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94話:目に見えない水

他視点入り

 私はシェーリエ姫騎士団の団長ランシェリス。

 今、震えるブランカを抱き締めて声を上げないよう抑え込んでいた。


 森の奥から近づく足音に、目の前の怪物は魔封じの目隠しを直す。

 怪物の目の前には、物言わぬ石像が恐怖に強張った顔で乱立していた。


「なるほど。近づくなと妖精王が言っていたのはこのせいか、ゴーゴン」

「これは人魚の長。こんな森の端までどうなさいました?」

「ふん、湖を攻撃するとのたまわった輩を見にな」


 ここは暗踞の森。人々が湖まで伸ばそうとした水路の脇だ。

 私はどうしても妖精王のやりすぎが心配で、ブランカと共に湖を狙う者たちを追っていたのだが。


 すでに侵入した人間たちは、全て物言わぬ石へと変わっている。

 扱う者がいなければ、大砲も役立たずだ。緑の蛇を頭髪のように広げたゴーゴンはただ眼帯を降ろして彼らの前に立っただけだった。


「これらは、妖精王さまが襲撃を耳にして手を打った結果でございます。妖精の盗み聞きで全ての侵入経路は把握しており、姉たちも他の不埒者を退治に行っております。ご満足いただけましたか?」

「ふん…………。それで、この者たちの装備はどうする?」

「ご入用でしたらどうぞ、お持ちください」


 どうやらゴーゴンが石化させるのは生態のみ。大砲や装備品はそのままだ。


「どうせ森にあっても妖精の玩具になるだけ。人魚なら何がしか活用法があるでしょうか」

「そうさな。あの忌々しい乾燥の魔法具があったなら壊そうと思ったが…………」

「ございませんね」

「ならばダークエルフの土産に武器をもらおう」

「大砲も如何でしょう? 魔王の下で多くの技術に触れたダークエルフならば使えるかと」

「素早さが売りなのにか? 扱えたとしても、使えるかは別問題だろうな。ノームにでもやったほうが溶かして再利用するのではないか?」

「なるほど。ではそのように」


 私はただ息を殺して人外のやり取りを見守るしかない。

 そんな中、何処からか大きな羽音が聞こえた。


「姉さま、どうしてそちらから?」

「あらあら、お間抜けさん」


 温和そうな笑みで妹らしい緑のゴーゴンを詰るのは、頭から青い蛇が生えたゴーゴンだった。

 そんな青のゴーゴンが手招いて示す先には、腰に金羊毛をつけた冒険者たちが木立の中で石化している。


「隠れてあなたの目から逃げていたわ」

「まぁ、大砲を守る者ばかりかと思っていたから正面しか見ていなかったわ」

「これは森に詳しい手練れの冒険者たちだ。水路作りの時にもずいぶんと手を焼いた」


 人魚は忌々しげに戦闘態勢を取ろうとしたままの石像を睨んだ。

 青のゴーゴンが見つけて石にしなければ、後ろから襲われていたかもしれない。


「まぁ、もう終わってしまったの?」

「次から次へと。怪物が一カ所に寄り集まるな」


 人魚は嫌そうに新たに現れた声に振り返る。


「うふふ、ごめんなさい?」


 やって来たのは、黒い蛇を生やした三人目のゴーゴンだった。

 その黒のゴーゴンの手には鎖が握られている。腕の中のブランカの震えが一層激しくなった。


「ハッハッハッ」


 鎖の先には、弾む息を吐いて尻尾を振るケルベロスがいた。

 フォーレンから話は聞いていたが、実際この目にすると全身からほとばしるような凶悪さに息さえ苦しくなる。

 死者を逃がさない冥府の番犬は、その存在こそが死のようだった。


「大砲対策に連れて来たのだけれど、必要なかったわね」

「キューン、ワフ、カジル?」

「いいんじゃない」

「いいだろう」


 黒のゴーゴンが困ったように言うと、ケルベロスが片言ながら言葉を発した。

 そして青のゴーゴンと人魚があまり考えもせず答える。

 そんな雑なやり取りに、緑のゴーゴンが手を上げて動こうとするケルベロスを止めた。


「お、お待ちください。それはさすがに…………」

「何故止める? 他にも侵入者はいた。少しくらい齧っても問題なかろう」

「ね、姉さま、スティナ姉さまからも何か」

「そうねぇ、ケルベロスがお腹を壊すわ」

「姉さま…………そうではなく…………」


 黒のゴーゴンのずれた返答に、緑のゴーゴンは肩を落とす。

 最初から不機嫌を隠そうともしない人魚は改めて石像に顔を顰めた。


「正直、悪趣味な石像の放置は許せん。いっそ壊して石材にでもすべきではないか?」

「あら、どうせ石材にするのなら、森の境に壁を作ればいいのではないかしら?」


 青のゴーゴンの猟奇的な思いつきに、人魚は顎に手を添えて考え込む。


「…………面白そうだ。だが壁には足りないな」

「では門かしら? この水路を跨ぐ形で作っては如何?」

「いいな。これらの下を通る人間か、くく」


 悪辣すぎる人魚と青のゴーゴンの会話に、他のゴーゴンもついていけてはいなかった。


「私たち、怒ったこの方の命令で湖への接近禁止されてるのではなかったかしら?」

「うふふ。けれどエウリアと人魚の長、実は気が合うのよね。正直、性格が似ているのだと思うわ。身内に甘く、敵に容赦がない。そしてそんな内面を隠すように、言葉つきが辛辣になるところも、ね」

