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419話:鏡と死角

他視点入り

「ヴェラット、前線からの報せだ」


 トラウエンが無表情を取り繕ってやって来る。

 私はヘイリンペリアムを防衛する者たちへの補給を手配する手を止めた。

 魔王さまが居を据えた屋敷にはほとんど人間がいない。

 最初こそ魔王さまの力の前にこびへつらうヘイリンペリアムの人間がいたけれど、魔王さまが一顧だにしないことで離れ、後ろ暗いことがあった者たちはヴァーンジーンに捕らえられた。

 後ろ暗いことの詳細は聞いていない。

 ただ汚職の噂は瓦解したここでも聞けたし、少し調べただけでもヴァーンジーンがヘイリンペリアムを追われたことに関わっている者も多かったので私怨かもしれない。


 そんなことを考えながら次の言葉を待っていた私は、トラウエンに手を握られ、同朋のいるこの場では話せないことを知る。


「まず要望のあった物品の在庫確認を行いなさい。数が足りない場合は優先度のとおりに」


 私は簡単な指示を残して二人になれる場所へと移動した。

 広い屋敷で働いているのはほぼ同朋だ。

 それ以外は魔王さまに恐れおののいて戦意を喪失した元からの使用人やいなくなった人員を補うやはり無害なヘイリンペリアムの人間。

 悪魔もうろついているものの、受肉しているので辺りに人影がなければ大丈夫でしょう。


 適当な部屋に入り、改めて人がいないことを確認するとトラウエンが早口で告げる。


「五人衆が二人やられたそうだ」

「早すぎるわ!」


 声を高くしてしまった私は、トラウエンに宥められる。

 一度は手で口を覆ったものの、聞かずにはいられない。


「いったい誰が? 五人衆は今の人間たちが軍をもってしても退けられない強者のはず」

「嵐の悪魔と神官だ。やったのは、妖精王だよ」


 暴虐な嵐を操る悪魔は少女の肉体に受肉していた。

 あれは広範囲で破壊をもたらす驚異的な力を持つ。

 軍など自然の脅威の前では無抵抗な木立と変わりない。

 人間では太刀打ちできない上空に構えながら、弓矢の起こす風にも揺れて当たらない。

 その上魔法の威力が減衰するほど高くまで上がれるのだ。


 その能力を知った時、我が一族でも魔王さまの遺産に頼らなければ討伐は不可能だと思ったのに。


「嵐の悪魔はエルフの国にもいた傷のグリフォンにやられたらしい。他にもグリフォンと飛竜がいる場所に自ら飛び込んだそうだ」

「なんて愚かな。人間の欲を制する悪魔が自らの力に驕るなんて。どうやられたかは? 特殊な兵器を使ったの?」


 それでも敵の手の内を探る用は満たしてほしいところだけれど。


「グリフォンと飛竜はあしらったものの、飛び回る傷のグリフォンを捕らえきれず、その爪と嘴で依代を破壊されたようだ」


 どうやらやり方がまずかったらしい。

 純粋に肉体の強度や攻撃力でやられてしまってる。

 相手を良く選ばなかったのも悪魔の落ち度ね。


 けれどそれで言えば神官は慎重だったはず。

 ヘイリンペリアムで魔王を心から歓迎した者たちであり、その心胆を今まで国に見透かされず隠し果せていた。

 ヴァーンジーンと通じていた狂信者たち。


「妖精王の周りを守る者たちを排除すると、私たちに物資を求めたわね。あれは、数度の襲撃を想定していたのに。これだけ早いとなると、一度でやられてしまったというの?」


 妖精に惑わされないよう、怪物に気圧されないよう、悪魔に誘惑されないよう整えていたのを知っている。

 長く話した相手ではないけれど、その慎重さ故に私たちの同朋が身に着ける守りも高く評価していた。


 何より魔王さまから与えられた檄矛を持っていたのだ。

 あれは邪悪に良く効く。

 自らを貶めようとする攻撃を倍にして返すはずの恐るべき武器。


「同朋が石になっていたのを確認したそうだ」

「ゴーゴン!? 森のあの城にいたのは二人。つまり無事な三人目が同行しているのね?」


 魔王さまが森で目を潰した二人ではもはや人間を石化させられない。

 けれどゴーゴンは有名な怪物であり、神官も妖精王の側にいることは知っていたはず。

 なんの対処もしていなかったの?


「監視していた者たちの報告から推察すると、夜襲に美しい人間の姿をしたゴーゴンが先頭に立って相対したらしい」

「夜はただの人間のはずでしょう? それなのに先頭に?」


 いえ、その無謀が慎重な神官にゴーゴンであるという疑いを除外させたんだ。

 まさか先頭に立つ女がただの人間とは思えない。

 そしてゴーゴンは醜さを良く知られている怪物。

 妖精か何かと思って石化への警戒を怠ったのか。


「戦果としては微妙だそうだ」


 夜襲による戦闘があり、妖精王側にも被害はでた。

 けれど侵攻を妨げるほどではない、と。


 敵は近づいてきている。

 でも私は死ぬためにいるんじゃない。

 逃げたい。


「ヴェラット…………」


 握った手からトラウエンに気持ちが伝わってしまった。

 誤魔化しようがない、いえ、誤魔化す必要なんてない。


「だって、ジェルガエのマローネが動いている様子がない。森を急襲するはずがそちらからも森の東の国々の妨害を受けている。こちらでも上手くいっていないことが多すぎるわ」

