59話:恋の劇薬
魔女を処刑しようとしていたオイセンの町は、思ったより遠くにあった。
と言っても、人間の頃の感覚で三十分くらい。
森との間には、畑と境を示す擁壁がある。あるんだけど、それらは今シュティフィーが伸ばした蔦に覆われていてほぼ平ら。
森からブランカの後ろに乗って馬で町に向かう僕は、見渡す限り蔦に覆われた畑を飽きずに眺めた。
だから町の狂乱の声に気づくのが遅れる。
波のように伸びる蔓に町の端を浸食された中、男たちが大騒ぎしながら走り回っていた。
「ひぃーー! 来るな、来るなーー!」
「待て! 逃がさん!」
「誰か、誰か助けろーー!」
「騎士相手に無理ですー!」
「いや、無理、助けて!」
「うぉぉおお! お前が、好きだー!」
カオス。
「えっと、聞いた話だと、あの追いかけられてるチビデブハゲの三重苦が町長なんだよね?」
「そうよ。一番先頭で追い駆けているのが、昨日ランシェリスさまに負けた騎士なの」
「…………ラスバブの意見を採用したの、間違いだったかな?」
「いいんじゃねぇの? 面白いし」
「アルフは黙ってて」
他の人には見えないアルフは、僕の肩に座って笑う。
「本当は森で待っててもらうつもりだったのにごめんね、フォーレン。これはちょっと、誰も話を聞いてくれそうにない感じで」
「いいよ。僕が言い出したことだし。この見た目に驚いて黙ってくれるならそれで」
何があったかと言うと、僕は昨夜、思いつきで『恋の霊薬』を騎士に盛ることを提案した。
妖精の悪戯は宗教上問題にならないこと、けれど不倫なんかは罪に問われることをランシェリスに確認している。
「一番問題のない組み合わせだと思ったんだけど…………」
騎士に妖精の恐ろしさを教えて、いいように操られた恥をかかせる。町長に力尽くじゃどうしようもないさまを見せつけて、森を荒らす危険を教える。
けど不倫ギリギリだから大声で言えないし、もっと酷い目もあり得ると想像できる程度の被害だ。
男同士だし、町長はいい大人だから、好きだ、惚れただ騒がれても女の子より対処できるだろうと思ったんだけど。
「泣いて逃げるなんてね」
「俺としては騎士のほうがあんなに熱烈なのがすごいと思うぜ?」
僕たちは夜中、眠りの妖精という存在を使って、騎士たちと町長を寝かしつけた。
そして騎士たちを一つの部屋に集めて『恋の霊薬』を目に垂らし、その中に何もしてない町長を入れて、最初に眠りから覚めるようにしたんだ。
で、結果がこれ。
町長を最初に見て恋に落ちた騎士たちが、霊薬の効果で心底惚れて、町長を追い駆け回してる。
逃げるほうも追い駆けるほうも、その本気具合に町の人たちはドン引きだ。
僕もちょっといい歳した大人が泣きながら逃げる姿と、欲望にギラギラした目でおじさんを追いかけてる騎士の姿に罪悪感が湧く。
「来たか。早速だが、話を」
ビーンセイズで見た司祭よりも格段に質素な服装ながら、司祭らしい姿のおばさんを連れて、ランシェリスが現われた。
「騎士を捕まえてからのほうがいいと思う。追い駆けられてる人が限界だ」
僕はなるべく素っ気ない口調を装って提案する。
ランシェリスはすぐさま町長に声をかけた。
「町長、助けるには騎士方を拘束する必要があるが、その場合の責任はどうする?」
「助けてくれ! せき、責任は、負うから、早く!」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔のままこっちに来る町長。
アルフは僕の肩で笑い転げないでほしい。
「聖封縛!」
姫騎士団によって捕らえられた騎士たちは全部で七人。
町長を助けようと体を張って止めたのは、騎士見習いや従者で十八人いた。
その他、町の若手も最初はいたらしいけど、騎士に殴られみんな遠巻きになったそうだ。
「俺の恋路を邪魔するな! うぉぉおお!」
ランシェリスに負けたという騎士は、元から血が上りやすいのか縛られても元気だ。
「あの、そちらのエルフの方はいったい…………?」
司祭のおばさんに聞かれて、僕は無表情をとおす。
これはエルフがあまり人間と仲良くないから、それらしく振る舞うためだ。
「私たちの客分としてここまで行動を共にしてきた。人間の町で問題が起きていると聞いて、森で薬草摘みをしていたのだ」
「けど、この状態じゃ何かの魔法か呪いにかかってる可能性があるから、私たちよりも詳しいだろうこちらの知恵をお借りしようと思って」
ランシェリスとローズの答えに、司祭のおばさんは僕をじろじろ見る。
うーん、不快。
なんか微妙な悪意を感じる。
「単純に珍しいこともあるけど、エルフって気取ってるとかで嫌う奴いるからな」
僕の感情を読み取って、アルフがそんなことを教えてくれた。
どうやらこの司祭のおばさんは、エルフを嫌な奴だと思っているようだ。
「は、早く、早くこいつらを正気に戻してくれ!」
「はは、情けなく泣いてんのに、人に物を頼む態度じゃないな」
お高く留まったエルフの台詞が思いつかない僕は、アルフの言葉を借りる。
「人に物を頼む態度じゃない」
「お願いします、エルフのお方!」
騎士に追い駆け回されたのがよほど応えたのか、町長は両手の指を握り合わせて声を大にする。
その必死な姿に、もう余計な作戦はいらない気がした。
「森の住人と揉めて町を滅ぼされそうになってる相手を助ける気はない」
「しません! もう森には手を出しませんから、この狂った状況から助けてください!」
うん、町長可哀想になって来た。
司祭のおばさんは僕をじろじろ見ながら、町長の背中をずっと摩ってる。
何がそんなに気に食わないのかなぁ?
