425話:愛の狂毒
ワイアームから放たれた苦痛の声に遅れて、妖精のほうでも異変があったようで騒ぎになる。
「ドラゴンが目と鼻から血を流しているぞ。妖精も、ぐ!? 俺もか!」
「大地も空気も汚染する毒よ! 人間は近寄っちゃ駄目! 怪物もまずいわ! 自然物の化身も退きなさい!」
悪魔のほうでも受肉した少数の体が爛れ、アシュトルが指示を出す。
悪魔で仮物の体だから元気に叫んでるけど、これが生きた人間なら呼吸器がやられてた。
グライフも吸ってしまったようでアルフのほうに向かう。
「ワイアーム! 手当してやるから一旦退け!」
「妖精王の情けなどいらぬ! 人間などの小賢しい戦法で今一度敗北するなど、死んだほうがましだ!」
苦しいはずなのにワイアームはやる気が高く、アルフの指示に反発する。
目も鼻も利かなくなった中、ワイアームは直前に見た魔術師のいる方向へブレスを放った。
「悪い選択だ」
口にも毒が入ってブレスは弱まり、その上自分のブレスでさらに口の中が荒れる。
けどワイアームの狙いは、魔術師にブレスが対処されることだった。
「そこか!」
巨体の物量に頼った突進をかけた。
毒は粘膜から入るようで、ワイアームの大きな体は鱗に覆われてて無傷だ。
その体で突進された砦は緩んでいたこともあり各所で一斉に崩壊が起こった。
「本当、死を恐れないのは恐ろしいもんだね。いやいや、俺には真似ができない」
「我を嘲弄するか!? 人間如きが!」
ワイアームは声を頼りに太い前足を振り下ろす。
魔術師は色々対処してたみたいだけど、ただひたすら体格差と重量に物を言わせたワイアームの攻撃を防ぎきれなかったようだ。
魔術師は落ち着いてほぼ避けたのに、爪一本掠めただけで致命傷を受けてしまう。
足場が崩壊していたことも悪いんだろう。
魔術師は肩から腹にかけてをざっくり切り裂かれ、持っていた分裂剣の本体が砦の内部へ飛んでいく。
「こざ、かしい、戦法って、いってくれる、が…………こんな、理不尽な、差、埋めるには、ね。妖精王、なんて、理不尽の、権、化いる、し、さ」
魔術師は膝を突いても倒れず、死に瀕してその目は血に染まりながら闘志は衰えてなかった。
「ワイアーム! 退け! まだ何か策あるぞ!」
「一番の、毒、を…………。狂う、ほどの…………愛、を…………」
魔術師は一度忌々しげにアルフを睨んでこと切れる。
瞬間、悪魔が体から抜け出すと、何故か砦の中へと飛んでいった。
「む!? これはどういうことだ!」
いつの間にか侵入をかけていたらしいペオルが、砦の中から飛び出す。
「ペオル、どうした!?」
「飛んで来た剣を握った女に悪魔が取り憑いた! 死んだ魔術師との深い絆が目に見えるようだ!」
ペオルの言葉に応じて現れた女の目には、血の涙が流れていた。
「おぉぉおおおぁぁああああぁ!? 私の愛しい人! よくも! 私たちを殺し合わせるだけでは足りないのか!? 妖精に呪いあれぇぇええ!」
喉が裂けんばかりの叫びと同時に白目が黒くなり、体からは縄が千切れるような音と硬い物が擦れるような激しい音が断続的に起こる。
「嘘だろ!? 死んだ魔術師の力を悪魔が全部引っ張って、女に与えてる! 死ぬぞ!?」
「死さえ厭わぬ復讐心だ! 心中するつもりなのだ! 仇を討って!」
アルフが心配するのを、グライフが目的を指摘する。
現われた女性が魔術師の奥の手であり、恋人か奥さんであることはわかる。
しかもどうやら妖精に呪われているらしい。
殺し合いなんて不穏な関係になって、思い合うからこそ片方が死んだらもう片方も生きてはいけない。
それくらいの思いを、一番の毒と魔術師は言ったようだ。
「なんだこの人間!? 人間か? 妖精に恨みを買った呪いの気配がするが」
良く見えてないワイアームの動きは鈍く、それでなくても魔術師のデバフは継続。
その上で女性はバーサーカーのような猛々しい攻撃を開始した。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺すぅ! 逃げることも許しはしない! 夫が帰るために押しかけて来た妖精を追い出して、何故私が愛する人を追い立てなければいけない!?」
怨みを叫びながら女性が宝石のついた縄を投げる。
縄は勝手に伸びてワイアームを縛った。
「ぐぅ!? なんだこれは! 千切れないだと!?」
魔王の宝物庫にあった縄で、魔力が宿ってると同時に暴れる度に目減りしてる。
どうやら魔力があるだけ相手を縛る道具のようだ。
「飛べぬドラゴンの何するものぞ!? 愛する者をこの手で殺さねば解けぬ呪いの恐ろしさに比べるまでもない!」
ワイアームの体に飛び乗って剣を刺す女性は、いっそ笑顔で自分が巻き込まれても気にせず剣を爆破した。
次の剣も同じように自らを巻き込みながら爆破し、ワイアームの鱗を削って体中を走り回る。
