75話:乙女を偽る香水
他視点入り
オイセンの国境に近い町で、素人ではない男たちが額を突き合わせていた。
狩人、樵、役人、騎士、冒険者という顔ぶれだが、こと暗踞の森に関わる作戦事項では珍しくはない。
私マウロもこうした作戦会議に参加するのは初めてのことではなかった。
「湖周辺をグルグルと回っているようだ。ただ、姿を確認することはできなかった」
「水場から離れず、かといって決まった縄張りを巡っているわけでもない、か」
「蹄の大きさからして、明らかに仔馬だろう。母馬からはぐれたんじゃないか?」
「北のほうの町で、幻象種を追って来たという神殿騎士団がいたらしい」
「ユニコーンの親はそっちに狩られ、仔馬だけが森に逃げ込んで迷った?」
「あまり推測ばかりを積み上げてもしょうがないわ」
冒険者の中の女性が冷静になるよう声をかけた。
腰に下げた金羊毛から、周辺で名うての冒険者一派の一人と知れる。
仲間の声で金羊毛の頭を主体に、今用意できる武器や人員の具体的な数の話になった。
これは暗踞の森で目撃されたユニコーンを狩るための作戦会議。
領主も領民をやる気にさせるため、即座に許可が下りた作戦行動だ。
角の所有は領主。ただし作戦参加者は角をつけた水を桶一杯与えられる。
角をつけて回すだけで、ただの水が万病薬になるのだからユニコーンの目撃は朗報だった。
桶一杯の万病薬だ。売ってもいい、いざという時のために持っていてもいい。
捗々しくない仕事に皆嫌気がしていたからこそ、目の前の新たな作戦に誰も真剣に取り組もうとしていた。
「森の中でならユニコーンの俊足も意味がない」
「いやユニコーンなら向かってくる。その際こちらがどう身を守るかが問題だ」
あいにく私はユニコーンを見たことがないのであくまで会議を見届けるためにいる。
話には美しくも獰猛だと聞く。ドラゴン狩りと並んで命を懸けるユニコーン狩りは騎士の名を上げる機会とも言えるが。
「あまり湖に近いと人魚も相手にしなきゃいけなくなるぞ」
「北の町の奴らが魔女を相手にドライアドとことを構えたせいで、魔法薬の類が少ない」
「里に籠ってる上に、里に近づけないよう魔法まで張っちまったからな」
冒険者から不満の声が上がった。
森の魔女は森の妖精の対処を知っている。と同時に森に住む者だ。森を荒らせばさもありなん。
その辺りは想定して薬の類は領主の倉庫に溜めてある。
領主は冒険者が持ってるならそれを先に使わせろと言っていた。
領主の持ち物はいざという時領民のためにある。
冒険者への賄いは金での契約であるため自力で対処してもらうことになる。
「あたしらの依頼は、水路を作るための護衛だったはずだろ?」
また女性冒険者が話を戻すと、皆の目が話し合いに加わる役人たちに集中した。
冒険者もユニコーン狩りには乗り気だと思ったが、どうやら違うようだ。
「新たな契約もなしに駆り出されるなんて、契約外の仕事なんですけど?」
「雇用する者は変わらないのだ。なんの支障がある」
「ユニコーン狩りと護衛業は大きく違うって」
「む…………成功報酬は別に出そう」
「おいおい、どんなに報酬積んだってユニコーンの角を上回ることはないんだろ?」
見てる内に、ユニコーンを殺して角を取った後の話を始める。
シーサーペントの鱗を数えるという諺がある。
手に入れてもいないのに早計、とも言えないのが命を懸ける冒険者か。
騎士と違って死後の保証は何もないのだから。
「ユニコーンの角で作った薬をやるというのに、欲が深すぎるぞ」
「あのな、俺らが独自に狩るのと、そっちに乗ってやるのと、どっちがいいと思ってんだ?」
「契約中に他のことをやろうと言うのか!」
「他の仕事やらせようとしてるだろうが」
ついに会議はただの言い合いに発展してしまう。
ただここは黙認するしかない。森での行動に冒険者は必要不可欠。
彼らが納得してくれるまで、つき合うほかないのだ。
「こっちだって危ない橋を渡ってるんだ。そこのところ軽く見てもらっちゃあ困る」
「妖精避けや獣避け、治療薬とか幻覚対策の薬とか手に入らなくて実害は出てるんだ」
「魔女の里に行ければ、ユニコーン狩りに必須の乙女の香りを偽装する香水が手に入ったのに」
困った役人に目を向けられるが、ここで騎士の圧力で黙らせれば後々支障が出る。
しかしユニコーンを狙って騙そうとする香水?
