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第十話


 いつもの噂好きの常連さんが、店の中を覗き込んでから私に聞いた。

「最近、従兄弟さん見ないわねぇ」

「実は……故郷に帰ったんです」

「あら、そうだったの。道理で貴女の元気がないと思った」

 自分では接客を普通にこなせていたと思っていたので、思わず頬に手を当てて確認してしまう。

 詮索好きではあるが、悪い人ではないので私の気落ちした様子に同情してくれたようだった。

「余り落ち込まないようにね。きっとまた会えるわよ」

「そうですね。ありがとうございます」

 折角心配してもらっているのに、事情を知らない彼女が少し煩わしくさえ思えてしまう。

 けれどどうにか笑みを浮かべて対応していれば、優しい常連さんはそれ以上深入りせずに帰ってくれた。

 一人になった店内で、子供の様にカウンターに頭を伏せた。

 ほんの、つい最近まで彼がここにいたのに。

 ヴァージルと暮らしたのは人生の中で短い期間だというのに、一人でいるのがとても寂しい。

 顔を上げれば、何処を見てもヴァージルがいた痕跡を感じてしまう。

 あの商品、彼が瓶に詰めたんだっけ。

 ここでよく寝てたなぁ。

 これ、ヴァージルが来てから用意した椅子だ。

 そんな思い出ばかり過ってしまい、近頃は仕事に身が入らない。

 ……寂しい。

 助けてくれ。なんて言われて始めた同居だったが、私の方がずっと救われていた。

 もうこの感情の名前なんて、とっくに気が付いている。


 ヴァージル。私は貴方が好きだった。


 最後まで言えずじまいだったが、彼にとっては重荷でしかないから後悔はない。

 ヴァージルの望むとおりの友達であり続けられたのが、この失恋を支える私の誇りとなっていた。

 本当は探しに行きたいぐらいだ。けれど、過去を何も知らない私がどうやって彼に辿り着けるだろう。

 S級の実力を持つ、誰かに追われた身寄りのない謎の男。

 私が知るのはそれだけだった。

「守ろうとしてくれたんだろうなぁ……」

 怪しい二人組が来た時、飄々としたヴァージルがあれほど急いで帰って来てくれたのだから相当まずい事態だったのだろう。

 私が彼と肩を並べるぐらい強ければ、共に連れて行ってくれただろうか。

 そんな今更どうしようもない思いがぐるぐると自分を巡って、身動きが取れない自分を自覚した。

「あー、もう!」

 景気づけに勢いよく立ち上がり、気分を変えようと外出する事にする。

 鞄を肩から下げ、店の鍵を閉めて人混みの通りに身を投じた。

 何処か目的地も決めずに、ぶらぶらと歩いてみよう。散歩していれば、きっと少しは気が晴れる筈だ。

 何処だっていい。今だけはヴァージルの事を考えないようにしよう。

 気になっていた軽食屋に行き味を堪能し、欲しかったランプシェードを探しに市場へ足を延ばす。

 不運にも気に入ったものが無かったので気持ちを切り替えて道を歩いていると、大道芸人が目についた。

 楽しませてもらったお礼にとチップを渡し、噴水の端で疲れた足を休ませる。

 それから景色を見ようと何となく教会へと向かった所で、どうやったって彼の影から逃れられない事に気が付いた。

 足が勝手に動いて、教会の裏手に進んでいく。

 会った時と同じ場所に、ヴァージルがいるような気がして。

 けれどそんな妄想は当然のように裏切られ、教会の裏の崖には誰もいなかった。

「ヴァージル」

 ただ景色が美しいばかりの場所で、彼の名前を呼んでみる。

 囁きは風の音に紛れて、誰にも届く事はない。

 こんなにも彼に浸食されて、自分の心に負った傷を見ないふりが出来ない。

 私達は余りにも近くにいた。

 いっそ思いっきり、悲しんでやれ。

 私は膝を抱えて、感情のままに泣いてみる事にした。寂しさに向き合えば、涙は勝手に溢れて出てくる。

 落ちるようにした恋は盲目になるほど鮮やかで、身動きが取れないほど重々しい。

 子供の様に常識を一つずつ学んでいく変な人で、驚くほど強い実力を持っていて、見とれる程整った顔立ちをしていて、猫のように甘えてくる。

 これから先、あんな人とは二度と出会えない。

 苦しい。とても、苦しい。

 ヴァージルが望んでくれさえすれば、私はどれほどの危険があっても傍にいるのに。

「カナ。どうしたんだい?」

 声に振り返ってみれば、神父さんが後ろに立っていた。泣き顔を見られてしまったので、誤魔化さずに照れ笑いをしながら言う。

「失恋です」

「そうか」

 神父さんは何も言わずに、私の隣に座って頭を撫でてくれた。誰かが傍にいてくれるだけで、少しだけ心が軽くなる。

「……ありがとうございます。今日は、説教の日じゃなかったでしたっけ?」

「そうだよ。今終わった所だ。まだ教会内に人が残っているけど、しばらくしたら出てくるだろうね」

「分かりました。それまでにこの顔、どうにかします」

「一人で泣きたいなら、告解室が空いてるよ」

「いいえ。少し時間が必要なだけなんです」

「……無理はしないようにね」

 神父さんは娘を見守る父のように優しい顔をして、また教会の中へと入っていった。

 少し教会の中にいれば、その荘厳な空気に心の痛みも紛れるだろう。

 そう思って立ち上がり教会の正面へ回ると、説教を聞き終えた人が疎らに出てくる所だった。

 殆どはよく見る馴染みの顔だったが、一人見過ごせない人が混じっていた。

「あの人……」

 薄い眉の旅人風の男。ヴァージルを探しに来た人だった。けれどあの時とは違い、一人である。

 相方は何処に行ったのだろう。気になったものの、今の私は本当にヴァージルの行方を知らない。

 逃げればかえって不審を招くかと思い、あえて堂々と教会の中へと入っていった。

 何が教会で起きようとしているかなんて、知りもせずに。



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