Act.12 ちいさな反抗
ライブ会場の撤収作業を済ませたムンクが、控室に戻ってきた。
リースが帰ったことを伝えると彼も、星羅と美那と同じく悲しい顔をした。彼もリースのプロデュースにはかなり力を入れていた。昨夜は、彼女のために曲を書こうと頭を悩ませていたのだ。――――もちろん、彼も星羅も美那も、彼女が管理音楽からスパイとして送られてきた人間であるということは知らない。
「そうか、リースの調子が良くないのか」
「うん」
ICはまた大きなコンサートをする予定だ。今夜のハコでの公演はその宣伝も兼ねていたが、リースの体調は芳しくないままで、公演を欠席する事態が続いている。
「リースちゃんの家、教えてもらってないから見舞いにも行けないし」
星羅も美那も、そしてプロデューサーのムンクでさえも、リースの素性を知らなかった。しかし、それを不審がるよりも先に、彼女の体調を心配する気持ちが先立つのだった。
「とりあえず、しばらく休養を取らせてやるか。たしかに彼女はここ最近顔色が優れない」
「あと、あの控え室なんだけど。タバコくさかった」
美那が鼻をつまむ仕草をしながら漏らす。
「あれだろ。きっと前に使ってた奴が吸ってたんだろ。しばらくライブはリース不在ですすめるしかないな」
まさかそのタバコが、リース本人が吸っていたものとは、誰も思わなかった。
「でも近々また大きなコンサートがあるんですよね」
「それにもリースが来れないとなるとな」
リースが体調を崩している原因も喫煙にある。
だが何も知らない面々は、ただただ彼女の不調を純粋に心配していた。ICに彼女が加入してからの公演はまだ数えるほどだが、ファンの反響を見るに彼女人気も相当なものだった。――――彼女が抜けた穴を実感するほどまでには。
「と、とにかく! たしかにリースちゃんが抜けた穴は大きいけど、あたしたちだけでもやれるんだってことを証明しましょうよ」
落ち込む面々を励まそうと美那がフォローを入れる。
「わかってるよ。でもそういうことじゃない。ひとりの仲間として友達として心配なの」
しかし、余計に空気が重たくなってしまうのだった。
*****
エデンのアイドル養成所には、受講生が割安価格で利用できるカフェテリアがある。受講生の体調管理を考えて商品のすべてにはカロリーなどの栄養表示がなされている。そして、味もなかなかに美味しい。ただ、全体的に味付けはあっさりのものが多く、脂っこいものは置いていない。
そこはアイドル養成所。カロリーには厳しいのである。
寺嶋はΔ愛とともに夕食を取っていた。ゲームセンターで意気投合して以来、寺嶋は彼女と過ごすことが多くなっていた。
リースと嬉良とともにザ・クルシエイダーズとして活動していた時期は、寺嶋は孤立していた。リースは自分からすすんで話しかけるタイプではなかった。
今は、良くも悪くも自分から構ってくれるΔ愛が、仕事仲間。なにかと彼女は寺嶋に絡んでくる。しかし、寺嶋も悪い気はしないのだった。
「嬉良が誰かを監禁している?」
「たぶん、間違いないと思いますよー。寺嶋先輩」
だが時たま、寺嶋は彼女のことがよく分からなくなるときがあった。
「――――お前、最近嬉良をつけているのか」
「あたしは、あたしのやりたいことをやってるだけですよう」
彼女はよく笑う。彼女の笑い方にはふたつある。ひとつは屈託のない、見るものを安心させる笑み。もうひとつは意図の読めない不敵な笑みだ。今彼女が寺嶋に向けているものは、後者。
「嬉良に恨みでもあるのか」
ローストチキンを食べる手がとまる寺嶋。彼女のその笑みを見ていると、親しみを抱いていたはずの彼女が急に離れていくようで、不安を覚えてしまう。
「先輩は恨みがないっていうんですかー。あたしは嬉良先輩のことが気に入らないんですー」
そんな寺嶋をよそに、彼女は美味しそうに白身魚のムニエルを食べ進める。
「決めた、嬉良先輩の部屋に忍び込みましょ」
