Act.23 タレコミデストラクション
ムンクは頭を抱えていた。リースが消息を絶って、もう一週間が経とうとしている。これまでは体調不良ということでファンたちには隠してきていたが、リースが行方不明であるという事実をこれ以上隠し続けるのもいかがなものか、と唸っていた。
「どこ行っちゃったんだろ……リース」
美那が弱音を吐いている。
リースが居なくても活動を続けてきたこの数日間。日に日に彼女を心配する私情と音楽活動を切り離しにくくなっているのは、メンバーも同じだった。
「今日のライブは中止にするか。これ以上、リースがうちに加わってから担っていた役割は大きい。彼女のいないライブを続けるのはファンの失礼になる気がしてきた」
それは彼なりの気遣いも入っていた。表情の忙しい星羅と比べて、美那はあまり感情を露わにしない。そんな美那が弱音を吐くということは、リースの空いた穴は、想像よりも大きいものだったと彼は認識したのだ。
後ろ向きな決断の後、ため息をついて立ち上がったムンクを呼び止めたのは星羅だった。
「待ってください! ムンクさん……」
一瞬にして楽屋の空気が張り詰める。
「音楽って伝えるためにあるんですよね? 誰かに何かを伝えるために……そして誰かとつながるためにあるんですよね! 会場にリースが来ることは、ないと思います。まだすぐに戻ってくるわけでもないと思います。でも、でも! きっと、いつかどこかで聞いてくれるかもしれない! そうしたら、きっと……きっと……戻ってきますよ! ファンにはことの全てを話しましょう! そうすれば、ファンのみんなだって!」
「真実を話せば、リースが入ってからの新規のファンは肩を落とす。まだしばらくは見送るべきだ」
「本当にファンのためなの!?」
立ち上がって、そう叫んだ星羅をムンクが見上げる。
「それって怖いだけじゃないですか? そうやって隠して、私たちがファンからの信用を無くすことこそが、革命から一番遠ざかるんじゃないですか?
ムンクさん、あたしに言ってくれましたよね? 音楽は誰かに何かを伝えるためにある、そして誰かとつながるためにある。だから、ファンも仲間もとても大切にしなくちゃいけないって。
あたしは一人になっても舞台にあがりますよ。それが本当にファンのためだと思うし、リースもそれを望んでるはず。何より、あたしがついていくと決めたムンクさんなら絶対にそれを望むから!」
星羅の言葉に鼓舞されて美那も立ち上がる。
「あたしも協力する。リースちゃんにあたしたちの声が届けば……きっと……」
星羅の剣幕に押されて口をぽかんと開けていたムンクが俯いた。一文字に閉じられた口と翳った表情。それは、口角が上がって不敵な笑みへと変わる。ついに彼は大声で笑い始めた。
「ムンクさ……ん?」
「まいったよ…… 私がバカだった…… まさかお前に励まされる日が来るとはな。頼りないプロデューサーで悪かった……」
ムンクは星羅に頭を下げた。足りない自分に不貞腐れた笑みを送りながら。そして顔を上げて向き直ったとき、星羅が口許を隠して微笑んでいるのが目に入った。
「知ってましたよ、ムンクさんが頼りないことくらいは。いつも気の上がり下がりが激しくて困ってるんですから」
「へ?」
自分でもびっくりするくらい間抜けな声をムンクは上げてしまった。
「でもだから、ずっと傍にいて歩いていかなくちゃいけないんだって。それで今もこうして手を取り合ってここにいるんです」
だらしなく垂れ下がったムンクの右腕が星羅に握られる。温かい、いやそれどころか熱いくらいか。
「「今日のライブ……よろしくお願いしますね、プロデューサーさん!」」
声を合わせて微笑みかける星羅と美那。
「……ったくやけに生意気なアイドルだ」そう小声でつぶやいたあと、ムンクは手を打ち鳴らした。
「リハーサルに入るぞ!つくりかけの曲に詞が今浮かんだ! 今晩のライブに間に合わせろ! 曲名は――」
キミにとどけ
今この気持ち伝えたい 遥か遠くへ
どこまでも世界中探して キミにとどけ
ねえ覚えてる? はしゃぎあった
日が暮れるまで 話したこと
ねえ覚えてる? ステージの上で
一生懸命で 歌ったこと
短い間だったからこそ
まだまだ まだ……話したいキミは どこに行ったの?
