398話:神の実在
かつてヘイリンペリアムの教皇が住んでいたという城のような屋敷は、今や無人に等しい。
無闇に足音が響く屋敷の中、僕は双子のヴェラットと歩いていた。
すると廊下の向こうから赤い目を笑みに細めた白髪のダムピールが現われる。
ケイスマルクで会った時には金髪、エルフの国では黒髪だった。
どうやらこの白髪が元の色のようだ。
「あら、魔王さまへの謁見からお戻り? ご機嫌麗しゅうございまして?」
「魔王さまの前では影に潜っているしかできないのに、どうして他ではそう自信に満ち溢れているのかしら?」
ヴェラットの棘のある言葉に、こちらの苛立ちをわかっているのかヴァシリッサはさらに笑みを深める。
本当に強者の前では小さくなるばかりのくせに。
「ジッテルライヒに妖精王が現われたそうね? だからあちらはわたくし共に任せるよう言ったのに。功を焦ってとんだ損害よね」
「まだ同朋が負けたと決まったわけではない」
僕の否定にヴァシリッサは笑顔のまま首を傾げてみせる。
言わなくても何を思っているかわかる分腹立たしい。
森のユニコーン一体に手間取った僕たちが、妖精王と共に森に潜んでいた者たちが現われている現状打つ手などあるのかと。
すでにジッテルライヒへ向かった同朋は蹂躙されているなんて考えるまでもないだろうと。
「ヴァシリッサ、お仲間の被害に胸を痛めるお二人にそれ以上の無礼はおやめなさい」
ヴァシリッサの後ろから、変わらず司祭服を着たヴァーンジーンが現われた。
冥府の穴がジッテルライヒにあり、そこを押さえるべきではと言ったのはヴァーンジーンだ。
今にして思えばヘイリンペリアムに向かう前に言うべきことなのに。
いや、名前が封じられていると知らなかったならしょうがないとはわかっている。
けれど最初からこのヘイリンペリアムを落とすことにだけ、ヴァーンジーンは注力していたように思えた。
知っていても後回しにしたのではないかという疑念が拭えない。
「それで、魔王さまからの助力は引き出せましたか?」
痛いところを聞く。
僕たちの様子から察してるだろうに言わせるつもりか。
この部下にしてこの上司ありと言わざるを得ない。
「好きにさせろとだけ」
「つまり、魔王さまご本人が動かれることはないと。…………さて、何をお望みなのやら」
ヴァーンジーンは考えるように呟く。
答えがあるなら教えてほしいくらいだ。
ヘイリンペリアムで魔王石を得てから、魔王さまはこの屋敷から動かない。
それ以前もあまり積極的ということはなかったけれど。
怒りという感情の動きを見せたのも森でだけで、僕たち人間のことなんて眼中外だ。
「わたくしはあなたの望みの先を知りたいものですわ」
ヴァシリッサがヴァーンジーンに怪しい笑みを向ける。
「あの騎士団の中の裏切り者はどうなさるおつもり? ケイスマルクではわたくしと敵対しましたし、あのままでは終わらないでしょう。森に行くか、ジッテルライヒに戻るか。ともかくあの高潔な団長はあなたの動きを知ってどう動くのかしら?」
嘲笑うような問いに、ヴァーンジーンは穏やかな声で応じた。
「さて、彼女たちが魔王さまを害せるとは思いませんが?」
「ですから、裏切り者についてですわ。人間の魔法使い程度には見破れぬ術も、妖精や知能の高い幻象種には感知されるかもしれません」
「いったいなんの話をしているの?」
たぶん姫騎士のことだとはヴェラットもわかっている。
そう考えれば裏切り者とは姫騎士にいる内通者のことだろう。
わざわざ話題に出したヴァシリッサは、その内通者の心配をしているようには見えない。
どころか楽しげでまるで裏切りがばれろとでも言うようだ。
「そうなっても大丈夫なように術をかけるよう私は命じたはずですが?」
「えぇ、もちろん」
そう答えたヴァシリッサは嗜虐の笑みを浮かべた。
「だからこそ結果が見たくてしょうがないのですわ。あの押し殺しきれない罪の意識と悲憤、欺瞞への葛藤の湧く泉に、ただただ蓋をして、押し込めただけのあの術の結果が」
「それは…………記憶を消したとかではなく、原因はそのままに封じ込んだだけだというの?」
ヴェラットの声が震える。
僕たちも人間相手に精神を操作する魔法については身に着けているからわかる。
記憶を操作して、罪の意識を生じる根本を除くことはできる。
なのにヴァシリッサの言葉からは、あえてそれをしていないまま記憶だけを封じたと聞き取れた。
ならば、泉に例えた記憶は枯れていない。
記憶に紐づけられた感情を意識しないように押さえ込んだまま、次々に湧く泉に蓋をして押し込めているだけだとしたら?
