Act.4 A Secret Injury
3人は料理を取り終えてテーブルについていた。
フードコートには、ファストフードのお店やラーメン屋、ステーキ屋、それと和洋中が楽しめるアラカルトの店があり、さながら大学の学食のような雰囲気だ。
とくにアラカルトの店の品揃えは豊富で、同じ列に並んでいたというのに食卓は三者三様。
「いっただきまーっす」
ムンクはとんかつ定食、星羅はお気に入りのオムライス。そして、美那は――――
「渋いね、美那」
「えっ、でも美味しいじゃないですか。秋刀魚の塩焼き」
焼き魚定食を頼んでいた。地下に季節はないが、食材を仕入れている地上では秋が深まり、秋刀魚は旬を迎えていた。
「面白いじゃないか、食卓にも個性があって」
そう言ってムンクは味噌汁を一口すする。
「美那ちゃんは和食が好きって言ってたね」
「そうなんです。渋いっていうのはよくよく言われるけど焼き魚、煮魚がとっても好きで。ほら、あの皮の近くのほろ苦いところあるじゃないですか」
背わたというものだ。とくに秋刀魚のそれは苦み、えぐ味が強い。
「あたし、あそこは残しちゃうなー。苦いから」
「それが美味しいんじゃないんですか」
「星羅は子供なんだよ」
ムンクの一言に星羅はムスっと膨れっ面。
「それにしても美那。君の歌は素晴らしかったよ」
「ほ、本当ですか! 練習の時は声小さくしてたんですけど。あたし、ちょっと癖があるというか――――」
「あ~、ビブラートのこと?」
「はい、あたし演歌とか歌謡が好きで。歌の練習はいつもそういうジャンルの曲ばかり歌っていたんです。それでビブラートというか、こぶしを入れる癖がついちゃって」
「ビブラートは使いようによっては、ロングトーンで観客を一気に魅せることができる。癖なんかじゃない。素晴らしい個性だ。自分でもその自覚があるから、あの声量が出たんじゃないのか」
普段はあまり張り切った声を出さない美那だったが、自信がついたのか。大きな声で「はいっ!」と返事をし、笑ってみせた。
「またいいこがいたらメンバーを増やす予定だから、最低でも5人は欲しい。それもそれぞれが別々の方向を持ち、なおかつ統一感のある5人だ」
「5人。本当にアイドルユニットとして展開させていくんですね」
これからまだメンバーが増えるというムンクの発現に、星羅は期待に胸を膨らませた。
「それに並行してソロプロジェクトもできればいいと思っている。私の創作の幅も広がるだろうからね。特に美那、君の好きな演歌・歌謡は今の音楽界では悲しくも廃れつつある分野だ」
「う、歌えるんですかっ! 歌いたいです! もともとある曲を歌うのも楽しいけど、やっぱり自分だけの歌が歌いたいです!」
美那は自分の好きなものには嘘がつけない性格のようだ。それともようやく打ち解けてきたのだろうか。ハキハキとしゃべるようになった美那を見て星羅は少し微笑んだ。
――――シェルタリーナ内にあるコンビニで3人は買い物をしていた。ムンクは約束通り、星羅と美那に、食後のデザートをおごることにしたのだ。
「トンカツ定食580円、オムライス460円に焼き魚定食560円。それにコンビニケーキが1個340円相当で――――。合計で3000円超えるぞ」
「いや、超えないですよね……」
ムンクはスマートフォンの電卓機能で計算した額に頭を抱える。
「いや、私の晩酌台を入れたら、確実に3000円超えるのだよ」
「知らねえよ! そこは晩酌我慢しろよっ!」
ツッコミのときは敬語が解ける星羅。思わず美那もぷっと噴き出してしまう。
「ひとり1個までだからなー、お財布もカロリーも厳し目で行くぞ」
「わかってますよー。――――あたし、このティラミスで」
「美那は決まったかーっ?」
「は、はいっ!」
美那の手には、2個入りパックのおはぎが。
「菓子の好みも和なんだな。ふたりとも私の籠に入れてくれ。一緒に買うからな」
既にムンクのぶら下げる籠には、晩酌のビールとおつまみが入っている。
会計を済ませてコンビニを出る。店の所在を表す看板の灯りが四六時中薄暗い地下にぼんやりと浮かんでいる。時計を見やると時間は夜半に差し掛かろうかという具合だが、この地下では時間感覚というものが狂いがちだ。