今この気持ち伝えたい 遥か遠くへ
どこまでも世界中探して キミにとどけ
ねえ聞こえてる? 今泣いてない?
電話をしてもね 返事がない
ねえ分かってる? 今泣いてるよ
突然遠くにね 行っちゃったから
短い間だったからこそ
まだまだ まだ……そばにいたいキミは どこに行ったの?
今この気持ち伝えたい 遥か遠くへ
どこまでも世界中探して キミにとどけ
特大の拡声器で うるさいくらい大きな声で
この声が聞こえますか
今この気持ち伝えたい 遥か遠くへ
どこまでも世界中探して キミにとどけ
今ここで聞いているなら その手を挙げて
つないだらまたここで 一緒に歌ってくれるよね
もちろん、この詞はムンクひとりで作られたものではなく、星羅や美那の想いも取り入れられている。一刻でも早く、リースが戻ってくるようにとの願いを込めて。
本番前の衣装チェック。この前まで3着の衣装が用意されていたのに、今では2着だ。
リースはいつも一生懸命で、汗だくになって踊ってきらきらの笑顔を振りまいている。動きにくい衣装のくせにステージ上を端から端まで駆けずり回り、観客に向かってマイクを掲げたりと、そのパフォーマンスはアイドルというよりもロックスターに近いものだった。
でもそんな感慨にふけっている時間は、ムンク、そして残されたメンバーの二人にもない。
「今日のライブの冒頭で例の新曲を披露する ライブはMC、アンコールも含めて、1時間半だ。ライブセットは打合せしたとおり、全部で10曲。リースがいないのは心細いだろうが頑張ってくれ」
ムンクの先導で舞台袖まで案内される二人。ざわつく観客の声が漏れ聞こえる。
「オケも完全にセットしてある 準備万端だ! 客の入りも良好 あとは君たちだけだ! いいか!準備はできてるか!」
ムンクの腕があたしと美那の前に突き出された。その上に美那と一緒に手を乗せ、同時に声を合わせて返事をする。
「はいっ!」
一斉に腕を地面に向かって押し込んだあと、天井高く突き上げる。開演前の暗転。歓声がより一層大きくなる。その幕の向こうへと二人は駆け出した。スポットライトが眩しく照りつけるステージの上に躍り出る。いつもの、いや、いつも以上の拍手が出迎えてくれた。
マイクのスイッチを入れる。軽くハウリングする。
「今日は……あたしたち、ICのライブに来てくれてありがとうございます!」
星羅のMCからライブはスタートした。
「今回でリースのいないまま……2回目のライブになります。前回のライブでは、みなさんには、リースは体を悪くしていて療養中だと……そう、言っていました。すぐに戻ってくると約束しました。でも……彼女は今日も戻って来ていません。数日前から行方をくらまし、連絡も取れない状態です」
観客にどよめきが走り、ざわつき出す。中にはリースが推しの客なのか、ライブハウスを後にしようとする客もいる。
「待ってください!」
それを会場に呼び戻すかのように、今度は美那がマイクを手にとった。
「た、たしかに……動揺するのもわかります……あたしだって、わかりません! 突然いなくなっちゃって! この前まであんなに元気にとなりで歌ってたのに!」
二人がステージ上でMCをしている中、マナーもわきまえず携帯電話で通話する観客がひとり。美那はその存在に気づき、一瞥して口をへの字に曲げる。
だが、その客はマナーが悪いだけでは収まらなかった。
「だから、探してるんです……、リースを。あたしの、あたしたちの大事な友達を! 仲間を!」
熱を入れて語る星羅。その隣で美那は、その客の異常な行動に目を丸くしていた。そいつは、群衆をかき分けて最前列に躍り出て、あろうことかステージの縁に右手をかけた。
その手は骨が浮き出ていて見すぼらしい。正直、そいつがステージの上によじ登る、その筋力がいったいどこから湧いて出るのか、なんて思案している場合じゃない。止めなければ。美那は身構えた。
