第五話「紅血の右腕―③」
フランツェスカにとっては、こうやって屋敷に忍び込むことも初めての事だ。ジルートを欺き、拷問部屋から抜け出したものの、これからどうやって戦うべきかもわからない。手に握られているのはショートソード。フランツェスカに使いこなせる程度の軽い剣。確かに訓練のおかげで十分戦える程度までに力を手に入れたが、それで果たして、あのジルートを倒す事なんてできるのだろうか?
「……安心しろ。お前は、ただトドメを刺せばいい。それまでは俺が戦ってやる」
「はい……」
広く長い廊下を慎重に歩く二人。不気味なまでの静寂が二人を包み込んでいた。
「……それにしても、隠れないでいいの?」
「問題ない……この近くに人間はいない。ちょうど下の階に兵士が二人、聖堂の……おそらく自室のようなところにジルートがいるが、ご機嫌にワインを飲んでやがる」
「……どうしてわかるの?」
「……じきにわかる」
気にはなるが、ここまで自信たっぷりに言われると黙るしかなくなる。
「……下の階の奴らが拷問室へ向かったな」
「え?」
「……お前の叫び声が聞こえないから、不審に思ったんだろう……」
「大変っ……このままじゃ」
このまま拷問室に入られると、抜け出したことがバレてしまう。叫びになりそうな声を必死に抑えて小声でヴァンに忠告するが、とうのヴァンは落ち着きをはらっている。
「バレねーよ。もうすぐ排除できる」
「排除……? ど、どうやって」
「……いや、逃がしたなっ。あのバカッ!」
ヴァンは、そのままUターンして下の階につながる道へと走る。やがて、左肩を失った衛兵と対峙する。
「きっ! 貴様らっ‼ どうやって抜け出した‼ あ……あの血の化け物と仲間なのか!?」
「……? 血の化け物?」
フランツェスカはショートソードを構えて警戒しながらも、血の化け物という謎の単語に首をひねった。
だが、それ以上の異常事態によって引き起こされた吐き気を飲み込み、口を必死に抑える。
津波のような赤い液体が、彼の体を包み込む。そして、そこから生まれた無数の赤い針が彼の体を貫いた。
さらに兵士の体は、みるみるうちにブヨブヨにふやけていき、1.5倍ほどに膨れ上がると、骨が砕ける音があちこちから聞こえる。全身からあふれ出る腐臭が鼻を刺激し、やがて体は穴という穴から赤い煙を吹き出し、みるみる縮んでいく。
「やだなー。血の化け物とは心外だよ。せめて血のお姉さんと呼んで…………と、もう話せないか」
気が付いた時には、男はミイラ化していた。血の気どころか、水分すらまったく感じないその脆い体は、自重すら耐えきれず砕けていく。
いや、それよりもその赤い煙から形を成して登場したものが異様すぎて、思わずフランツェスカは後ずさる。
まさに赤い液体……血の化け物だった。青く鋭く光る瞳のようなものは存在するが、それ以外は血液が人一人の体を、不器用に作り上げていた。骨も、肉も、臓器すら存在しない外見は、ただのスライムにも似たモンスターだった。しかしその化け物が放つ声の主は、フランツェスカのよく知る人物だった。
「……クレアさん……なの?」
「ん? ああ、この姿では初めましてだね。クレアちゃんだよー。びっくりした? ねぇ、びっくりした?」
まるで子供が親に自慢をするように、キャッキャッと赤色のモンスターははしゃぐ。ため息をつきながらも、ヴァンはクレアの代わりに説明する。
「クレア=アルカード……生物学的には彼女は血液だ」
「え…………?」
意味がわからなかった。彼女は血液とヴァンは言った。だが、フランツェスカの知るクレアは間違いなく人間の姿をしていて、何度もその姿を目の当たりにしている。
「へぇ……初めて見ました。それが、吸血姫と呼ばれる貴女の手品というわけですか。いやはや、なかなかに楽しめました」
「っ! ジルート……」
ヴァン達の後ろには、ジルートがいつの間にか姿を現していた。考える暇もなく、ジルートの剣はフランツェスカの脳天に向けて雷のように振り下ろされる。ヴァンが抱き抱えて彼女を凶刃から逃がさなければ、フランツェスカの頭蓋は真っ二つに割れていたところだろう。