街灯や照明は数も光量もどこか頼りない。暗い闇の帳が覆う背後から、ムンクは話しかけられた。
「すみません」
話しかけてきたのは、メガネをかけた赤髪の少女だった。長く伸ばした髪を前に持ってきて顔の輪郭を隠している。しかし、体型はかなり線が整っていて身長も高い。ニーハイソックスの似合う脚の長い少女だった。
赤いハンドバッグに両手を添えて深々とお辞儀をする少女。
「あ、あのっ、ムンクさんですよね。あたし! ファンなんです! あなたのプロデュースする、星羅ちゃんと美那ちゃん。つまり、ICの――――」
緊張を振り切って芸能人に接触する一般人を絵に描いたような、がちがちにこわばった立ち振る舞い。つい先日、美那が初めて加入したときのことを思い出す。
「そうか。それはよかった、女性の評価もあってこそのアイドルだ。とても嬉しいよ。それに裏方のわたしの存在も知っていてくれているとはね」
「それでその、教えて欲しいことがあるんですけど。あの……、近々大きなライブの予定とかはありますか? ぜひとも行きたくてっ」
「そうか。――――シェルタリーナで一番大きなステージでライブをしようと思っている。ちょうど一週間後だ。チケットは当日販売のみでね」
ムンクが言ったことはどうやら星羅と美那には伝わっていなかったらしく、キョトンとするふたり。
「えぇえええーっ! 随分急な話じゃ」
ふたりは声を合わせて驚愕する。
「今までのステージは窮屈だっただろう。これからは自由な音楽にふさわしく、広くて大きな舞台に立つんだっ」
「――――自由な音楽ですか。素敵ですっ!」
自由な音楽。一瞬、少女の眉間に皺が寄った。しかし、それはすぐに消え失せて無邪気な笑みをつくった。
「これからも、応援させてくださいっ!」
頭を下げ、カバンから色紙を取り出した。
「それから。あ、あの……。よろしければサインを――――」
「ICのか? それとも私のか……?」
「あなたのサインが欲しいです!」
サインをせがまれるなど初めての経験だった。それもプロデューサーにとは。少し焦ったが、なんとか冷静に対処した。
サインの描かれた色紙を受け取ると、少女は静かに口角をつり上げた。そして、我に返ったように表情を無にし、それからまた無邪気な笑顔を浮かべた。最後に深々とお辞儀をして色紙と赤いハンドバッグを大事そうに抱えながら、路地裏へと消えて行った。
「あたしたちにファンが喋りかけてくるなんて初めてじゃないですか?」
「そうだな、ICも随分と有名になったもんだ」
ふたりに反して、美那は少し浮かない顔をしていた。
「さっきのこ。なんか、怖くなかったですか?」
「えっ?」
「なんか感じたんです。説明はできませんけど」
美那だけが少女から“何か”を感じ取っていたようだ。
*****
人気のない地下街、裸電球の光がわずかに差し込む薄汚い路地裏。 胸を撫で下ろして溜息をひとつ。少女は赤いハンドバッグからスマートフォンを取り出し、電話をかけた。
相手は一体誰なのか。先程もらったサイン色紙を、まるで団扇のようにぱたぱたとさせる。灰色のコンクリートの壁にもたれかかり右脚をくの字に曲げた。
先ほどまでの芸能人に憧れる純真無垢な少女は、その本性を現し始めた。
「もしもし、マスター?」
電話の相手をマスターと呼ぶ。
「馬鹿どもの足がつかめましたよ。一週間後に、奴らは大きなライブを控えています。――――ええ、もちろん。必ずや台無しにしてみせますよ」
その口調にもはやあの純粋さはひとかけらもない。
「そのために用意して欲しいモノがあるんです。前から言ってたでしょ。ええ、匂いが少なくて、かつ強力な――――医療用のものがいいわね。
よろしく頼みます。あたしは奴ら馬鹿どもを潰すためなら、手段は選びませんから。他の甘ちゃんとは違うんです。
安心してくださいよ、マスター。あたしは人間やめても、アイドルはやめないんで」
そこで浮かべたのは、純真無垢とは程遠い邪な笑み。猛禽のように、瞳孔の開いた鋭い瞳。非対称につりあがって引きつった口角。誰かを貶めたい浅ましさに塗れた薄ら笑い。