「ぶ、ぶはっ。――――きゅ、急に何を言い出すんだっ?」
コンソメスープを口に含んでいたときに、彼女がとんでもないことを言い出すものだから、寺嶋は思わず噴き出してしまった。その様子を見て、彼女はけらけらと笑う。
「わかっちゃったんですよ。嬉良先輩の行動パターン」
彼女は、かなりしつこく嬉良を尾行していたようだ。寺嶋からすれば、170cmを超える身長の大柄な彼女が、どうやってバレずに尾行しているのか甚だ疑問だったが。もはやバレていても、嬉良はそれを分かって見過ごしているのではないかとさえ思う。
「だが、そこからなぜ、わざわざ部屋に忍び込むことに……?」
「つきとめたいんですよ。監禁されているのがいったい誰なのかを。この前の麻酔薬散布といい、これは我慢ならない事態ですっ」
彼女は嬉良がICに対して行った仕打ちに対して反感を持っているようである。寺嶋もそれは思うところがあった。――――それが嬉良を尾行していた動機なのか。
「具体的にはどうするつもりなんだ?」
「女子寮の宿直が見回りに行く時間があるでしょ。偶数日のおばちゃんは無用心だから、鍵が開けっ放しになってること多いの。特に夜中はね。
その間に忍び込んで、嬉良の部屋のスペアキーを、あたしが作ってもらったこの合鍵とすり替えるの」
彼女がテーブルの上に、懐から出した鍵を置いた。嬉良の部屋番がサインペンで書かれてある。
「ど、どうやって嬉良の部屋の鍵を手に入れたんだ?」
寺嶋は目を丸くした。
「これはあたしの部屋の合鍵。つまりは、ダミーです。すり替えるものまで本物である必要はないもの。
前にスペアキーを鍵をなくしたと嘘ついて借りてみたけど、鍵にサインペンで部屋番が書いてあるだけだった。こうして同じようにすれば、まさか鍵がすり替えられてるとは思わないでしょう? もともとスペアキーなんて滅多なことでもない限り取り出さないわけだし。
そして、鍵のすり替えがバレないうちに、別の日、嬉良先輩が部屋を出ている時に忍び込むの」
「ということは、嬉良が決まって部屋を出ていくタイミングがわかっているんだな?」
「もちろん。それはバイオリンの練習をしに、スタジオに向かう時ですっ」
「そ、それって朝じゃないか」
「本当は、忍び込むのも真夜中にやりたいんだけど。それだと嬉良先輩が部屋で寝ているじゃないですか。これは仕方ないです」
嬉良の部屋に忍び込むのは、日が昇ってから。ここまで宣言する彼女の行動力には、寺嶋は面を食らってばかりだ。
「たしか、嬉良は監禁している奴に朝食をやり行くんじゃなかったのか?」
「時間帯が違うわ。朝食をやるのは朝の7時。嬉良先輩がバイオリンをしに行くのはいつも
朝の9時。その間の1時間強の空き時間は、だいたい部屋で過ごしていることが多い。
スタジオに独房の鍵を持って行っている可能性は低く、おそらく嬉良先輩の部屋の中にある、というわけですよ」
入念に立てた計画をつらつらと話す彼女。
寺嶋の中で、彼女は能天気というイメージだったので、ここまで用意周到とは思ってなかった。
「あー、あたし、こう見えて結構考えて行動するタイプですからねー。ノリが軽いくせに律儀なとこがあって。実は頭かたいとか、よく言われるんですよ」
「そ、そうか」
「寺嶋先輩は、当然一緒に来てくれますよねっ?」
「えっ」
「寺嶋先輩も、嬉良先輩には不満たっぷりあるでしょっ。ここで一矢報いるなんてのはどうですか」
また、意図の読めない不敵な笑みを浮かべる彼女。いや、同意を求めるような威圧も入っている。寺嶋は彼女に対して、少しだけ恐怖を覚えた。同時に彼女のことがよく分からなくなっていった。
しかし、寺嶋は嬉良を警戒していながら、今も昔も何もできないでいる。つまるところ、寺嶋は臆病なのだ。そんな寺嶋が彼女の同調圧力を跳ねのけられるはずもなく。
「さ、作戦はその……無用心な宿直がやってくる偶数日。――――つまり明日の夜ねっ」
寺嶋は、やや押されがちに頷くのであった。