「彼女は元から族長に対抗意識が強かった。この機に勇んで出て来るものと思ったんだけどね」


 私たちがエフェンデルラントを通じて森に侵攻をかけた時もずいぶん怒っていた。

 なぜ自分を呼ばないのかと。

 族長に廃されたのに元気に手紙を叩きつけるくらいには族内にも支持がある。


 なのに、この好機に動かないのはおかしい。

 シィグダムでの異変、応じたアイベルクスの侵攻失敗、そこと隣接したジェルガエにいるはずの女傑なら、大きく動いておかしくない時なのに。


「…………ライレフは今、争いに夢中よ」

「ヴェラット」


 咎めるようにトラウエンが私を呼ぶ。

 けれど咎めるのは私の発言じゃない。

 拙速だと、言いたいのはわかる。


 でも逃げたい。

 生きたい。

 二人で。


「思いは同じだ。でも今は耐えよう」

「いつまで?」


 今が好機じゃない。

 けれどトラウエンはまだだと繋いだ手から伝えて来る。

 もっと目が離れてから、と。


「ライレフは魔王さまの元へすぐ戻れる」


 そういう風になっている。

 ライレフは今、ここでまだ起こる可能性のある争いに興味津々だ。


 私たちに漏らしていた。

 まだ反攻勢力が残っていると。

 存在を感知していながら、魔王は気にしていないと。

 けれど蜂の一刺しが命に関わることもあると楽しげに、魔王の敗北さえ争いの種にしようと。


「ヴェラット、僕が一緒だ」

「えぇ…………。えぇ、あなたと一緒なら」


 私たちは逃げ出したい思いを押さえ込んで機を待っていた。






 そうだったー!

 生きるか死ぬかで抜けてたー!


「どうしよう、大丈夫かな? 治るかな? やっぱり顔にも傷ができてるよね?」


 森に魔王が行った時、メディサの姉、スティナとエウリアが目を潰されて怪我を負わされた。


 魔王だけど体は僕で、僕が二人を傷つけてしまったも同じだ。


「不死性が状態維持であるなら、顔の傷も本来ある形へと戻るだろう」


 神が慌てる僕にいまいち安心できない言葉をかける。


「なんで他人ごとなの? 怪物も神が生み出したんでしょ」

「怪物を生み出したのは私ではない。私よりも先に地上に降りた誰かが設定したようだ。そのためどのような造りをもって怪物を定義しているかは推論の域を出ない」

「不老の技術はあったんでしょ? 不死はなかったの? 滅亡しないためにはそっちのほうが求められる技術だったんじゃないの?」

「私が知る範囲では人間の不死は成功しなかった。だが、不死を模索して死んだ者の話なら聞いた」


 どうやら前文明でも人間の不死は無理だったようだ。

 けど一から作った怪物のような存在なら手はあるんだとか。


 まぁ、倒されても復活するってあたりアルフみたいだしね。

 もしかしたら怪物も核になるナノAIがあったりするのかな?


「…………嫌なことに気づいちゃった」

「…………怪物として生み出されたのならば、怪物となる以前の実態は存在しない」

「勝手に人の思考読んで嫌な事実突きつけないでよ」


 ゴーゴンたちは元人間、そういう設定の怪物だ。

 けど神がそういう設定で作って生み出した怪物だというのなら、本当に人間だった事実はない。


 夜の姿を本来のものとしていたゴーゴンたちが思い浮かぶ。

 けれどそれも結局は設定で、真実は夜に人間の姿になるだけの怪物。

 あまりにも救いがない事実だ。


「ねぇ、僕にできると思う?」

「本当にナノAIが怪物という存在を定義づけているのならば、私と魂を同じくする君は私と誤認されることで一定の干渉権限を行使することはできる。だが、そこに怪物を生み出した者にのみ付与されるマスター権限が存在する場合には難しい」

「いいよ。怪物も妖精みたいに変われる可能性があるってわかっただけで」


 僕にそのきっかけを与えられる力があるなら、神と呼ばれる前世も悪くない。


「よし! 早くワンルームに帰って体取り返さないと!」


 そう言って気づく。


「帰る…………? あれ? そう言えばパシリカの加護は精神でも効いたはずだよね」


 言葉にした途端、いつの間にか手鏡を握ってた。


 楕円の鏡面に棒状の持ち手。

 僕の顔が映ってるだけの鏡。

 突然のことで神に聞こうと顔を動かすと、目の端に鏡の向こうで動く物がある。


「…………うん?」


 鏡を覗き込んで首を左右に振る。

 鏡の中には、僕の後ろで左右に動くワンルームが見えた。


「あー! 僕のワンルーム!? あの、魔王! もしかしてずっと真後ろにあったの!?」


 思わず叫ぶと神は一つ頷く。

 僕が口にしたことで妨害は解かれたらしく、ワンルームが死角を取るのをやめたようだ。

 振り返ればあるワンルームが、何故か自分のいた場所だと確信できる。

 どうやら気づいたら解けるような目暗ましだったらしい。


 つまりずっと戻ろうと思ってたワンルームを後ろに引き連れてたって!?

 もう! 傍から見たら僕すごく間抜けじゃないか!


毎日更新

次回:精神の涵養

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