376話:時間稼ぎ
肉を抉るひっかき攻撃は同時に二か所で。
けれど傷はできてすぐに塞がり、血さえ落ちない。
床に着地したのは猫と犬の妖精だった。
「小賢しい」
「「ぎゃぅ!?」」
獣の叫びを上げてウーリとモッペルが爆炎に包まれる。
本性が大きなモッペルは見た目よりもダメージを受けず着地に成功した。
けれどウーリは黒こげになって床を跳ねる。
死んだと思ったその時、ウーリの猫の目が大きく開いた。
「猫の執念舐めるんじゃぁねぇ!」
動けるとは思わなかった魔王も不意を突かれる。
ウーリは猫の俊敏さをもって跳びあがると、前足で魔王石のダイヤを弾き飛ばした。
それを空中で咥えたモッペルがアルフに向かって走る。
「妖精王さま! ビーンセイズで魔王復活の儀式のせいらしいでさぁ!」
「でかした、ウーリ、モッペル!」
アルフはモッペルからダイヤを受け取って褒めた。
同時に魔王の近くにいたウーリにライレフの鳥の使い魔が嘴を突き込んだ。
「ぎゃ!? 離せこの!」
嘴に挟まれて捕まったウーリ。
どう見ても致命傷なのに死なないし文句まで言ってる。
そんなウーリのしぶとさに魔王も悪魔も目を奪われた。
その隙に全員の頭を狙った矢が五つ連射される。
「あう!?」
頭を貫かれてウェベンが灰になった。
ライレフは自分の被弾を気にせず双子に飛んだ矢に自から当たりに行って庇う。
魔王は運良くウェベンの炎と灰によって矢が軌道を逸らして当たらず、避けもしない。
「体はフォーレンだから飛び道具は当たらないぞ!」
アルフが警告するからには、たぶん加護だ。
言った相手は広間の入り口で弓を構えたダークエルフ二人。
スヴァルトとティーナは二射目を構える動きをする。
けど本能的に、本当の敵が別にいることを僕の体は感じ取った。
魔王も同じく感じられたのか、大きく身を翻す。
「避けるな、仔馬!」
避けるよ、グライフ!
今完全に爪刺して引き倒す気だったでしょ!?
「なんなのよ!? こいつすごく嫌な気配するのよ!?」
グライフと一緒に飛ぶクローテリアが僕を見下ろして叫ぶ。
「ち、魔王石の穢れが仔馬を覆っているようだ」
「おう、傷物グリフォン当たりだぜ。ビーンセイズでダイヤ使ったあの儀式、どうやらフォーレンを依代に成功してたらしい」
アルフは飛んで来たグライフたちにそう教えた。
アルフの手に握られたダイヤは秒速で魔法陣が現われては変化していく。
「本気で言ってるわけ? あんなお粗末な術で死人が冥府の理から逃れられるわけがないでしょ」
ビーンセイズでその場にいたアシュトルが疑わしそうだ。
そこに灰から立ち上がるウェベンが胸を張って答える。
「ところがどうして、ご主人さまは知らぬはずの魔王最後の悪魔への命令をご存じでした。これはその場にいなかった妖精王でも知りえぬこと」
その間に魔王はアルフへ手を伸ばした。
指先はダイヤに向けられている。
瞬間、ダイヤの内側から紫に光る別の魔法陣が膨れ上がった。
それがアルフが何かしようとしてた魔法陣を破裂させるように壊していく。
「あ!? この!?」
「なんと、妖精王の干渉を跳ねのけているだと? そんなことができるのは…………」
ペオルは魔王石から僕へと視線を移動させた。
「妙な呼び名がついているが、俺が求め俺が術を施したのだ。後からどれほど手を入れようと、すでに刻んだ機構は打ち砕かない限り残る」
「うわー、ぽいこと言ってる! けどありえないだろ。あの術でできることなんて魔王石の思念を捻り出すくらいだ。それがなんで幻象種の中で自我持つんだよ。おかしいだろ!?」
ダイヤに両手で術をかけようとしながら、アルフが否定の言葉を叫んだ。
魔王はすごく呆れてアルフを眺める。
「何故精神を繋いでおいて、この個体の特異性に気づいていない? ユリウスよりも知能の低い妖精王なのか?」
「おい! フォーレンの顔で酷いこと言うな! 先代は発展への希求を元に生まれた妖精王だ! 俺は生存本能を元に生まれた妖精王で役割が違うの!」