「心を読むに、フォーレンが可愛いのが気に食わないみたいだぞ」
「ぷふ…………こほん」
アルフの声が聞こえてるブランカは、口を押えて俯き、咳払いのふりをした。
可愛いって言われて僕が顔を顰めると、町長は打つ手がないのだと勘違いして絶望的な表情になる。
「幻覚、呪い、毒物の摂取。考えられることが多すぎる。今までにこんなことがなかったなら、今までと変わったことを探るべき」
僕の指摘に町の人たちは姫騎士団を見た。
中にはミステリーなんかで犯人に気づいた探偵みたいに鋭い目をする人までいる。
うん、違うから。犯人僕の肩にいるから。
「私たちが使える魔法で敵の意識をこちらに向けるものがある。ただ、あくまで対象は魔法を使った者。町長が私たちの装備を盗んで起動したと言うなら話はわかるが」
疑いの目に対して、ランシェリスは町長へと疑いを逸らす。
もちろん町長は必死に首を横に振った。
「妖精は人を惑わすと聞いたことがあるけれど、こういう被害は今までなかったのかしら?」
ローズの誘導に町の人々が頷き合う。
「森に入れば惑わされることもあるけど、町の中でなんて今までは…………」
欲しかった証言を得て、僕は思い出した風を装った。
「そう言えば、昨夜はずいぶんと妖精が騒いでいた。何か悪戯をしたのかもしれない」
「い、悪戯!? こんな凶行が悪戯!?」
被害者の町長は顔を真っ赤にして抗議するけど、うん、妖精にとっては悪戯の範疇なんだよ。怖いよね。
提案した僕が言うことじゃないか。
「確かこの町には森に住む者がいるはず。もっとも妖精の近くに住む者なら、対処を知っているかもしれない」
「ま、魔女か!」
町長は僕の言葉を疑うことなく、藁にも縋るように跳び上がった。
その間も『恋の霊薬』の効いた騎士たちは、町長への愛を叫ぶ。
本気だからこその圧が、町長を急き立てた。
「では、魔女に話を聞くため、一緒に教会へ!」
「何を仰ってるんですか!? エルフは異教徒ですよ!」
「なら、す、すぐに魔女を連れてくるんだ!」
「ですが、私一人じゃ魔女たちを拘束できません」
司祭のおばさんは町長の命令に難色を示すけど、本気で身の危険を感じている町長のほうが押しは強かった。
「そこの騎士の従者たちを使えばいいだろう! 若いのも皆手伝え!」
町長に追い払われるように、司祭のおばさんと若い男衆が教会へと向かう。
「そう言えば、こちらの方の美貌を見て心変わりなどはしないのかしら?」
ローズが待つ間の手持ち無沙汰にそんなことを言い出した。
『恋の霊薬』を盛られた騎士たちは、言葉が通じるようで揃って僕を見る。
けど、すぐに鼻で笑った。
「顔かたちが美しいだけで惑わされるものか」
「町長のふくよかさには劣る」
「真実の愛に目覚める前なら心変わりもあったかもしれないがな」
なんか、無駄にないないって言われるのも癪だなぁ。
けど僕と比べても醒めない熱烈な愛の告白に、町長は全身に鳥肌を立てて身を引く。
そして連れられてきた魔女たち七人は、全員手を縛られ、腰を逃げないよう紐で繋がれていた。
ワンピース状の肌着姿で、髪はぼさぼさ、見える肌には暴力を振るわれた痕がはっきり見える。
ブランカは痛ましそうに顔を顰めたけど、姫騎士の大半は無反応を貫いた。
そこら辺はちゃんと戦う者としての心構えがあるんだろう。
けど、僕にはそんなものない。
「あの怪我、誰のせい?」
僕の声に町長は嫌そうに騎士に向けて顎をしゃくった。
体格差は顕著で、捕まえるだけならあそこまで痛めつける必要はない。そう判断した僕は、愛を叫ぶ騎士たちに威嚇を放った。
瞬間、騎士たちは耐え切れずに泡を吹く。グライフはこの程度じゃ鳥肌も立てないんだけど、どうでもいいか。
「な、何を…………?」
「静かになっていいでしょ?」
「はいぃ…………」
僕がやったとわかった町長は、細い声で返事をすると僕から距離を取った。
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