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Act.15 暴走強烈ガール

 昼になる頃、リースの体調は、今朝まで玄関先で倒れていたのが嘘のように回復していた。

 だが相変わらず頬はこけてしまっており、幸薄な人相だ。

 それが心労から来ているものだと感づいていたムンクはあえて、彼女がここにやって来た理由を尋ねなかった。

 その代わりに、星羅と美那と買い物に出かけるよう勧めたのである。


「リース、着替え終わった?」


 星羅が声をかける。

 スタジオに付属した更衣室。姿見を覗き込むと、自分のやつれた身体が映る。ウエストはもちろん、ブラジャーのアンダーでさえ余るようになってしまった。ブラジャーの下にあばら骨が気持ち悪いくらいに浮き出ている。脂肪どころか、筋肉や骨格まで削ぎ落されているかのような痩せ方だ。

 家から引きずってきた鞄に、ある程度の着替えがある。とはいっても下着と簡単な服くらい。あとは家においてきてしまった。

 とりあえず今は家に戻ることは考えたくなかった。

 家から持ってきた服を着てみる。やはりサイズが合わない。ショーパンを布製のベルトで、見すぼらしい身体に括り付ける。こうでもしないと、歩いている途中でずり落ちてしまう。

 ただでさえ見すぼらしいのが、余計に不格好になってしまった。

 ため息をひとつ付き、ガムを口の中に放りこむ。スペアミントのフレーバー。そして香水をカバンから取り出し、軽く身にまとわせる。タバコを吸うようになってから覚えたくせだ。これで自分のヤニ臭さがどれだけ抑えられるか。――――リースは、自分がまるで汚物のように思えてくるのだった。


「はやく! もう、先行っちゃうよ!」


 更衣室の外に出ていた星羅が扉をノックしてせかす。


「ああ! ごめんごめ――――」


 それに応えようと、小走りになった。

 だが、忘れかけていた呪縛がリースを襲った。

 頭部を鋭利な刃物で突き刺されるような痛み。額に手を思い切り押し付け、痛みを和らげようとする。だが、そんなものでごまかせるものではない。

 頭がくらくらとして、蹲る。息が荒くなり、床に横たわってのたうち回る。そのうち、喉に不快感が現れ、やがて嘔吐きはじめた。床に吐くことは憚れる。その思いでかろうじて立ち上がり、更衣室の洗面台までたどりつく。体の力が抜け、洗面台にもたれかかってしまった。


(また例の症状だ。忘れていたのに、忘れたかったのに)


 意識が朦朧とする中、蛇口をひねり、嘔吐きを抑えるために水を大量に飲み込んだ。

 蛇口を荒い息をたてて締めたところで、スマートフォンにメールの着信が入った。耳に鋭く刺さるその音はわずか2秒ほどで収まった。

 視界は、上下左右に激しく揺れるも、画面に映った文字はなんとか確認できた。


“友見坂 嬉良 からのメールが入りました。”


 しばらくして、やっと更衣室の中からリースが出てきた。

 なぜか口元が少し濡れている。


「もう、遅いよー!」


 何気なく近づいてくる星羅に少し後ずさり。人と一定の距離をとるようになったのも、タバコを吸い始めてからの癖だ。

 喉に酸っぱいものが。さっき水で流しこんだのに、数分と経たないうちに舞い戻ってきた。唾を飲み込んでなんとか押さえ込む。


「ご、ごめん」


 平静を装いはするものの、視界の中で星羅、美那だけでなく何もかもが二重になってしまっている。完全に両目の焦点が合っていない。バレないようにさりげなく、壁にもたれかかることで体を支えているが、今にもその場に膝を折ってしまいそうなくらいにグラグラする。