その電話の一部始終を見ていた人物がいた。寺嶋だ。
「あんたはストーカー? レズのストーカーって、変態もいいとこね」
「何回目かな。あなたにこの言葉を言うのは――――。浅ましいよ、嬉良」
正体がバレたところでネタばらし。少女はメガネと赤髪のウィッグを外し、正体を見せた。――――嬉良だ。
「変装に手間かけたのよ。まあ、恐らくはずっとつけてきたんでしょうけど。で、なんのよう? 仕事の打ち合わせ以外なら、ごめんだよ。変態レズストーカーの寺嶋さん」
「何を喋っていた? なにか手配していたようだが・・・」
嬉良の挑発には乗らず、寺嶋は要件だけを問い詰める。
嬉良は、表情を隠すかのように顔をうつむけた。最近になって嬉良はマスターとの連絡を頻繁にしている。それも周囲の人物にはその内容を話さない。
「余計なことはするな。あくまでも正々堂々と戦おう」
嬉良は無言で、埃にまみれた地面を見つめたままだ。
「嬉良、聞いているのか?」
「――――あんたでしょ? 相手としては厳しいって言ったのは」
そして顔を俯けたまんまで、地を這うような低い声を出した。それこそ、男声と聞き間違えてしまうくらい。
「それはそうだが、だからって相手を」
「正々堂々とやって勝てないってわかってるから、あんなこと言ったんだろうがっ!?」
嬉良は長い脚を寺嶋の脚に引っ掛け、脚払い。態勢が崩れて埃の積もった地面に寺嶋は転がされる。立ち上がろうと手をついたところ、嬉良はその手を思いきり踏みにじった。
「うぁっ」
「勝てないと思うって? 安心してよ。勝たせてあげるし、あんたの手は汚させないよ。汚れるのはあたしの仕事だからね。
あんたは、あたしの横で正々堂々と、楽しそうにバカみたいに歌ってなさいよっ!」
「嬉良、頭を冷やしてくれっ。もう、そんなお前を見たくな――――」
寺嶋が言い終わるかのところで、腹部を鋭い蹴りが貫いた。ごろごろと転がる寺嶋。衝撃のあまりに嘔吐き、胃酸が口元まで上がってくる。喉がしびれ、嫌な匂いがする。
ぐらぐらとする寺嶋の視界。嬉良はゆらゆら引きつった笑みを浮かべながら、しゃがみ込んで寺嶋の顎を掴んだ。
「じゃあ、死ねばいいよ。あたしの前から消えてよ、ウザったいんだよっ!
負ける負けるって具体的な打開策も打ち出さないで。自分が汚れるのが嫌なだけだろ。だったら負ければいいのに、それさえも嫌がる。
正々堂々なんて謳ってるんじゃないよ。負けたらどうなるか、――――捨てられるんだよっ! あいつみたいに! マスターがそんなことしないって? ええ、思ってたわよ! あいつが捨てられるまではね! ――――死にたくなかったら、黙ってろ」
顎を握りつぶすかの如く力を込めて、爪を頬肉に食いこませる。そして、頭部を投げ捨てるかのように乱暴に寺嶋を解放した。
「うぇっほ! うぇっほ! おぇ――――」
激しく嘔吐き、地面に屈みこんで苦しむ寺嶋を、嬉良は嘲笑した。
「あたしね、前に水着の撮影断ったの覚えてる?」
そう言って嬉良は右足の靴を脱ぎ、履いていたニーソックスを脱いだ。その脛には、綺麗な少女の白い肌に不釣り合いな、グロテスクな縫い傷があった。きっとそれが開いていたときは、肉どころか骨まで見えていたんじゃないかというほど大きな傷が――――
「嬉良、その傷は――――」
「痛いの。あいつらを見ていると、あんたを見ていると、とんでもなく痛いのっ!
いたいのはだいきらいなの。だからほかのひとに、わけてあげるの。そしたら、ちょっとだけいたくなくなるの……」
濁った瞳でぼそぼそとつぶやく。嬉良は片方の靴下と靴を右の手にぶら下げたまま、頭を垂れて歩き始めた。素足が埃と泥で真っ黒に染まる。なおもその足で彼女は歩き続ける。
「いたい。とってもいたいの。どうして、こんなにいたいのに。なにもしてくれないの。
ねえ、もっといたくなるよ。もっともっと、こころまでいたくなるよ」
嬉良はそう呟きながら、ほの暗い街を歩いた。幼い頃に感じたその傷の痛みを忘れまいと、自らの心に刻み付けるようにして。
寺嶋はただただ圧倒された。立ち上がることすらできずに、その姿を見送ることしかできなかった。




