48話:依代との同化
ブラオンは血で描かれた魔法陣の中で、赤い光に照らされながら魔王復活の儀式の準備にかかる。
天井近くの窓を見上げれば、月が半分顔を出していた。
「く!? なんだこの強大な存在感を持つ悪魔は!」
そこに、ランシェリスを先頭にしたシェーリエ姫騎士団が駆けつける。
いくつか傷は負ってるものの、五体満足で一人の脱落もないようだ。
「神は我々をすべからくご覧になっているとは言うが、調子に乗ってもっと歯ごたえのある悪魔がいてもいいなどと言うものではないな」
「全くね。悪魔の群れの次はこれだなんて、神の試練は時を選んでくれないわ」
ランシェリスとローズがそんな軽口を言い合う。
どうやら前世の知識でいう、噂をすれば影が差すと言った状況らしい。
「数が増えるのはよろしくない。そこで黙っていてもらおう」
姫騎士団を振り返ったアシュトルは、すぐさま誘惑を放った。
瞬間、ランシェリスはどのような攻撃を受けたか悟ったようだ。
「精神干渉を受けた者を選別! 正気づかせろ!」
ランシェリスの命令に、表情のおかしい姫騎士を、隣の姫騎士が名前を呼び、誘惑に落ちているぞと指摘し、それでも正気に戻らなければ頬を張って引き戻そうとする。
「誘惑に落ちた者は制圧!」
無抵抗で正気に戻らない仲間に、ランシェリスの命令で、姫騎士たちは拳を入れた。
昏倒して気を失うと、荷物を運ぶように引き摺って邪魔にならない場所へと片づける。
その迷いのなさといっそ事務的な様子に、僕は薄ら寒いものを感じた。
うん、敵に回したくない。
「ほう? 半数も削れないとは」
「貴様もシェーリエ姫騎士団を知らないのか? 我々の被るこの聖鎧布は、精神干渉に特化した防具」
本当に専門家だ。
頭の宗教的な飾りかと表ったら、専用装備だったみたい。精神とか強そうなグライフもクラッとしてたのに、ランシェリスは完全に平気そう。
「なるほど、聖女の騎士団か。これは厄介」
「我らはグリフォンを援護する! 破邪環展開!」
僕たちの状況を見て、ランシェリスは強敵であるアシュトルを、グライフと挟み撃ちにする作戦を取るみたいだ。
挟まれたアシュトルに、グライフの爪が掠める。グライフだけに集中すると、姫騎士団から魔法が飛び、そっちに対処しようとするとグライフに切り込まれる。
上手い連携だ。どっちも戦い慣れてるからできることなんだろうけど。
「お前もあっち手伝いに行けよ」
「あなたが召喚者の邪魔をするでしょう?」
アルフと睨み合う蛇はブラオンを守って動かない。
と思ったら、何故か突然右に跳んだ。
瞬間、ブラオン目がけて投げられた槍を、自分の身を挺して逸らして体を抉られる。
「む、気づかれましたか」
「あー、行けたと思ったのに」
誘惑から回復したガウナとラスバブが、将軍型古代兵器が使っていた槍を妖精の力で飛ばしたようだ。
槍はブラオンの胸元を掠めて向こうの壁に当たって落ちる。
「何をしている、大悪魔アシュトルの力はこんなものか!」
「受肉もしてないならこんなものだ。が、契約だ。足掻くくらいはしよう」
ブラオンの叱責に答えた蛇は、千切れかかった体でのたうつと、傷を負った部分を捨てた。身軽に頭だけになると、ガウナとラスバブに牙を剥いて襲いかかる。
「させないよ!」
僕は走って頭を上から踏みつけた。
全体重をかけた前足で踏んだ蛇の頭は、骨の折れる感触と共に黒い靄になって消える。
…………嫌な感触残す必要なくない?