魔王はアルフの反論に顔を顰めた。
アルフが生まれたのは魔王の後。
つまりそれだけ魔王の時代の揺り返しが影響して生まれている。
アルフの存在は、発展の後の衰退を魔王に突きつけるようなものだった。
「やはり人間は衆愚なのか…………。何故わからない? 何故悟らない? 何故現状に甘んじる?」
呟く魔王の中にいる僕には、煮えたぎる湯のような感情の高ぶりが感じられる。
「神によって生み出された故に神によって殺されろと言うのか? そんなもの牧場の羊と何が違う? 神に迫る知恵を、神を越える自由を得てなお、何故神の無謬を疑わない?」
歯噛みする魔王にアルフやスヴァルト、悪魔やゴーゴンさえ驚く気配があった。
アシュトルは警戒ぎみに声をかける。
「本当にらしいことを言うじゃない。けどね、本当に魔王だというなら、あんたが思ってるほど上手くはいってなかったのは結果が証明してるでしょ。人間は神に届かない。その理を神に作られた人間が越えられるわけなかったのよ」
睨む魔王にペオルが続けた。
「大公ら神の下にいた悪魔たちは、ここで魔王の業を継ごうとした。だが、無理だった。土台無理なのだ。神の国へ行くことも、神と新たな契約を結ぶなどということも。神はそのような理を作ってはいない」
言われた途端、魔王の煮えたぎる感情が縁を越えた。
苛立ちのまま足を強く床にたたきつける。
足元の床石は割れ、波及して全方向に威圧が走った。
「俺なくてはできないのは当たり前だろう!? ことがそれほど簡単であるなら長き寿命など求めはしなかった! 少しの過誤も許されない、一つのずれさえ許されない繊細な作業を積み重ねる必要があった! それには俺が必要だった! なのに!」
魔王の怒りに合わせて魔王石が激しく光る。
アルフが握っていたダイヤも、アルフを跳ねのけるように浮き上がった。
「資材、人材、土地、安寧の全てを実現する宝冠をもたらしたのに、何故衆愚どもはそれを争いの種に変えた!? 資材を貪り、人材を殺し、土地を荒らして波乱を招いて!」
怒りだ。
これは魔王の怒り。
そして魔王石を呪いの宝石に変えた魔王の思念の根幹。
「間違っているのは人か!? 人間という種の根本的な欠陥なのか!? ならば何故、神はそんな欠陥品をお創りになった!? 何故間違いを正そうとはしない!?」
魔王石の光りが赤く変わる。
それはまるで血のような赤。
見るだけで不安を掻き立てる攻撃的な色に、アルフたちはもちろんライレフも双子を庇うように身構えた。
「こりゃいけねぇ!」
ウーリは鳥の使い魔の目を引き裂いて嘴から逃げる。
けれど向かった先は魔王に乗っ取られた僕だった。
「ユニコーンの旦那はそういうことお嫌いなんでさぁ!」
ウーリは跳びあがって魔王の首に噛み付いた。
乱暴だけど止めるためだ。
でも怒りに昂ぶった魔王はさらなる怒りを募らせるだけ。
まるでシィグダムに走った時の僕のようだった。
「猫、逃げよ! その者はユニコーンの憤怒に呑まれた!」
グライフが警告するけど、魔王はウーリを乱暴に掴むと食いちぎられるのも気にせず引きはがす。
そして無造作に抜いた黄金剣をウーリに突き立てた。
「へへ、猫に七生ありって知らねぇ…………え?」
「ウーリ! それは駄目だ! 逃げろ!」
アルフの警告も遅い。
魔王が何か黄金剣を触媒に魔法を発動した。
瞬間、ウーリの中から力がごっそり抜けるのが見える。
代わりに血が染みこむように黄金剣が色を変えた。
「あ、あぁ…………その輝きは、伝説の…………」
「…………アダマンタイト…………?」
双子のトラウエンとヴェラットが疲れの滲む顔色で目を見開く。
「アダマンタイトだと?」
グライフは信じられないような顔だけど、他からは否定の声はない。
黄金剣は七色の輝きを内包した透明な刃に代わっていた。
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