そんなものが当たり前にあるのか、魔女の里には。
「その香水って効くんですか?」
私と同じように、樵が魔女の作る香水に興味を持ったようだ。
「効かなきゃ売らねぇよ。乙女の香りに限らず、黄金の香りや赤子の香りなんかもある」
「匂いで四足の幻象種を誘き寄せるという手法は初歩的な手だって」
魔女とは…………いや、本物餌にするよりずっといいのだろう。
「もちろん紛い物だから、勘のいい幻象種には看破される。が、ないよりは遥かにいい」
「ないない尽くしだってのにユニコーン狩りを命じられるんだ。成功報酬しかないなんておかしいんじゃないのかい?」
そうして一進一退の話し合いを終えた時には半日が過ぎていた。
「森の中で親とはぐれて迷った子供のユニコーン。こんな好機は二度とないだろう」
「金羊毛を手に入れて以来の大仕事だ。気を引き締めろ」
狩人や樵は緊張しているが、あれだけ喋り立てた冒険者は意気軒高だ。
作戦はほぼ金羊毛が立て、狩人や樵を協力して罠を張る。
「皆さま、ご武運を…………。ところで、騎士さま方は本当に関わらなくてよろしいので?」
「むろん」
役人の窺いに、私は重々しく答えるだけ。
「我々騎士団は国境の守り。国からの命令である水路作りに協力することはあっても、ユニコーン狩りは別問題だ。何より、騎馬での戦闘に習熟した我々が森には入る利はない」
正直勝算がない。そんなところに関わっても利はない。
しかも相手は仔馬だ。ユニコーン狩りの栄誉もそれほどないなら無駄に傷を負う必要もなかった。
何より、個人的に私は森には入れない。
聞いて来た役人は知らないのだろう。
逆に知っていた金羊毛の頭は、情報収集能力の高さが窺える。
これなら…………。
私は期待を持って金羊毛を見送った。
「さて、狙いどおり予想地点に人間どもが罠を張ったな」
「なんでケルピーが得意になって言うんだよ?」
シュティフィーの木の下でボリスが突っ込む。
実はユニコーン狩りは盗み聞き済み。本当に妖精の存在に気づかないものだね。
「アーディたちのほうはどう、ロミー?」
「水辺を離れることは基本的にダークエルフに依頼するから、ダークエルフの協力を取りつけてたわ」
「なかなかにやる気だぞ。ユニコーンの皮肉の効いたやり方が、あの捻くれ者には合ったようだな!」
「ケルピー、それアーディに聞かれたら困るんじゃないの?」
「ヒヒン! …………言うなよ?」
ケルピーの背に乗せた硝子の器には、ロミーが入っている。どうもケルピーは特に水辺限定で動けないわけではないらしい。
というか、聞いた話だとアーディに負けたケルピーが湖の守りを命じられているだけなんだって。
「すーはー、すーはー、き、緊張します」
「あらあら、マーリエ。お茶でも飲んで落ち着きなさいな」
手伝ってもらうことにしたマーリエは、大袈裟なほど深呼吸をしてシュティフィーに心配されていた。
「フォーレンにお知らせだよー!」
「人魚のほうは準備ができてるわ」
ニーナとネーナが楽しげに報告を持ってきてくれる。
その声に緊張で背筋を伸ばしたマーリエに、ロミーも呆れて笑う。
「ほら、そんなに力まないの」
「でも、これだけ怯えてるほうがそれらしいわよね」
「それもそうね」
ロミーとシュティフィーに挟まれて、マーリエは気合を入れるように自分の頬を叩き出す。
そして僕はユニコーン狩りをする人間たちを、マーリエが待つ地点に誘き出した。
「そこにいるのは誰だ!?」
「はひー! だ、誰ですか!?」
隠れて様子を窺う僕は、マーリエの慌てように演技かどうかを疑ってしまう。
続々と現れる武装集団に、マーリエは胸に抱いた瓶を硬く握った。
「森に若い娘? もしや魔女か?」
「そ、そうです。そっちの里の、魔女です。あな、あなたたちは?」
目配せで頷き合うユニコーン狩りの中、金羊毛を垂らした一人が耳うちをする。
「…………何!? 魔女、つかぬことを聞くがその手に持っているのは対ユニコーン用の香水か?」
「そう、です…………。最近森にユニコーンが現われて、近くまで来ているので、これを、えっと、その…………撒きに、撒いて、ユニコーンを、えっと…………」
緊張で完全に台詞の飛んだマーリエだけど、ユニコーン狩りたちは怯えているせいだと解釈したようだ。
冒険者の中の女性が前に出て、マーリエに怯えないでほしいと話しかけた。
「つまり魔女はユニコーンを遠ざけようとしてるんだね?」
「はい、今里は、ちょっと、大変で」
「聞いてるよ。北のほうの町で大変な目に遭ったそうだね。確かにそれでユニコーンが来るなんて災難だ。…………ねぇ、どうだい? あたしらにその香水を預けてみないか?」
「預けて、どうするんですか?」
「何、あたしらもユニコーンを追ってるんだ。乙女の匂いに釣られたのか、魔女の里に向かってることに気づいてここまで来たんだけど見失ってね。里にも報せようとしたんだけど、どうも迷いの魔法に阻まれちまって」
「そう、だったんですか…………」
女冒険者は人のいいふりをして、マーリエにユニコーン退治を約束する代わりに乙女の匂いを偽装する香水を手に入れた。
ボロが出ない内に去るマーリエを見送って、ユニコーン狩りたちは人の悪い笑みを浮かべる。それを見ながら僕もほくそ笑んだ。
けど一番この成り行きに喜んだのは、窃盗を犯した父親の娘として婚期を逃し、行かず後家になっていたお婆さんだった。
同行の理由はもちろん、僕を誘き出す餌だそうだ。
やっぱり人間って怖いなぁ。
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