と思ったらどうやら黒い靄は毒だった。
蛇のようにうねって辺りに広がる。
「フォーレン! 角を突き入れろ!」
アルフは僕の頭上に水の塊を魔法で作る。言われたとおりにすると、水は雨のように降り注いで、黒い靄を掻き消した。
「ユニコーンが妖精に従うとは。お早い帰還をお待ちしております」
「そういうならさっさと倒されろよ!」
人間の形をしたアシュトルの言葉に、アルフは背を向けたまま言った。
そしてアルフの睨む先には、七色に光る宝石がある。
「ったくよー、そこかよ…………」
「ふ、ふははは! もはや遅い!」
得意げに笑うブラオンの胸に、まばゆいばかりの宝石が光る。
ガウナとラスバブの槍で裂かれた服の下から、ブラオンの裸の胸が見えた。
なんの金具も固定具もなく、ダイヤだろう七色に輝く宝石が、皮膚の中に埋まっている。
「うわ、何それ…………?」
「くそ! どうりで依代がないわけだよ。あいつ、自分を魔王復活の器にするつもりで、ダイヤを取り込んでやがる!」
アルフの言葉にアシュトルまでブラオンを見る。
「そうだ! 私こそがこの大役を仰せつかった!」
僕たちのドン引きに気づいてないのか、赤く光る魔法陣の中でブラオンは得意げだ。
「永遠の絆を冠するダイヤがあれば、魔王陛下をこの身に降ろせる! 正しき王の帰還だ! 一族の悲願を私は託された、なんたる光栄!」
魔法陣の光は強くなり、血の臭いが濃くなったような嫌な感覚が増す。
同時にブラオンの表情も常軌を逸した色を宿していた。
「おぉ、感じる、感じるぞ! 魔王石に宿った無念の思い、理想への渇望、不屈の精神! やはり我々の試行は間違ってなどいなかった! 魔王陛下は不滅の存在! 今も魔王石の中に生きていらっしゃる!」
「んなわけあるか! それはお前の妄執でしかない! よしんば何か残ってたとしても、感情の一欠片程度に過ぎない!」
否定するアルフの言葉は聞こえていないようで、ブラオンは危ない感じに哄笑し続ける。
「フォーレン、俺はこの魔法陣崩すために集中するから守りはよろしく! ガウナ、ラスバブ、手を貸せ!」
「「はい!」」
アルフは魔法陣に触れようとして、何かに邪魔されるらしい動きをする。
見る間にアルフの手と魔法陣の間に静電気にも似た光が幾つも走った。あれは魔法陣への干渉に対する抵抗のようだ。
アルフに触れて手助けしているらしいガウナとラスバブも、見る間に額に汗を浮かべる。
「さて、どうなることやら」
気だるげに呟いたアシュトルは、アルフの小さな背中に魔法を放つ。
僕は角で魔法を弾いて、アシュトルを睨んだ。
「時間稼ぎよりも制圧を主眼にしたほうが良さそうだ」
そう呟いたアシュトルは、七匹の犬悪魔ではなく、一体のロバのような悪魔を呼び出した。犬悪魔より強力なロバ悪魔は、姫騎士団を牽制し、アシュトル本人は自らグライフを掴みに行く。
グライフを捕らえたアシュトルは、片目だけを開いて能力を発動する。
「過去幻想」
突然現れた黒い氷柱のようなものが、僕やグライフ、姫騎士団を襲う。
けど、これと言った変化はない。
「ぐぅぁああ!」
「きゃ、あぁ!?」
グライフと姫騎士団の悲鳴に目を向ければ、何故か全員痛むように身を縮めて動けなくなっている。
「おや? そうか、まだ子供。命に関わる怪我をしたことがないか」
「みんなに何をした!?」
「過去受けた肉体の傷を思い出させただけだ。君にはそうだな、過去の罪を暴いてみようか」
また片目だけを開いたアシュトルに見つめられ、腹の底から怖気が走った。
「これはまた、可愛らしい罪の意識…………。母馬を見殺しにした程度で」
勝手に他人の記憶を読む能力らしい。可愛いなんて、言ってくれる。
僕は苛立ちを抑え込んで動けないみんなを守ろうと前に出た。
「あぁ、だがこれなら精神体にも効くのだった。失礼」
アシュトルはアルフを見て、頷いた。
「あの森に逃げ込んだ恋人たちへの対処は酷かった。反省しない妖精であっても、あれには罪の意識を芽生えさせたのですか」
「う…………」
集中を乱されたアルフが呻く。
ガウナとラスバブに励まされ、集中を続けようとするのをさらに邪魔するためアシュトルは僕たちの知らないことを語りかけた。
「まぁ、悪魔でもあまりに悪ふざけのすぎた行為だと怒る者もいましたからね。それにしても魔王石を盗まれたことには一片の罪悪感もないとは」
アルフが強いて無視をする中、別の所から声が上がった。
「…………なんだと?」
何故かブラオンが反応したのだ。
「魔王陛下を裏切り死に追いやったことへの罪の意識がないと言うのか!?」
「ないな」
ブラオンの叫びに、アシュトルが冷静に答える。
瞬間、ブラオンは激昂してアルフを指差した。
「この国のトルマリンを奪還したなら、次は貴様ら妖精だ! もはや妖精など不要! 森を焼き払い、皆殺しにしてくれるわ!」
言葉で、全身で、ブラオンはアルフに殺気を向ける。
「もちろん貴様はこの場で惨たらしく殺してやる!」
本気。
そうわかった時には、動いていた。
石床を割って突進し、ブラオンを突こうとした時、僕の前にアシュトルが割り込む。
「どいて!」
「契約なのでな」
僕を自分の腕と胸で止める。角が刺さっていることも構わず、そのまま僕を投げ飛ばしてブラオンから引き離した。
風の魔法で態勢を整えて着地しても、殺せない勢いにたたらを踏む。
「さて、今回はここまでのようだ」
無感動に呟くアシュトルは、腕が落ちて胸には穴が開いていた。
全く痛みを感じない様子で、流し目を送るように高い位置の窓を見上げる。
「だが、契約は果たせたようだ」
黒い靄となって消えていくアシュトルと比例するように、工房の中には月光が白く差し込んでいた。
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