「よくもよくもよくもよくもよくもぉぉおお!」
「えぇい! 死ぬのならば勝手に死ね!」
「奪っておいて! 殺しておいて! 死ぬまで退くものかぁぁああ!」
女性は感情のまま、怨嗟を叫んで攻撃の手を緩めない。
ワイアームも足や尻尾、羽根を使ったりして抵抗し、女性も自分の血に染まっていく。
けどどれだけ血を流しても止まらないし、止まる気がない。
狂うほどの愛に侵された女性は、怪物の体をむしばんでいく。
「やはり人間とは感情の生き物か。合理的に己の生存を考えられぬとは」
毒から回復したグライフが達観したように言うけど、ランシェリスたちはその気ままな行動を知ってるせいで微妙な顔だ。
それに人間だからこそ女性の愛する者を殺された許せない気持ちがわかるんだろう。
同時に狂乱としか言えない女性の状態も受け入れがたいという複雑さが、ランシェリスたちからは読み取れた。
「と、ともかくドラゴンに加勢をしよう。時間さえかければ自滅しそうだが」
「人間はやめとけ。ワイアームの体に毒ついたままだ。それと、あいつの狂気は伝染するみたいだぜ」
アルフが差すのは砦の兵士。
全員が女性と同じように狂乱状態で近くの悪魔に襲いかかっている。
さすがに人間を誘惑する悪魔もすでに狂ってる人間をどうにかできないみたいで、普通に応戦するしかなく足止めを受けていた。
「ふむ、もろもろの状態を鑑みても、これは人間側の作戦勝ちか。まぁ、落とすのはドラゴン一匹だが」
グライフがワイアームの敗北を予見してそんなことを言う。
確かに状況が悪い。
魔術師を狙って砦と距離を詰めてたせいで、巨体のワイアームを女性は狙いたい放題になってる。
「どれほど個で強くとも、血の絆、家族の繋がりに勝るものか! 愛も知らぬ孤独の怪物め! わが愛を殺したことを後悔しろ!」
「えぇい! うるさい! さっさと死ね!」
女性が吠えるように怨嗟を叫ぶと、その声を頼りに反応するワイアーム。
けどすでに女性は移動してる。
砦の上でワイアームの急所である下あごを狙える位置に。
無言で分裂剣に魔力を宿して突き上げた。
完全に急所を捉えてる。
そう思った時、女性が空気の抜けるような声を上げた。
「…………あ?」
瞬間、女性の腰から腹にかけて焼け落ちる。
立っていられず女性は崩れ落ちた。
女性を貫いたブレスが当たったワイアームは知っていたかのように瓦礫の上のクローテリアを見えない目で見る。
「なんのつもりだ?」
「ふん、どうせ狙うと思ってたのよ。わかってれば無駄にばたばた暴れる必要なんてないのよ」
どうやらクローテリアが急所を狙われるワイアームを助けたらしい。
「あたしの名付け親が、親だと言うからしょうがなくなのよ。絆も繋がりも糞食らえでもあるものはしょうがないのよ。あいつを迎えに行くのに本体のせいであたしの存在が揺らぐなんて迷惑なのよ」
「余計なことを」
酷い破壊の上で戦闘は終わった。
何故か睨む合うワイアームとクローテリア。
そこにアルフが一人でやって来た。
「さて、呪いってのは…………」
アルフが女性の体に近づくと、そこから黒い靄となって消える寸前の悪魔が姿を現す。
「消える前に、こいつとその夫が俺を怨んでる理由知ってるなら教えてくれ」
「…………家に入り込み、歓待を受けたなら金貨を与え、冷遇を受けたなら呪いを与える妖精のせいだ」
「確かにそういう奴はいる。けど、殺し合うだとかなんだとかに覚えがないんだよ。その妖精の呪いにしたって、この女の狂乱ぶりはおかしい」
悪魔は溜め息を吐くように揺れた。
「せめて己の配下の行状を管理するべきだ。そうでなくとも、消えた妖精に関心を払え」
呆れる悪魔が言うには、女性は入り込んだ妖精を夫を迎えるのに邪魔だと家から追い出したそうだ。
それに怒った妖精は決まりどおり呪いをかけようとした。
けれど返ってきた夫は剣を携えた武闘派魔法使いで、しかもその剣がちょっとした魔法を帯びた業物だったらしい。
「それで、妻と揉める不審者を暴漢と間違えて切り殺したと」
「そうだ。そして死をもって施された呪いは、愛する夫が視界に入れば殺してでも排除しなければいけないという狂わんばかりの衝動となった」
その呪いによって幸せな生活は崩壊し、二人は顔を合わせることができなくなった。
それでも愛し合う気持ちに変わりはなかったからこそ、余計に苦しみがましたのだと悪魔が語る。
「そして魔王が復活し、魔王石も使って大がかかりな術を試し解呪に成功した」
すでに狂っていた女性であっても、長く顔も見られなかった夫婦はひと時も離れたくないとこの砦に揃っていたそうだ。
「すでに狂って夫を殺さんばかりの力量を得ていた妻が、呪いの行き場を失くしてドラゴンに襲いかかったと」
もう用もないとばかりに悪魔は去る。
アルフは困ったように頭を掻くと、魔法で夫婦二人が入れる棺桶を作り始めたのだった。
毎日更新
次回:愛ある争い