「ふん……よもや二人とも生きていたとはな」
「そういうアンタも、てっきり油断しまくって、ワインでも楽しんでるんだろうと思ってたぜ。……まさか一番私腹を肥やしているアンタが、一番強いとはな」
「減らず口を叩くな……私を誰だと思っているっ!」
ジルートの放つ横一閃は、ヴァンの頭があった空間を切り裂き、バク転で回避したヴァンは、まるで重力も慣性も感じさせず飛び上がり、天井を蹴り、縦一閃に斬りかかる。紙一重にかわすジルートを体のひねりを最大限に利用したヴァンの剣撃が追撃する。
「ぐっ!?」
ヴァンの剣は、次第にジルートを追い詰める。剣の腕は若干ヴァンのほうが上のようで、鮮烈な連撃に、一歩ずつ下がるしかなくなる。だが、ヴァンも相手のスピードに決定打を打てないでいる。
「随分とすばしっこいじゃないか。逃げ足だけはほめてやるよっ‼」
「逃げ足? 違うな…………これは――――」
「ぐっ!?」
いつの間にかやってきたジルートの左回し蹴りがヴァンの右腕に命中する。甲冑の上からもとんでもない破壊力を見せ、隙間から大量の血があふれてくる。
「蹴りというものだ」
「……脚力……そうか、だから自室に待機していても瞬間移動のように移動できたんだね」
「あと、聴覚も私の自慢でね。……聞こえていたよ? 貴様らの会話も」
まさに地獄の鎌の底の音も聞き逃さない聴覚。そして、防具すら無視して骨を砕く強靭な脚力。ヴァンも一切予測していなかったわけではなかったようだが、意表を突かれたことは間違いない。
「や……やっぱり、勝てないの……? 私は…………一生奴隷のまま…………」
フランツェスカは、その圧倒的な力の差に次第に怯えはじめる。
剣術のうまさでは確かにヴァンだろうが、あの尋常じゃないほどの蹴りを見た後だと、戦力差は歴然に見える。現にヴァンの右腕はその鉄の鎧を破壊し、大量の鮮血をその隙間からあふれ出している。
「一生奴隷……? テメェが勝手に勝敗をつけてんじゃねぇ。……テメェの運命も、勝手にあきらめてんじゃねぇ。テメェの生き方くらいテメェで決めろ。そのかわり――――」
血があふれ出る鋼の右腕を、何かを握り上げるように胸元までもっていく。
「そのかわり……テメェの生き方くらい、テメェでつかみやがれ。手伝いはする。だが、すがるんじゃねぇ。泣きわめくな。甘ったれんな。あきらめるな」
「あきらめろ。絶望しろっ! 無様に命乞いをしろっ! その砕けた腕で一体何ができるというのだ‼」
ジルートが逆袈裟に剣を振り下ろす。右腕が砕けているなら、絶対に防げぬヴァンの右側を狙う。
「あきらめなければ……お前の意志は砕けねぇ。あきらめないから……俺の意志は誰にも砕けねぇ」
だが、その剣はヴァンの右腕によって防がれる。血が今もあふれているのに、全く関係ないように不敵な笑みを浮かべながら。
「教えてやるよ。教祖様……。俺は、神に死を与える死神……神死だ」
そして、甲冑は砕かれる。いや自らの意志で分解したように細かいパーツになり、その腕をすり抜ける。
血潮でできた……右腕を…………。
「み……右腕がない…………?」
正確にはある。だが、吹き出す血液をクレアのように浮遊させ、いびつに再現した右腕。まるで拘束具のように甲冑は封印を解き放ち、血は次第に渦のようにその場に結界を作る。
「こいっ! クレア‼」
ヴァンが右腕をかざすと、クレアが渦となり右腕に吸収されていく。
――――僕は、あの人の右腕だから。
――――俺が生きている限り奴は死なねぇ。クレアが死ぬときは俺が死ぬ時だ。
――――その光景を見た瞬間。フランツェスカはすべてを察した。
「クレアさんが……ヴァンの右腕になった……いや違う。ヴァンの右腕に戻った――――」
ヴァンの血の右腕にクレアは飲み込まれた。いや、ヴァンの血へとクレアが戻った――――。
「き……貴様らは一体なんだ…………その体は一体なんだっ‼」
そして、その右腕から、赤い宝石で作られたような片手直剣が形作られる。
「さっきも言ったろうが…………俺は、神に死を与えるもの――――」
――――神死・右腕の吸血姫――――




