第九話「自由への渇望―①」
「やめろ…………っ‼ やめてくれぇーーーーー‼」
少女の体が破壊されていく。目玉は飛び出し、全身の骨は砕け、指があたりに散乱する。肉は水風船のように破裂し、元の血液へと戻る。彼女が気に入ってくれた深紅の髪は、血の闇に染まり、元の色がわからないほど輝きを失い、次第に骨以外のすべてが血に戻っていく。
「やめてくれ……やめて…………お願いします…………奴隷にでもなんでもなるから…………彼女を殺さないでくれぇーーーーー‼」
少年は震える体を彼女への想いで立ち上がらせる。だが麻痺が抜けずに、小鹿のように不安定なその足は到底、屈強な兵士達の敵ではない。
「黙って見てろっ‼ もうすぐで終わるからよっ‼」
「うわあああああぁぁぁぁ」
それでも少年は、その短剣を握る。母親の麻痺の魔術を気合で解除し、地面を蹴る。
その剣武の才は、やはり恐ろしいものだった。まず一人の兵士をその素早い動きで首を掻き切り、背後に回った兵士にタックルし、鎧の合間を狙い刃を突き刺す。八歳の少年とは思えないほどの武の才能だった。
……だが、それまでだった。
「えっ……」
激痛より、驚きのほうが早く少年の脳を支配した。不思議なことに、少年の腕が目の前を飛んでいた。短剣を握ったままのその右腕は人形のようにボトリと落ちた。
自分の身に起きた異変に気付くまで時間がかかった。とりあえず、何が起きたのか考えるため髪をかきむしろうとしたが…………その腕がなかった。
「ああ…………」
ようやく、自分の右腕がないことに気づき、自覚するとともに痛みが増していく。痛い――痛い――――痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱熱。
「あああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――――‼」
絶叫。断末魔にも似た少年の叫びが、森にこだまする。目がくらみ、かすむ視界の中で少年は信じ続けた母親を見た。心のどこかで、母親がこんな外道のはずがないと信じていたのかもしれない。
「私の子供から裏切りものを産むなんて……とんだ恥さらしだわ。早く次を産んで名誉回復しなければ…………」
少年は、自分がいかに愚かであるのかを、ようやく思い知った。痛みで薄れていく視界の中で、少女が壊れていく音だけが何度も……何度も……何度も……何度も――――。
――――お願いっ‼ 目を覚まして――――‼
そんな言葉で少年は目覚めた。そして、ほとんど本能のままに逃げ出した。いつの間にか振り出した雨の音が少年の足音をかき消し、逃げ出すための一瞬のスキを作ってくれた。
――――少年は走り続けた。
ただひたすらに、脇目も振らずただ一心に。その心にあるのは悲しみと怒りだけだった。その少年の右腕がつながっていた肩口からは、大量の鮮血がまきちらされている。
先刻から滴り落ちる雨は次第に彼の頬を強く叩く。だが、失った右腕の痛みのせいで少年は雨のことなど気にも止めなかった。
だが、その失血と雨は、容赦なく少年の体力を奪い去る。
「あ……」
少年は、惚けた声をあげてその場に倒れこむ。切れる息を整えながら、光の無くした眼で、神の作ったとされる空を見上げる。
「神なんていなかった……」
絶望をうつす少年の瞳は、透き通りすぎて悲しすぎた。彼を囲む森は、その全てを嘲笑うようで少年は悔しそうに歯噛みした。
雨音に混じる足音が聞こえた。彼もまた、それを聞いて戦慄する。――――いやだ……死にたくない。無様に残った左腕で地面を這いずる。
「いたぞ! こっちだ‼」
草をつかんだ手のひらが擦り切れ、ボロボロになっていく。
「助けて……」
――――お願いっ! 助けてっ‼
本来助けてくれる衛兵はあてにならない。彼らは今、傷ついた少年を殺そうと追いかけまわしている。
「助けて…………」
――――初めて好きになった人なのっ‼ 百年見てきた人の中で、やっと……見つけた大切な人なのっ‼ 殺させない……。だからお願い……私に力を貸してっ‼
彼女のことを思い出した。だけどその人は、命のない血だまりとなり、もうこの世には存在しない。
誰に助けを求めればいい? 思考を巡らせるが、この世界に少年の味方は一人もいない。無情にも少年を追いかけまわしていた衛兵は、地を這う彼の服をつかんだ。
「うわああああぁぁぁ‼ いやだああぁ‼」
――――っ‼ お願いっ‼ もう……時間がないの…………彼からの愛なんてもう……望まないから……私はもう何もいらないからっ‼ ……だからお願い。彼の思いを、願いを、絶望なんかに染めないでっ‼
四、五人くらいか。大柄で屈強な男達は黒いローブを纏って長剣を携えていた。だが、そこに恩情などなく、容赦なく少年の銀の髪を引っ張り上げる。
「いだあぁいいいぃぃ‼ いやだあああぁぁぁ‼」
泣き叫ぶ少年は髪を掴んでる男を見て、さらに絶望した。
その目は、少年だからとか可愛そうだとか、そう言う感情は持ち合わせてはいない。その男の目は……ただの害虫を駆除する作業員の目だった。
「うわああぁぁぁ‼ 助けてぇーーーママァーーー‼」
少年は突きつけられた剣を見て、自分の愚かさに気づいた。
そもそも、自分を殺すように命じたのは……今助けを求めた母親だった。
「うぐっ――――‼」
そのうめき声が、彼の最後の言葉になった。
少年が見下ろすと、自分の胸に……心臓に銀の刃が深々と突き刺さっていた。
――――いや…………いやあああああああぁぁぁぁぁ‼
少女の叫び声が、なぜか彼の頭の中で響き渡り…………少年はその命の火を消した…………。
そして、それが…………命の始まりとなった。
――――絶対……絶対許さない…………っ‼ いや、絶対殺させないっ‼
――――だから、次に会うときは…………きっと私を…………。
気が付いたときは、しりもちをついてその場に座り込んでいた。自身を貫いた刃はいつの間にか抜け落ちて、兵士の手からずるりと落ちる。少年が見上げると同時に血の雨が降った。
何が起きたのかわからない少年は、その光景をじっと眺めていた。だが……次第に高揚した。嬉しかった。
なぜなら……彼らを殺したのは、彼の右腕なのだから――――。