「もし、この地下のどこかで……彼女を見かけたら伝えてください! ICはいつでもリースが帰ってくるのを待っています! 今も探しています!この会場に……この世界のどこかにリースがいることを信じて……リースが聞いてくれていることを信じて、歌います!」
星羅の熱弁が終わり、新曲『キミに届け』のイントロが流れ出したタイミングで、その迷惑な客はステージの上に上がった。
「何をしてるんですか、やめてください!」
そいつは服の上からでも分かるほど痩せ細った女だった。彼女は前髪のベールの影でほくそ笑み、美那の眼前でクラッカーを打ち放った。怯んだ隙に美那のマイクを奪い、動揺するファンたちの前で演説をし始めた。
「すぐに戻ってくるですって? 阿保らしい。こんなダサい曲まで作ってバカみたい。あなたたちって熱血ですけど、その実は頭の中はお花畑ですよね?」
キンキンと響く甲高い声は、マイクを通すとハウリングが混じっている。
「公演を妨げる行動はやめてください!」
声を荒げる星羅のまえに、新聞記事が突き出された。あまりにも目の前に突き出されたため、後ろにのけぞった。その瞬間、紙面にでかでかと載せられたモノクロ写真が目に入る。泥酔して床に倒れたかつてのメンバー、リースの醜態。おまけにタバコの箱やひっくり返って中の灰が出てしまった灰皿まで写っている。
「なに……これ……」
「なにこれって、それはこっちの台詞です。あなたたちはなーんにも知らなかったんですよ。その子の本性を」
星羅には、その記事はにわかに信じ難かった。少女は美那から奪ったマイクを手に、記事に書かれた非行に走った一人のアイドルの哀れな姿を解説し始める。
「見てください……、この記事を見たときのあたしの気持ちがわかりますか? 自分が応援していた……自分の目の前で可愛らしい衣装を着てきらびやかなスポットライトを浴びていた……、あたしにとって憧れの存在だったアイドル。そして、この記事に書かれた……煙たいタバコをふかした、酒臭い酔っ払い。挙げ句の果てに床に倒れて醜態を晒す始末。
それが、あのアイドルだと知ったとき……その気持ちがわかりますかっ!」
美那はクラッカーの目潰しからようやく立ち直ったところ。星羅は星羅で、その記事に書かれたことを受け入れられず思考回路がショートしてしまっている。
「みなさんに伝えたいことはこうです。あなたたちが憧れていたアイドル……いや、辻井リースはただの酒臭くて煙たいヤンキー娘だっ!
あたしたちは裏切られた! 今日この瞬間からICは、リースがいた頃は非行少女をかくまっていた薄汚い連中っ! そして、リースが抜けた今は、問題を抱えたメンバーを捨てる非情で冷酷な奴らだ!」
拳を握り締め、観客を煽るそいつを背後から手が引っつかむ。
「だめっ!星羅っ!」
美那がそういった時には遅かった。星羅の手は、そいつの頬を平手でうってしまった。殴られたそいつはわざとらしく倒れ、叩かれた右頬を抑えて、恐れおののくようにすわったままで後ずさりしながら星羅を潤ませた瞳で見上げる。
「……ばかに……するな……!リースを馬鹿にすんな!」
「み、見てください!今の見ましたか! あの星羅ちゃんが……野蛮にも手を上げて」
「あたしのことはどうでもいい! リースを馬鹿にしたあんたを……許さない! たとえ、この記事に書かれたことが本当でも…… あたしはリースを見捨てたりしない……」
だが、眉間にしわを寄せ怒りを露わにする彼女を愛でる者などいなかった。客はぞろぞろと帰り始め、やがて、ライブハウスは閑散とした。
「あんなやつ、見捨てていれば、今日のライブこんなことにならなかったかも知れないのに」
「だまれ! 絶対に……許さない! ぜった……」
「星羅! 落ち着いて!」
美那に抑えられ、ステージの上でつまづき転んで、じたばたしてもなお星羅は治まらなかった。少女がわざと振り返り、ほくそ笑んでから客席のドアを閉めるまで。