「その裏切り者は、まだ使えるのかい?」
僕の問いにヴァーンジーンは初めて笑みの種類を変えた。
何処か憐れむようにも見える。
ヴァシリッサは気づかないようで楽しげに、己がかけた非道の術を語った。
「罪の記憶も表には出ないようにいたしましたので、何もなければ心因性の不調程度でしょう。ただし、心因を探ろうとすれば蓋を開ける必要が生じます。そして重くきつく閉じた蓋を開けてしまえば、膨れ上がり枯れることのない押し込まれていた激しい感情で…………」
ヴァシリッサは白い両手で何かが弾けるような動作をする。
それだけで結果は伝わった。
きっと誰かが気づいて解いてしまえばその内通者は自壊するのだろう。
「あなた、それほど罪の意識を感じるようなことをさせておいて捨てるの?」
ヴェラットが批判的に、命を物のように使い捨てる男を睨む。
僕にはヴァーンジーンに父を重ねているのがわかった。
けれどヴァーンジーンは祈るように瞑目し、そこには陥れた相手への哀悼が浮かんでいるようにも見える。
「どちらでも選べるようにしたつもりですが、当人が選び進んだなら、私はその選択を肯定し、その献身により得られた結果を最大限利用します」
自らのために苦難を選んだ相手に応えるために、さらなる苦難を自ら強いると?
この司祭はおかしい。
ヴェラットに魔王石を渡した時にも思ったことだ。
僕の中でヴァーンジーンに対する不信感は確定したのだった。
「なんなんだ、あれ? シアナスに何したの?」
心象風景で僕はパソコンから離れる。
シアナスにかけられた精神操作に、骨の魔術師ヴィドランドルが気づいた。
それを解除した途端、シアナスが狂ったように泣きわめき出したんだ。
あまりの狂乱と異常な苦しみ方に、ヴィドランドルはすぐさまもう一度精神操作をかけ直したらしい。
「アルフがいなかったら狂って死んでたなんて…………」
気づいて解除すると押し込めていた感情が爆発する仕掛けだったと画面の中で話している声が聞こえる。
ヴィドランドルも早かったけど、アルフも魔法をかけてシアナスの狂気を鎮めたのが功を奏したらしい。
元の状態に戻すだけのヴィドランドルだと後遺症が残ったところを、狂気自体を鎮めるっていうことができたアルフがいたからどうにかなったんだとか。
僕は魔王の視界を見れる窓に向かった。
「なんの確証もないけど、なんか、なんていうか、魔王が関わってるような、気が…………」
いや、言いがかりなんだけど。
それにこんなトラップみたいなこと、今まで魔王はしてないし。
そんな手の込んだことするくらいなら魔王石の力使って全部吹き飛ばしてそうだし。
あとシアナスだけが精神操作されるチャンスって、ローズが殺された時くらいだ。
その時魔王はまだ僕の中でできるわけがない。
「あ、ヴァーンジーンか。うん? それとも相手が一番傷つく方法考える辺り、ヴァシリッサかな」
言いながら、僕が魔王の視界を見るとちょうどその二人がいた。
『もう冥府の穴には興味がないとおっしゃられる? お名前を取り返す算段が別にあるのでしょうか?』
ヴァーンジーンが、ジッテルライヒに魔王が行かないことを聞いてる?
ってことはあそこに冥府の穴があることわかってるんだ。
地下にいたのはローズとシアナスとヴァーンジーン、そして不明の四人目。
…………もしかしてヴァシリッサ?
なんかジッテルライヒの地下にも普通に魔王を案内してたし、絶対あれ始めて行ったとかじゃないよね。
『手近にもっと有用なものがあるのだから必要ない』
『有用なもの? 何であるかをお聞きしても?』
魔王は答えない。
ちなみにヴァシリッサは相変わらず影に潜って隠れたままだ。
『口が過ぎたようです。申し訳ございません。今日は使徒についておたずねをいたしたく参上させていただきました』
魔王の機嫌を損ねないように本題に移るようだ。
ヴァーンジーンはここヘイリンペリアムの偉い人たちを捕まえて、いろいろ情報を取っていたらしい。
その中で、何人か使徒ではないかと目された人物のリストが見つかったんだとか。
『いかがいたしましょう?』
『何がだ?』
『いえ、使徒であるなら魔王さまと協力も』
『ありえない』
魔王がはっきりと否定した。
ヴァーンジーンは一考の余地もない否定に一度目を瞠る。
『蒙昧な私にそのお言葉の根拠をお教えいただけますか? 今後、使徒を自称する人間が現われないとも限りませんので』
『…………俺が最後だからだ。最初の使徒、妖精女王も認めるとして当時の妖精王が言った。十人目の俺が、最後の使徒だと』
ヴァシリッサの隠れた影が揺れる。
ウェベンも気配を殺しきれず魔王を見てた。
ヴァーンジーンはとても深刻な顔をしてその言葉を聞いている。
使徒なのに十人で打ち切り? 十二人じゃないんだ?
いや、それは僕の知るキリスト教の話でこっちでの使徒は別にキリスト教関係ないか。
ともかく、他の人にとっては使徒が十人で終わりという事実がとてもショックなことのようだった。
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