲ってくるのは間違いない。
ヴァージルは顔を赤くしているカナを横抱きに抱え上げ、常人の速度を超えない程度に走り出した。
「え? どうして走ってるの? それに、自分で走れるけど……!?」
何も分からず腕の中で戸惑っている彼女に、簡潔に事情を説明してやる事にする。
「追跡者にカナといる所を見られた。向こうもやる気みたいだから、移動して倒す」
自分が危険に巻き込まれたのだと知ったカナは、思わず体を震わせる。
「まさか、今の事故も?」
「そう。……悪ぃな」
「ううん。こうして、助けに来てくれたじゃない」
違うのだ。恐らく教会にヴァージルが来なければ、カナが標的になる事はもう無かっただろう。
けれどそれを堪える事が出来なかったせいで、ヴァージルにとって価値のある人間だと判断されてしまった。
しかも自らのエゴから、ヴァージルはもうこの手を放すつもりがない。
もしも時間が戻ったとしたら、そもそも離れる事さえ選択しないに違いない。
知らないところで死なれるぐらいなら、いっそ目の前で殺されるほうが良いという己の欲望に気が付いてしまったが故に。
恨まれても仕方のない、極めて自己中心的な欲だった。