 リースは虚しさをひしと噛み締めた。


「大丈夫、顔色悪いよ。やっぱり、まだ寝とく?」


 美那のその一言に甘えてみたくなった。だが、やはりリースには、強がりが染み付いてしまっているようだ。


「ううんっ、行こ!」


 精一杯の作り笑いを浮かべ、きゃっきゃと騒ぐ美那と星羅に加勢した。

 前を歩くふたりからわざとらしく距離を外して歩くリース。嬉良からのメールの内容を確認する。忘れてしまいたかったが、嬉良は自分の父親を人質に取っている。


お前に必要なものをやる。

夕方にシェルタリーナの5番道路の路地裏に来い。

お前がよく行くコンビニエンスストアの裏だ。

来なかったときはわかっているな。


 その文章を読んだことで、リースには視覚以上にふたりとの距離が遠く感じられるのだった。


「ねぇ、ここのアイスクリームすっごく美味しいんだよ。とくに抹茶!」

「えー、バニラ味の方が美味しいよ」


 ふたりの声が遠い向こうから聞こえた。遥か遠い向こうからだ。すぐ近くに見えているのに。まるで、異国のテレビ中継を見ているようだ。


「ぜったい、抹茶!」

「いや、バニラだって!」


 自分はそのふたりがいる世界へ行けるだろうか。

 リースは止めていた足取りを再び進めた。


「お待ちなさいよ」


 背後から聞こえる距離にぴたりと止まる。


「あたしを置いていく気? 良い度胸をしているわね」


 振り返ると、ゆらゆらと笑う嬉良がそこにいた。


「諦めなよ。その向こうには絶対に行けない。目の前にいるのは、’健全な’女の子。アイドルにふさわしいなんの汚れもない女の子。

 だけどお前は汚れている。歯に茶色いヤニが染み付き、服にはタバコ臭さが染み込み、吐く息は不健康な鼻を刺すような匂いがする」


 長身ですらりとした長い四肢には、逞しい筋肉がついている。今の痩せ細り、衰弱した身体では敵いっこない。驚くほどの大きな歩幅で嬉良は、リースの目の前に躍り出た。リースは額からだらだらと冷や汗を流して後ずさり。追いつめられた踵が、地下の天井を支える支柱に当たる。


 「認めちゃいなよ。越えられない壁の向こうに憧れ続けても心労になるだけ。服の匂いを消すコロンも、口臭をかき消すガムも無駄な努力よ。

 誤魔化せば誤魔化すほど身はやせ細り、着飾れば着飾るほど着太りしていく。

 お前が求めてる安息はどんどん遠ざかる。それに大好きなお父さんもね」


 嬉良は着用していた上着のポケットからタバコの箱を取り出した。自分を呪縛している代物だ。リースはそれを見まいと目を背ける。しかし、そっぽを向いた先に嬉良が回り込み、眼前にその箱が突き出される、


「お前のお父さんの命を預かった条件、覚えてる? 都合がいいことに、それがお前の求めている“安楽”よ。さあ、諦めるんだよ。お前には、こいつしかな――――」


「リース! なにぼうっと突っ立ってるの? 早く行くよ!」


 星羅の声がリースを白昼夢から引き戻した。


「――――う、うんっ」


 我に帰ったリース。目の前に立ち塞がっていた嬉良の幻影は姿を消していた。開いてしまったふたりとの距離をつめるべく、リースは走り出した。


***** 


「止まれぇえ!」


 銃声がこだまし、銃弾は鋼の壁に甲高い音を鳴らして弾かれた。


「ああっ! くそっ! また外した!」


 女はそう叫ぶと、外した弾の鬱憤を飲み込むように喉を鳴らして水を飲んだ。

 女というのに最近になって射的場に足繁く通うようになったらしい。年も若いくせに、発育の良いグラマラスな体つきに少し憂いを帯びた長い髪のやけに色気のある女だ。

 だが少々ヒステリックなところがあるのが玉にキズといったところ。


「動く的にむかって、“止まれ”だってさ。しかも時速70kmだぜ」


 女を指差して射的場のカウンターにいる太い男がヘラヘラと笑っている。


「速く動かしてくれって言うからさ、最高速度にしてやったよ」


 その横には対照的にしかめっ面のやせ型の男もいる。ふたりはこの射的場の店員。ひとりはバイトで長く入っている奴、もうひとりは今日入ってきた同い年の新入りといった具合だ。


「よせよ、誰かわかってるのか? あの常連の嬉良だぞ。怒らせたら超怖いって言う噂の」

「常連? 彼女が? 気晴らしできたぐらいじゃないのか?」


 おそらく10代の彼女が、射的場なんかの常連と聞いて、太い男は目を丸くした。


「ここんとこ毎日来てる」

「へぇー、俺今日来たから知らねえや。怒ってもあの華奢な身体だろ・・・? まあでも胸と尻のあたりは……年の割に強烈だ」


 顎に手を当てて品定めをするかのような目つきで、彼女の肢体を視線で舐め回す。

 ふと、やせ型の男のほうが、両手を上げた。


「あ、どうした?」


 太い男はキョトンとした顔をしている。


「おい、はやく! あれ!」


 言われた方向を見やると、彼女が銃口をこちらに向けているではないか。


「あ、あの。な、なにをなさってるのですか。お、お、おきゃ――――」

「嬉良だ。さっきからうるさい」


 また銃声が鳴り響き、ふたりの男はカウンターの下に伏せた。間一髪のところで銃弾を避けていたふたりは、恐る恐る顔をカウンターの上から出す。そこには嬉良が立っていた。今度はふたりとも即座に手を天井に向かって勢いよく上げる。それに対して、嬉良は呆れたような目つきだ。


「なにしてるの? 撃ったのあっちよ」


 嬉良が顎で指した方を見ると、弾が当たり、着弾位置を確認するために止まった的があった。木製の的は、ちょうどど真ん中をブチ抜かれている。それを見てふたりとも口をあんぐりと開けた。


「ほら、当たったから。新しい的出してくれる?」

「は、はい」


 プログラムされた言葉をしゃべるロボットのような間抜けな返事をして、カウンターに置いてある操作盤のスイッチを押す。嬉良は、リボルバーに弾薬を詰めていた。6発分の弾薬を慣れた手つきで填装すること、わずか数秒。短いサイレンが鳴ると、的が通過する合図だ。再び銃声が鳴り響き、今度はなんと一発で命中した。もちろん、当たり前のようにど真ん中だ。


「強烈だな」

「まったくだ」


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