「姉さま、妖精王さまは愚かさをわからせろと仰ったはず。殺してはわからせられないわ」

「そうかしら? 十分わかると思うけれど。ほら、見てこの後悔の滲む顔」

「はぁ…………ちょっとスティナ姉さまは黙っていてちょうだい」


 きっと私たち人間に近い感性を持っているのは、この中で緑のゴーゴンだけだろう。

 黒のゴーゴンが撫でる冒険者に、ケルベロスが鼻を寄せる。どうやら腰に下げた金羊毛に興味を持ったようだ。


「あら、その人間たちと遊びたいの?」

「そう言えば、全滅の報を運ぶ人間が必要か。全員漏れなく石にしていては報せがいかぬ」

「確かに、妖精王さまもそう言っていらっしゃったわ。適度に逃がせ、と」


 また人魚と青のゴーゴンが楽しそうに言い合う。

 もはやこの二人が楽しそうなだけで、嫌な予感がした。


「その人間たちに機会を与えてやってもいいと考えるが、ゴーゴンはどうだ?」

「うふふ、生き残れるかは本人次第の伝達係と言ったところかしら?」


 笑い合う姿は楽しそうなはずなのに、ほの暗いものが見え隠れしている。

 あまり関わりたくはない。けれどこのまま見過ごすわけにはいかない。

 私が立ち上がろうと足に力を込めた時、緑のゴーゴンが割って入る。


「姉さま、人間たちは後で全員戻すのよ。石化を解く私たちの血を求めて攻めてきたらどうするの? 妖精王さまもそうするようおっしゃっていたでしょう」

「まぁ、メディサは臆病ね」

「慎重なのはいいことよ」


 小馬鹿にするような青のゴーゴンの言葉に、黒のゴーゴンは優しく頷いた。


「私は姉さまのように不死ではないもの。殺されれば死ぬ。そして世界の何処かでまた復活する。そんな運命でも、無駄に死の危険を招く必要はないと妖精王さまもおっしゃっていたわ」

「あれも常にそれくらいまともであれば…………。いや、いい。罠を張った上で血を置いてやろうではないか。それはそれで面白いことになるだろう」


 攻められたために人間に悪感情を持っているとわかってはいるが、人魚の作意に満ちた笑みがとても不穏だ。

 気の合うらしい青のゴーゴンは、人魚の提案に頷くと、金羊毛をつけた冒険者たちに血を浴びせた。


「は!? あ、あぁ…………」


 石化が解けてゴーゴンの姿を見た冒険者は、絶望の声を絞り出す。

 応戦のために青銅の腕を構える姿に、冒険者の戦意は見る間に萎んでいった。


「貴様らに役目を与える。生き残る可能性を掴みたいならよく聞け」


 人魚はまるで死刑宣告のように告げる。

 そして、金羊毛を身に着けた冒険者たちは、森から逃げ出すまでの間、元気いっぱいのケルベロスに追いかけ回されることとなった。


「姫騎士。あまり近づきすぎるとお前たちも遊ばれるぞ」


 冒険者を追って走り出す私の背中に、そんな人魚の忠告が投げられた。






 僕の側に妖精たちが引き、中堅戦が始まろうとしていた。

 オイセン軍から出てきたのは、マウロという騎士と魔法使い二人。

 今までの軍属の魔法使いとは恰好が違う。二人がかりで運ぶ魔法道具は、水路の側で見た辺りを乾燥させるための物だ。


「ふ、蒸発させられる水量だと思い違ったな」

「そう思わせるようここを選んだんだし」


 嘲笑うグライフに、僕は企みがはまったことに胸を撫で下ろした。

 決闘に選んだこの場所は、見るからに水がない。

 ロミーが湖を離れるには水を容器に入れて運ぶ必要があるから、それくらいの量なら蒸発させてしまおうと考えたんだろう。


 ローズはマウロたちが止まるのを待って足を踏んだ。

 すると、答えるように地面が揺れる。


「なんだ!? この揺れはいったい…………!」

「妖精が来るだけよ。騒がないで」


 警戒するマウロに、ローズは冷たく言い放つ。

 揺れはどんどん大きく近くなり、地面が一部、隆起した。次いで水柱が高く上がる。

 落ちる水が一つにまとまると、そこにはロミーが姿を現していた。


「ど、何処から!?」

「この下にある地下の水脈からよ」


 事前に僕から聞いていたローズの答えに、オイセン軍から卑怯だと野次が飛ぶ。


「場所選びは妖精王側に任されているわ。これは違反に当たらない」

「く…………! 水脈とは…………!」


 湖と同じ地下水は、この辺りまで流れてきてる。井戸を掘れば水が出るくらいの場所だ。

 だから樽の水なんて小さなことは言わない。水脈からいくらでもロミーが操る水は得られる。

 つまり、決闘の人員二名を割いてまで用意したその乾燥機みたいな魔法道具は、ほぼ無意味になった。


「久しぶりね、愛しい人」

「あぁ、会いたくなかったよ、ロミー」


 ロミーとマウロ。

 かつて夫婦だった二人は周りの声など聞こえないようで、殺意に濁った目でお互いを見据えていた。


毎日更新

次回:決闘・中堅戦

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